ナツカシマイコン
ぴっくあっぷ。さんの記事でパソコンとの出会いの思い出話を拝見させて頂いた。
家庭用パソコン黎明期にどっぷり漬かっていた者の一人として反応せずにはいられない。
初めてパソコンに触ったのはPC8001(mkII?)だったと思う。もう20年以上前かな。当時からゲーセンを主な遊び場としてたゲーム好きで、その日もとある電器屋の電卓コーナーでボクシングゲーム付き電卓に興じていた。(話が逸れるがこの電卓ゲーム、みため普通の電卓の液晶のところにボクサーの絵が出て対戦するのだがなかなか良く出来ていてハマってた覚えがある)
遊ぶだけ遊んで帰ろうとしたとき、それまであまり足を踏み入れてなかったコーナーを通りかかった。そこである画面が目に飛びこんできたのだ。
「あ、あれってクレイジークライマー!?」
それはPC8001で動いていたクレイジークライマーもどきだった。
ゲーセンでも大好きだったゲームが少々寂しい画面ながらも動いている。動かしていたおそらく当時高校生位の見知らぬ兄ちゃんに話しかけ、プログラムの入ったカセットテープをもらったのだ。(もしかしたら知らない人もいるかもしれないが、この頃のデータの保存は主にカセットテープでした。フロッピーなんて20万の時代)
これ以降、この電器屋を長期に渡って訪れるようになり、コンピュータという画期的なオモチャにハマっていった。
「タダでゲームができる」
というのが最初の一番の動機だった。
ファミコンも発売された頃で、実際のところゲームのクオリティはファミコンの方が断然高かったのだが、自分で作れば、雑誌のを打ち込めばタダ、というのが魅力だったのだろう。
当時自分でマイコンを持ってないが、店などで遊んでいる者は『ナイコン族』と呼ばれていた。俺もその一人で、ほとんど部活動ともいえるくらい、学校が終わってまっすぐ電器屋に向かい、閉店近くまで延々居座るのだ。休みの日は朝から晩まで。店の人はえらい迷惑だったろうなぁ。
でも仲良くしてくれる店員さんもいて(事あるごとに買え買え~と営業も忘れない)、同じような境遇の仲間も増えていった。お互いの少ない小遣いでゲームを買い、皆で遊んだり、自分の作ったプログラムを発表しあったり。
「これ本当に作ったの?市販じゃなくて?」
なんて言葉が一番の賛辞だった。
(誤解のないように言っておくと、スゴいゲームが作れたワケではない。一部の大手から出てるゲーム以外は市販ゲームといえど自作ソフトと変わらない、ショボいものも多かったのだ。ある意味作り手と受け手の距離が最も短かった時代だろう)
この頃マイコンはハードウェア的に多方面への進化を試みている時期であった。表示も文字等のキャラクタからグラフィックへ。カラーも1色から8色(当時はフルカラーといえば8色を指した)、果ては総天然ショックへ。音楽もBEEP音からPSGやFM音源へと。(音声合成機能で歌えるようになったりね…)
ハード毎の拡張性、互換性なんてまだそんなに重要視されてなかった。新機種にはそれまでになかった様々なハードウェアが搭載され、人気や需要にあわせて進化と淘汰を繰り返していた。
機種毎の個性の違いが強いため、機種やメーカ毎のファンがつき、他機種のファンといかに自分達のマシンが優位にあるのかを言い合っていた。その後徐々に没個性化していくパソコンの歴史を見ると、これだけ毎回新機種をわくわくして待っていた時間というのは貴重な、そして幸せな時間だったのではないかと思う。
ゲームもグラフィックを用いたゲームが主流になっていきつつあり、ジャンルも単純なアクションゲームが中心だったものが、海外の流れを受けて、アドベンチャーやRPGなど広がりを見せていた。OSも機種毎にバラバラ。搭載されているプログラム言語も基本はBASICではあったもの、文法の違いなどは多々あった。雑誌に載る投稿プログラムもじょじょに文字キャラクタでないグラフィックを用いたものが増えていた。そんな過渡期。
当時のことで今も覚えている失敗がある。
いつものように電器屋通いし、そこでI/Oだったかに載っていたMZ-80B(だったと思う)用のかな~り長いプログラムを何日もかけて入力していた。
長かった入力作業も終わり、ようやく実行だ!とF1キー(シャープ系は確かF1にBASDICプログラム実行コマンドRunが定義されていた。NEC系はF5,富士通系はF3だったかな…ってどうでもいいか)を押した。
「あれ?」
画面にはスコアの文字とまっくろな画面があるだけ。たまに何やら画面に表示される文字もあるが、何がなんだかわからない。
これも過渡期の悲劇。当時、標準ではテキストしか表示出来ないマシンが多かったのだ。グラフィック用メモリであるG-RAMを載せてはじめてグラフィックを表示できるという仕組み。途方もなく長いと感じたあのプログラムはグラフィックを駆使したものだった。そしてこの電器屋のマシンにはG-RAMなんて載っていなかったのだ。いつか載ったので出来るかもしれないとカセットテープはしばらく保存し続けていたが、結局最後までその機会は訪れることはなかった。期待に満ちて入力し続けたあの時間。今でもすっぱさがこみ上げてくる…。
『ナイコン』時代に主に電器屋で使っていたマシンはパピコンことPC6001だった。89,800円という価格が「いつか買えるかも!」と希望をもたせた。
俺は部屋の壁に目標金額89,800円とそこにたどり着くまでの貯蓄計画を書いて貼っていた覚えがある。月の小遣いからベーマガ(マイコンBASICマガジン。各機種の投稿プログラムをメインで掲載した雑誌。先日ついに休刊となった)代の300円が除かれた額が毎月累計されていく予定表である。ちゃんとお年玉収入まで推測値を入れていた。当時千円程度しか小遣いもらってなかったのに一体何年がかりの壮大なプランになっていたのやら…。
欲しいものが出来たらちびちびお金貯めて一括購入!って癖(?)はこの頃に形成されたものなのかもしれない。
さらにあの有名なすがやみつる氏の『こんにちわマイコン』についていたPC6001の実物大キーボード写真を机に貼り、タイプ練習をしていたことは誰にも言えない秘密の一つである。他の書籍では『はるみのゲームライブラリー』シリーズも必須本だった。PC6001用の平安京エイリアンとか頑張って入力してた覚えがあるが何故か遊んだ記憶がない。動かなかったんだっけなぁ。
他の機種もベーマガ片手にかたっぱしから触っていた。(目当ての機種を誰かが先に使ってると何も出来ないため、誰も触ってないマシンでも遊べるように自然と多機種触わるようになっていく)
マイコン関連雑誌も次々と創刊されていった。
ASCII、マイコン、I/Oなどの大御所は勿論、ベーマガ、テクノポリス、ログイン、PIO,RAM…。
あっという間に消えていった雑誌たちも多い。ソノシートをつけてる雑誌もあった。(PIOか? でもすぐ音が伸びて読み込みできなくなってしまったような)
って、ここまでで既に結構長いなぁ。
そしてこの後『ナイコン時代』を過ぎ、初めて自分のマシンを手にすることになる…のだがそこまでいきつけてもないやん。
当時触ってたいろんな機種についてももっと書きたいところとかあるのだが、そのへんはまとめてまた次の機会に…。
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