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January 2004

2004.01.31

快適ダンボール生活のススメ

どこの家庭にも転がっているダンボール。
何か買う度に増えて邪魔だ、なんて思っている人も多いのではないだろうか。
それじゃ勿体無い。せっかくあるものなのだからとことん活用してみよう!

というわけで今回俺が一人暮らし時代にやっていたダンボール活用法を伝授したい。『できるかな?』のノッポさんのような細工の技術も手間も不要。ダンボール箱をあるがままに活用してみよう。

・衣装ケース
 これは基本かな? 適当な大きさのをならべて下着系
 やらシャツ系やらで放り込んじゃえ!
 分類なんてあくまで目安。その日の気分で放り込め!
・本棚
 これも基本でしょう。エントロピーに従い積み上げた
 本が崩れてきたら崩れた分だけ放り込め!
 ちゃんと並べるのもアリだが、ダンボールの中を見も
 せずにぽいっと放り込むのも無秩序現代アート気分。
 イカスぜ。
・物干し台
 洗濯したけど外まで干しに行くの面倒くさ~い。
 それ以前に兵な俺は干し竿さえ持ってないぜ!
 なんていう剛毅な人。 ダンボールは結構水分
 吸いますよ。 そのへんに置いたダンボールに
 ばらばらとのせちゃえ!
 『衣装ケース』『本棚』との併用もスペースがお得。
・テーブル
 ダンボール置けばローテーブルでもサイドテーブル
 でもあなたのお好み次第。併用でもいいし、使わ
 ない時は畳んでおいてもいいし。
・鍋敷き
 料理上手なあなたならきっと知ってるはず。一番
 の調味料は出来立てを食べること。でもフライパン
 の置き場所が!? 心配無用。ダンボール鍋敷きが
 全てを解決してくれますよ。

この他にもちょっと通になればちょっとした身の回りの小物を日時順にダンボールにつめて、数年たったものは中身を確認せずに捨てていく、なんていう超整理法みたいなことも出来るよね。超スマート。カッコい~。

ってな生活してたのを知られて同居人にかなり呆れられました…。寂しいのでダンボーラー同志求む!(いないか)

2004.01.30

MyBlogListノムコウ

昨日からMyBlogListを導入して、さて登録先を追加していこうとあちこちのページを覗いていてふと思ったことを…。

どんなページを自分のMyBlogListyやマイリストに登録するかについては人によっていろんなスタイルがあるのだと思う。
毎日に行くところのみ登録する、相手のListに追加されたらこちらからも登録する、コメントやトラックバックを受けた人を登録する、一回見たページは基本的に登録、などいろんな利用パターンが考えられる。

そしてもし、頻繁に行くところだけを集めた場合、そこにはその人の嗜好やらが見え隠れしてくることになる。例えば自分の使っているブラウザのブックマークを見られるのはちょっと恥かしかったりしないだろうか?
こんなえっちぃサイトが登録されてるとか、ちょっとひかれちゃいかねないマニアックなサイトが登録されてるとか。人によっては自分が死ぬ前に始末しておかねばならないものリストに本やビデオやその筋のブツ、秘密のポエムノートやどこぞからダウンロードして集めたちょっとアレなデータ以外にブックマークも対象に入るかもしれない。
MyBlogListもある意味ブックマークリストだ。同じことが言えるだろう。登録出来るサイトの対象はブックマークより狭くなるとはいえ、ブックマークより格段に容易に外部へ知られてしまう…というか自ら公開しちゃってるのだから。これは下手をすると
「ボ、ボクのMyBlogList、そんなにじっくり見ないで…あぁっ」
ってな事態に発展しかねない。(なりません)

元々登録しないのは忍びなくて、ダミーページを沢山登録して『本命』を隠す木の葉を隠すなら森の中作戦などのテクニックも編み出されているのかもしれない…。
だが、ある程度偏っていてこそMyBlogListではないのかという気もするのだ。

……という話はあまり自分がListに追加してないうちに出しておこうと思い、さっそく書いてみた。この判断は賢明か自滅か!?

2004.01.29

都市伝説誕生の瞬間

都会に噂される恐ろしいエピソード。まことしやかに囁かれるその話が真実であるのか誰も知らない。

今回はとある実話を紹介しよう。

『人体の不思議展』というのがある。各地を廻っているのでご存知の方も多いと思うが、これは人体標本(もちろん本物)を展示してあるイベントである。その中には綺麗に輪切られた人体サンプルも存在する。

結構前の話だが、福岡にも不思議展がやってきたのだ。
その話を地下鉄通路で某同居人と二人で話していたのだが、某同居人はたまたま向かいから通りかかった人の何かが気になったのか、話してる途中でその人の方を振り返った。

「話しながら振り返った」…つまり、途中でその人の方を向いて話続けたのである。タイミング悪く(良く?)その時の言葉が
(すれ違う人を見ながら)人体輪切り(見るのやめて)とかあるらしいよ」
だった。

これを、通りすがった人の視点で再現してみよう。

向かいから見知らぬ二人連れがやってくる。特に変わったところがあるわけでもない。私は気にとめることもなく二人の脇を通り過ぎようとした。

そのとき!突然女が振り向き、私に見てにやりと笑いながら言い放った。

「人体輪切り」

恐怖に凍りつく私を残し、女は何もなかったかのようにそのまま去っていった。

ということになる。
都市伝説『人体輪切り女』、略して「ジワオ」が誕生した瞬間である。

ジワオ、どっかで囁かれてませんか?

2004.01.28

イキツケMyBlogList導入

あちこちのblogを見ていたらよく見かけるMyBlogListやBlogPeopleの見出し。
なんだろうと思いつつあまり気にしてなかったのだけど、たまたま見かけたKOROPPYの本棚さんの記事でわかりやすく説明してあったのを拝見させて頂きました。非常に参考になりました。ありがとうございます。

なるほどこれは便利そうだ、ということでうちのイキツケリストとして早速導入。
ココログ画面上でも更新状況もわかるし、MyBlogListのページへ飛べば登録したblogのサマリーも見れる。そろそろRSSリーダというのも考えたのだけど、よっぽどイキツケ先が膨れ上がらないうちはこれで十分かな、という気がしてきた。[人]のマイリストで自分なりにそのサイトの1行紹介をつけて、というスタイルも好きだったのだが、気楽に登録先増やすには向いてなかったので…。これで登録先も気兼ねなく増やせるかな。
あとはおいおい表示内容を何通りか試して必要十分なシンプルさにカスタマイズしよう。

ココログ内の疑問はココログ内で解決出来るものですね~。

犬特別支出を計上する

先日、うちの愛犬小春が1歳になった。うちへやって来てから約9ヶ月、当初これからどうなるのかと思っていた噛み癖等もすっかりなくなっている。なにやら感慨深いものがある。ま、今でもかなりやんちゃだけども…。

ようやく犬のいる生活が普通になり、落ち着いてきた感じ。これから犬を買おうとしている人の参考になるかわからないが、ワクチンや餌代、トイレシーツ等、最初予想していた出費以外にかかったものが意外とあったのでちょっと紹介しておこう。勿論一例に過ぎないので部屋の装備や犬種、性格で全然変わってくると思う。

うちは元々ペット対応の部屋を借りているので基本的には楽だった方だろう。コンセントは高いところに設置されてるし、床もすべりにくいものになっている。空気清浄機も標準装備で玄関のところには飛び出し防止のための枠も着いていた。

それでも被害は多々あった。主にケーブル類だ。
まずパソコンのLANケーブル。うちにはノートPCとDesktopのMacがあるのだが、繋いでいるLANケーブルやそのプラグ部分のプラスチックを噛み砕かれてしまった。以前から部屋を縦断するLANケーブルは見た目的にもだらしないということもあり、思い切って無線LAN化してしまった。ルータ側の無線カードも含めてカード3枚、約2万の支出であった。(AirMacカード高い…)

ノートPCはペットの監視にも使ってるため、ケージの近くに三脚で設置しているのだが、この電源ケーブルも何度か噛まれ、数箇所断線していた。感電するといけないのできつく叱ったりビターアップル吹きかけたりしてたのだが効果なし。ちょっと目を離した隙にやられていた。ACアダプタもオプションで購入しなおすと結構高いのでバラして編み直し、ゴムテープで補強して使っている。
三脚の足も結構噛まれてるが、まだ持ちこたえている。ノートPC自体も倒されたりで瀕死状態。これが逝っちゃうとかなりの額が計上されそう。危ない危ない…でもそうなったら無線LAN内蔵のニューマシン買えるなぁ(小うっとり)

お次もケーブル。うちで今だ現役として活躍しているドリキャスことDreamcastだが、そのキーボードが噛まれて断線。AVローボードの下に置いてるので格好の餌食だった。PCのACアダプタケーブルと同じように復旧を試みるが、どこかまだ選り分けきれてなかったのか動作せず。それどころか本体が全てのコントローラを認識しなくなってしまった。小春と俺とのタッグ破壊である。普通ならもう現役引退…なところだが、うちではカラオケマシンとしてばりばり使用されているため、中古のDreamcastとキーボードを買いなおし約6000円の支出。

生活雑貨も例外ではない。
まずゴミ箱。背の低いのや、木製はダメ。齧られ、荒らされるのだ。そうしないように躾をするのが正しいのだが、覚えてもらうまで荒らされまくるのを見てるのも何なので処置としてフタつきプラスチックにしたり、届かないところに吊ったりしている。支出額は3000円くらい?
また、小春が子犬の頃は安全地帯だったコタツテーブルやソファも成長してくると危険ゾーンと化す。落ち着いて作業出来るエリアがないと困るので結局背の高いテーブルと椅子を購入してリビングへ。導入には同居人の強い意図が隠されていたような気もするが、合計約3万ちょい(だっけなぁ)の支出。
ベッドの近くのミニテーブルも例外でない。特にこのテーブルは柔らかめの木材で出来ていたため、かつおぶしの如く噛んで削られまくり、格好の餌食となっていた。ウンチからも木屑が一杯出てきてたのでこりゃアカンと買い換え。約3000円の支出。

隠れた消耗品(?)もある。ラグマットなどは特に新入りの弥七が来てからは度々おしっこ被害にあい、洗濯に出すハメになる。クリーニングに出すとかなり高いのでコインランドリー等を活用するとしてもデカ物だとそこそこの支出だ。

そして目に見えるチャックはほとんど破壊されてしまった。クッションは裏にチャックがついてるものに買いなおし、また布団カバーも補修状態だ。ソファーが無事なのが不思議なくらいだが随分爪で毛羽立ってきた気がする。これがやられると被害額高騰か。
服もチャックもの、ボタンものは次々と破壊されていく。時には来客被害も…これはなんとかせねばなぁ。

とまぁ、そんなわけで被害額は尽きることがない。皆さん参考に…ならないかなぁ。

2004.01.27

MZ自作ゲー時代

ナツカシマイコン番外編というか、こういう機会がないとなかなか振り返ることもないと思うので前回経緯を書いたMZ-1500時代に自作していたショボプログラムの数々を記憶にあるほんの一部だけでも辿ってみようと思う。

『初期のモロモロ』
初期はラインで引いたアミダ目みたいなのを邪魔の避けて塗りつぶしていくとか、上スクロールで邪魔キャラにぶつからないようにワンキーで方向転換操作していくものとかそういうの。蛇のように体が伸びていってどこまでぶつからずに延びていけるか、とか。みんなで同じようなの作ってたなぁ。
パレット変換で通路を3Dで高速で進んでるように見えるものとかの実験的プログラムも含め、こういうレベルのが何十個も作られていた。この時期を抜け出してようやくPCGを使ったキャラクターゲームが作られていく。

『スケバン刑事』
左右から来る敵をひたすらヨーヨーで倒していくちまちまゲー。
本人が言うのもナンだが全然楽しくない。振り返ってシャー、振り返ってシャー、振り返ってシャー…。これで楽しいはずがない。ゲーム性のゲの字もなかったなぁ。スケバン刑事なのに何故かオープニングメロディがキャッツアイ。もう何なんだか。スケバン刑事(漫画の方)の一気読みをした頃に作ったんだっけ。

『テトリス』
当時ゲーセンでハマる人が続出していたセガのテトリス。
ルールや画面は簡単だったため、パソコンを持っていた人は自分でも作ってみたくなったはず。俺もその中の一人。
ちゃかちゃかと2日くらいで出来たが、S-BASIC&高速化をあまり工夫のない作りになっていたので徐々に速度をあげるということが出来なかった。いつまでも対応出来るスピードなのである…。高速化考えるのも面倒なので放っておいたが、友人には一番好評だった。一応、ゲーセンテトリスの練習になるからだろう。
その後、Oh!MZでのBASICコンパイラにてゲームとして成り立つ速度になるがその時は既にブームは過ぎてしまっていた。

『アドベンチャー』
今となってはタイトルがあったかどうかも不明。
あの有名なデゼニランドに影響され、友人と二人で共同で作成していた。友人が方眼紙に絵を描いて、座標を読み上げ、俺がそれを描画ルーチン向けのDATA文へ落としていく。
勿論コマンドは選択でなく単語入力式。何画面分作ったのか覚えてないが、結構画面数はあったような気がする。ただしストーリーと呼べるものはなく、単純に画面毎に意味があるのかないのかわからないようなキーワードを当てていくだけのゲームだったと思う。昔作った実験プログラムも活用され、意味もなくワープするシーンがあったり、PSGでの効果音とかが脈絡なく入っていた。あるものは全部使え的な節操のなさだ。
途中でメモリが尽き、2段ロード、3段ロードと増えていったが、3段目あたりで挫折。
コマンド入力アドベンチャー全盛だった頃。勢いに任せて同じようなの作ってしまった人多いんじゃないだろうか。

『多重スクロールへの挑戦』
初めてマシン語を取り入れたもの。アセンブラなどないのでいわゆるハンドアセンブルだった。当時バリバリだった人なら今でもダンプリストをすらすら読めたりするのだろうか。
俺はこのチャレンジ以外では結局あまり触れないままで終わってしまった。"C3"がJMPで"C4"がCALL,"C9"がRETだっけ、とかその程度。(たぶんそれさえも間違ってる)
これでは横スクロールシューティングを想定し、画面下部の地上部分が多重スクロールするようにしたもの。スクロール部分の出来栄えは結構気に入っていたが、敵の動きアルゴリズムとかが組めないままに放置されて終わった。
似たような横スクロールものとして、PCGのキャラ定義入替えで滑らか横スクロールを実現させようとしていたものもあった。なんだかわからないがスクロールにこだわっていた一時期。何故!? キャラもちゃんと横向きに走るようなアニメーションパターンを作っていた。何か影響されるようなゲームがゲーセンで出てたのかな。ナムコの源平討魔伝はもちょっと後だったような気がするけど…。
この時だけプチなめらかフェチだったのかもしれない。

『本格RPG(のつもり)SPINOZA』
大きめの作品にしては珍しく完成したもの。ブラックオニキスによりRPGが流行りだしていた頃で、その路線を目指して作った。
画面は3D表示の迷路とタイトル、HP等のパラメータ、敵モンスター表示画面、位だったかな。迷路を進んで遭遇した敵を倒してパラメータが成長していく、というRPGの経験値による成長エッセンスだけを取り入れたもの。
とりあえず画面のクオリティをそれっぽく見せるためにTEXTをそのまま使わず、タイトルもパラメータ数字も全てPCGで手作りしていた。当時友人数名とSARADA SOFTと名乗っていたので、そのロゴもPCGで作って入れていた。(スペル間違いにも気づいてない頃だ…) 見た目に頑張ったおかげか仲間内での評価は一番良かった。
3D迷路といってもテキストの組み合わせによるもので、前に進める、左右に道がある、がわかる程度のものだった。
一番自分なりに頭をヒネって工夫していたのはすぐになくなるBASICプログラムのメモリ領域不足を解消するためのPCGエリアへの迷路データ格納だった。迷路データはまず方眼紙に書き、それをそのマスの4方向に扉があるかで2進数⇒16進数化しPCGデータ領域に格納していた。敵モンスターのグラフィック定義も含めてPCG設定のプログラムと本体プログラムを分け、2段ロードさせて残りメモリを稼いでいた。
迷路データ入力ミスをきっかけにある方向からは入れるが入ると戻れない隠れた壁が実現できることに気づき、ちょっと嬉しかった覚えがある。
操作は迷路を進むカーソルキー、敵と遭遇したら(単に乱数)戦闘モードで上キーなら戦う、下キーなら逃げる、それだけのゲームだった。敵キャラクタも15種類くらいはいただろうか。一応ラストのボスもいたが、自分含め、誰もズルなしでそこまでたどり着いたことはない。てか、ボス体力設定値がハンパでなかったような…しかもラストのネタが凄い。
自分でも呆れるが当時は真剣に考えた末の設定だったのだろう。何故RPGで無限にモンスターが発生するのか、その親玉になれるものとは? というところからの思いつきだったのだと思うが、たどり着いた先にある水晶玉こそが"SPINOZA"であり、それがなんとマイクロ惑星にちゃちいアニメーションで変身するのだった。「生命を誕生させるもの=惑星」という涙がちょちょ切れそうな発想である。
ちなみに"SPINOZA"は辞書で適当に引いた哲学者の名前。

『本格RPG(のつもり)第ニ弾 Doldon』
SPINOZAの反省とその後ハマっていたファンタジアンの影響を受けてグレードアップを目指して再度イチから作っていたもの。
PCGエリア格納迷路はそのままに迷路の表示を多段化し、3つ先くらいまで左右通路の有無もわかるようにした。戦闘は上から見たターン制のタクティクス風(というかファンタジアンのパクり)だった。モンスターキャラもサイズが大きくなり、デザインも結構進んでいた。キャラ毎の性格(常に迫ってくる、逃げまくる、ランダムに動く、動かない等)まで設定されていたが実際に作ったのは常に迫るやつと動かないやつだけだったような気がする。
とにかく設定とパーツの作成は進んでいたのだが、結局どこかでメモリの残量から無理だと思ってやめた。
"Doldon"はかつて熱心な宗教家であった王が娘の死をきっかけに神を憎む狂王となった、という設定だったような気がする。(当時本人大マジメ… うひぃ)

『DOORS』
これはほとんど設定だけで終わったもの。
次々とドアを開き、部屋へ入る。上から見下ろしたような部屋には物や模様が描かれ、さまざまな謎が…というようなパズルっぽい要素、ミステリー要素を目指そうとしていたもの。
今考えるとZELDAの伝説に近い要素だなぁ。(アクション性なかったけど)
ネタだけはあれこれ考えられていて、当時のノートに書き綴っていた。攻撃魔法の名づけシステム(最初の偶発的発動時に名づけた名前で画面上に吹き出し表示される)、戦闘時は複数メンバでの合体技あり(ナイフ投げ+雷撃でダメージアップ)等、考えるだけ考えて膨らみすぎたばかりにそのまま放置されてしまったのかもしれない。
この頃既にあまり盛り込もうとするとメモリ限界で終わるってのがわかり始めてたのかも。計画的に作ればいいのだがそんなスタイルではなかった。

他にも覚えてるのはあるが、どこかの他機種プログラムの移植みたいなものだったり、上に挙げたもの以上にしょうもないものばかり。共通していえるのは総じて有名ゲームの影響を受けたパクりとゲーム性のない乱数頼りであることだ。

たとえネタ元が何であろうと、出来たものがどんなものであろうと、食事も忘れて部屋の電気をつけるのも忘れてひたすら毎日パソコンに向かっていた。ネタを考えついたらすぐにノートにとるか、プログラミングを書き始めていた。素晴らしく充実していたのだと思う。

そしてそれが当時のいちパソコン少年の日々の生活だった。雑誌投稿出来るほどではなく、でもプログラム作るのは大好きな、そんな大勢の中の一人。
きっと同時期、同じ生活をしていた人が沢山いる。機種が違っても地域が違っても年齢が違っても。同じように家族から呆れられてたかもしれない。同じように仲間と作品を競っていたかもしれない。同じように新機種の噂に胸を躍らせ、10年後のゲームの姿を想像し…。
そして今、同じような懐かしさでこれを読んでくれている人がいるかもしれない。幸せだったなぁ、としみじみ思うかもしれない。

俺らはゲーム文化とパソコン文化の貴重な黎明期を過ごさせてもらった。こんな私的で長い話、読んでくれてる人がどれだけいるのかわからないけど、あえて言わせて欲しい。

今は今で別の楽しみが沢山あるけど、あの頃のアレ、楽しかったですよねぇ。

前回の記事を書いてから、続きはちびちび書こうと思っていたのに結局一気に書いてしまった。そのときの熱意の残滓がそうさせるのか。
ちなみにこの後、シャープユーザのお約束のように所持機種はX68000へ流れていく。
X68000の話や他機種の思い出はこの頃の傾向からいくとまた長くなりそうなのでいつかまた別の機会があれば…。

2004.01.26

我が青春のMZ1500

ナツカシマイコン、ペンギン叩きの襲来により一日間が入ってしまった。
前回結局自分のマイコン購入まで話がいかなかったのでようやく続き。

さて、『ナイコン』時代を過ぎ、ようやく手に入れた自分のマイコン。それがシャープのMZ-1500だった。発売が1984年なのでちょうど20年前か……いかん、ちょっと意識が遠のいてしまった。

MZ-1500は89,800円と手頃な価格で、名機MZ-700の後継マシンだった。画面解像度は320×200と少々低いがPCGによるグラフィック、PSGによるサウンドに対応していた。また基本的にMZ-700のソフトは何でも動く。そして何よりこの機種が特徴的だったのはQDことクイックディスクを標準搭載した初のマシンだった点である。

『速いぞQD』
QDはフロッピーディスクの小さい奴みたいなもので、片面の記憶容量が64KB、両面使えたので1枚で合計128KBだった。当時としては十分過ぎる容量だった。その64KB分をなんとわずか8秒で読み込むことが出来る。カセットテープが主流だった当時の機種としてはダントツのスピードだった。
実際にはフロッピーと違ってランダムアクセス出来ないとか、1ファイル8秒なので3ファイル読み込んだら24秒以上かかってた、とかあるのだが、それを差し引いてもこの速度は別次元のものだった。せっかち野郎な俺はそこにシビれて購入を決意したといってもいい。
購入資金は前回で触れた貯蓄計画で貯めていたお金と親が貯めてくれていたそれまでのお年玉。ディスプレイまでは手がまわらなかったのでとりあえず本体だけだった。(当時のマイコンは普通のTVに映せるものが多かった)

『合言葉はさんだーふぉーす』
当時のMZ-1500ユーザの中でQDの魅力とともにあるゲームに魅せられて購入した人が多いのではないかと推測する。
あるゲームというのは言うまでもない、『サンダーフォース』である。MZ-1500の発売に合わせるようにリリースされたこのゲームは「QDから8秒で起動!」「高速スクロール」「綺麗な画面」と、MZ-1500の性能を誇示するに十分なものだった。
ゲームを開始するとまずのっけから驚くことになる。
「さんだーふぉーっす!」
そう、このゲーム、スタート時に音声で叫んだのだ。音声合成ボードもなく、いきなりしゃべられると白旗をあげるしかあるまい。
ちなみにこのゲーム、難しくて俺はクリア出来てないままでした…。

『白黒TVでのスタート』
本体を購入したはいいものの、手持ちのお金で買えたのは本体と何本かのゲームソフトのみ。画面は普通のTVに映して使用することになる。しかし、使い出せば何時間も画面とにらめっこするものだからなかなか家のテレビを占領さえてくれたりはしない。
そもそもマイコンについて家族の理解は全くなかったのだ。こんなに面白く便利で世界を変えるものなのに、という思いは通じることはなかった。たまに誰にでも出来るようなゲームを餌にTVに接続させてくれることはあったが、基本的に普段は使えなかった。お客さん用の部屋でこっそりTVに繋ぐしかなかったのだ。今となっては家族もそれぞれの家庭で当たり前のように
パソコンに触れているのだから、密かに「それがお前らが価値を認めなかったパソコンだよ。どうよ?」な気分になったりもする。でもまぁ確かに当時のマイコンで出来ることは限られてたもんなぁ…。
話がそれたが、TVを求めて家の中を探し回り、もう使われてない白黒TVを発見した。それが当面のメインディスプレイとなるのであった。白黒だよ、白黒。しかも電源入れて画面出るまでに十数秒かかる。電源消すと「ちゅいん」という音とともにしばらく画面中央に白い光が残ってんだよ。プログラム作成は文字さえ見えればいいから…と自分を騙しながら白黒プログラミング、たまにカラーTV確認な生活が始まったのだった。

『ディスプレイ導入!』
白黒生活からどれくらいか経った頃、ようやくカラーディスプレイの購入資金が溜まり、電器屋の現品を安くしてもらって購入した。ついにフルカラーディスプレイだ!(くどいようですが、フルカラー8色…です)
嬉しさのあまり思わずパレット変更プログラムで遊んでしまったよ。カラーナンバー設定の美しさにも感心していた。(プログラムで指定するカラー番号は0:黒,1:青,2:赤,3:紫,4:緑,5:水色,6:黄色,7:白と続きカラー番号の合計=混ぜた色という並びになっている)
文字もなんと、1ドット1ドットまで見えるではないか!
カラー画面時間の束縛もなくなり、ますますプログラミングにハマっていった。

『力技グラフィック』
MZ-1500はグラフィックに対応している…が、その仕組みは特殊で、PCG(自分で好きにデザインできる文字みたいなもの)を画面びっしり40×25個の1000キャラ分ならべてグラフィックとしていたのだ。設定できるPCGは全部で1024個。残った24個のみがグラフィックモードで使用できるPCGだった。…つまりライン引いたり、のプログラム作ったらキャラクタを表示出来るのはたったの24個しかなかった。
またグラフィックモードでラインを引くとシュインシュインと音が本体からしていた。勝手にライン音と呼んでいたが何故なのかは不明。もしかして俺のMZ-1500だけだったのだろうか。

『CGと中間色』
グラフィックモードでの楽しみの一つはCGだった。MZ-1500はこの分野、あまり得意ではなかったと言える。
弱点の一つは解像度。値段自体違ったのもあるが他の640×200を表示できる機種に比べるとラインが汚く見えてしまう。
またもう一つ大きな弱点は標準で付属していたS-BASICが中間色に対応してなかったことだろう。中間色はもともとそのまま発色出来るものと、見た目そう見えるように二つの色を格子状に並べることで二つの色の中間の色に見えるタイリングペイントに分かれていた。
当時多色が出せる機種なんてほとんどなかったので、基本的にはタイリングペイントなのだが、MZ-1500ではその後Hu-BASICが発売されるまでBASICでは8色ペイントを強いられていたのだ。(タイリングペイントサブルーチンをマシン語で追加するツワモノもいた気がするが)
ついでに当時のCG技術がどのようなものであったかも書いてみよう。
殿堂はPOPCOMに掲載されることだったのではないだろうか。サンデー系のマンガキャラクターは独占されていたように思う。誰かが作ったCGを見るには、座標データの含まれたプログラムリストを延々入力していたのだ。DATA分で延々列挙される座標。そしてそれをライン文でつなげ、塗りつぶしていく。プログラムを実行すると1本1本線が引かれ、塗りつぶされ…まさに絵が描かれていくのだ。
自分で作ろうとするとまず方眼紙に絵を書き、それを座標データ化していくことになる。市販のアドベンチャーやCGソフトも概ねもそんな感じ。描画手順を記憶しておいて、自動再生するようなものが多かった。
最初にゲームとかで超高速描画として1画面描画0.x秒!みたいなのを見たときは感動したなぁ。当初はあれも裏でライン引いたり塗りつぶしたりしてるのだと思ってました…。

『Oh!MZとの出会い』
この当時はパソコン総合誌以外にもソフトバンクからメーカ毎に雑誌が発行されていた。
NECユーザなら「Oh!PC」、富士通ユーザなら「Oh!FM」、SHARPユーザなら「Oh!MZ」(後にOh!Xとなる)といった具合。
これらの雑誌はそれぞれのメーカのコミュニティであり、ある意味リーダーでもあった。MZ-1500の購入でMZユーザとなった俺も「Oh!MZ」読者となるのであった。
Oh!MZの思い出を語るとまた長くなりそうなのでやめるが、とにかく技術肌のクセのある雑誌で、俺自身、受けた影響は計り知れない。一番の根幹は「ないなら自分で作る」という精神だったと思う。
MZと並行して出ていたX1シリーズからX68000へと繋がっていくその流れの中でこの雑誌が担っていた役割、そしてそこから輩出された人材はかなりのものだったのかもしれない。

『パソコンサンデー』
パソコンをテーマとした番組は少なかったが、「パソコンサンデー」はメジャーな方だろうか。提供はシャープ。
結構長いこと続いてた番組みたいだが、1年毎(?)に使用機種が変わっていく。そしてついにMZ-1500がターゲット機種となったのだった。細かい内容はもうほとんど覚えていないのだが、中村光一さんがドアドアとか動かしてたような…。
この番組の試みで面白かったのは副音声でプログラムを流すということだった。「ピーガガガ…」が副音声で放送され、それをカセットテープにとるなり、本体で読み込ませればプログラムをゲットできるのだ。しかし、俺はこれで一度も成功したことがなかった。映りもそんなに良くなかったしTVのノイズだったのかなぁ。

『その後のMZ-1500』
時代が過ぎていき、残念ながらMZ-1500はあまりブレイクせぬまま黄昏ようとしていた個人的には十分に遊ばせてもらったという印象だったが、寂しかったのも事実。
そしてうちのMZ-1500もガタが来始めていた。
QDは読み込み失敗が多くなり、何度も何度もカッシャッシャッシャーーンとうるさい音を響かせていた。バネは弱り、輪ゴムで補強していた。キーボードの反応も悪くなり、メンテナンスがかかせなくなっていった。ゲームで多用するカーソルキーとスペースキーは特に顕著で、月に一度はバラして掃除していた。
ある時期からさらにQDのディスクが入手しにくくなった。需要の問題もあるだろうが、まことしやかに噂されていたのはファミコンのディスクシステムでQDが採用されたせいではないかというものだった。ケースこそ違うものの、ディスクシステムの中身はQDだった。実際、とある雑誌でツインファミコンとMZ-1500をつなげてディスクのコピーをするというものも掲載されていたくらいだ。
この話の真偽の程は定かではないが、確実にMZ-1500は主流機種としての寿命を終えようとしていた。

ああ、また長い…。

今にして思えばMZ-1500はえらくクセのある機種だったんだなぁ。
雑誌でも性能的に上位にあったのに旧機種のMZ-700の方があの偉大なる「MZに不可能はない」シリーズなどで大きく取り上げられていたような気がする。使用後期はOh!MZでの取り組み(機種互換OS「SOS」やその上で動作する各種言語プログラム等)でのプログラム知識の習得に大いに役立ってくれた。
そんなわけでMZ-1500はいつまでも俺の中で、いろんなものを教えてくれた名機なのである。

また時間があれば当時どんなショボプログラムを自作していたかなども書いてみたいと思う。

2004.01.25

ペンギン受難!?

ぴっくあっぷ。さんのメモ経由でぞうさんちv2さんのところで紹介されている「バットでペンギン」を試しにやってみたらまんまとハマってしまった。
バットでペンギンを叩いていかに遠くへ飛ばすか、というゲームなのだが、単純ながら手軽なのでつい何度もトライしてしまう。
現在の私の最高スコアは320.5。イケた!と思ったやつがもう4回くらい同じ数字。あとワンタイミングだけズレてるのかなぁ。
batpengin320.JPG

このゲーム、細かいところのペンギンの動作が丁寧で感心してしまう。落ちてくるときの足ペタペタとか、滑空状態の姿勢、滑って着地して止まる直前の体の揺れ。そして何よりも止まってスコアが出た後の「記録は?」といいたそうな振り返り。そこが『競技』っぽい感じに見えて、あまり残酷さを感じさせない。

攻略としては、角度がつきすぎると頭から突っ込んで埋まってしまうので、いかに埋まる直前の角度をつけて滑らせるかなのだろう。 180付近で最初のバウンドすれば高記録かな。190あたりまで飛ばしてしまうと埋まってしまうみたいだから。

昨日の続きでも書こうかなと思ってたのにずっとコレやってました。ここに画像あげるために画面キャプチャソフトを落としてインストールまでやってしまった…。本家もあるみたいだけどなんとなく本家よりこっちのほうが好きです。
何か仕事とか勉強抱えてる人はプレイを避けておきましょう。絶対逃避しますぜ!

しかし、さべちんのペンギン虐待女といい、ペンギンってこういうキャラなのかなぁ。

(1/27追記)
その後上記リンク先は強化人間版になったようで飛距離がUPしてるみたいです。今ちょっと試してみたら1215でした。1224あたりが限界値らしいので、いつもあとわずか及ばないのな、俺…。
batpenguin1215.JPG

2004.01.24

ナツカシマイコン

ぴっくあっぷ。さんの記事でパソコンとの出会いの思い出話を拝見させて頂いた。
家庭用パソコン黎明期にどっぷり漬かっていた者の一人として反応せずにはいられない。

初めてパソコンに触ったのはPC8001(mkII?)だったと思う。もう20年以上前かな。当時からゲーセンを主な遊び場としてたゲーム好きで、その日もとある電器屋の電卓コーナーでボクシングゲーム付き電卓に興じていた。(話が逸れるがこの電卓ゲーム、みため普通の電卓の液晶のところにボクサーの絵が出て対戦するのだがなかなか良く出来ていてハマってた覚えがある)

遊ぶだけ遊んで帰ろうとしたとき、それまであまり足を踏み入れてなかったコーナーを通りかかった。そこである画面が目に飛びこんできたのだ。
「あ、あれってクレイジークライマー!?」
それはPC8001で動いていたクレイジークライマーもどきだった。
ゲーセンでも大好きだったゲームが少々寂しい画面ながらも動いている。動かしていたおそらく当時高校生位の見知らぬ兄ちゃんに話しかけ、プログラムの入ったカセットテープをもらったのだ。(もしかしたら知らない人もいるかもしれないが、この頃のデータの保存は主にカセットテープでした。フロッピーなんて20万の時代)

これ以降、この電器屋を長期に渡って訪れるようになり、コンピュータという画期的なオモチャにハマっていった。
「タダでゲームができる」
というのが最初の一番の動機だった。
ファミコンも発売された頃で、実際のところゲームのクオリティはファミコンの方が断然高かったのだが、自分で作れば、雑誌のを打ち込めばタダ、というのが魅力だったのだろう。

当時自分でマイコンを持ってないが、店などで遊んでいる者は『ナイコン族』と呼ばれていた。俺もその一人で、ほとんど部活動ともいえるくらい、学校が終わってまっすぐ電器屋に向かい、閉店近くまで延々居座るのだ。休みの日は朝から晩まで。店の人はえらい迷惑だったろうなぁ。
でも仲良くしてくれる店員さんもいて(事あるごとに買え買え~と営業も忘れない)、同じような境遇の仲間も増えていった。お互いの少ない小遣いでゲームを買い、皆で遊んだり、自分の作ったプログラムを発表しあったり。
「これ本当に作ったの?市販じゃなくて?」
なんて言葉が一番の賛辞だった。
(誤解のないように言っておくと、スゴいゲームが作れたワケではない。一部の大手から出てるゲーム以外は市販ゲームといえど自作ソフトと変わらない、ショボいものも多かったのだ。ある意味作り手と受け手の距離が最も短かった時代だろう)

この頃マイコンはハードウェア的に多方面への進化を試みている時期であった。表示も文字等のキャラクタからグラフィックへ。カラーも1色から8色(当時はフルカラーといえば8色を指した)、果ては総天然ショックへ。音楽もBEEP音からPSGやFM音源へと。(音声合成機能で歌えるようになったりね…)
ハード毎の拡張性、互換性なんてまだそんなに重要視されてなかった。新機種にはそれまでになかった様々なハードウェアが搭載され、人気や需要にあわせて進化と淘汰を繰り返していた。
機種毎の個性の違いが強いため、機種やメーカ毎のファンがつき、他機種のファンといかに自分達のマシンが優位にあるのかを言い合っていた。その後徐々に没個性化していくパソコンの歴史を見ると、これだけ毎回新機種をわくわくして待っていた時間というのは貴重な、そして幸せな時間だったのではないかと思う。

ゲームもグラフィックを用いたゲームが主流になっていきつつあり、ジャンルも単純なアクションゲームが中心だったものが、海外の流れを受けて、アドベンチャーやRPGなど広がりを見せていた。OSも機種毎にバラバラ。搭載されているプログラム言語も基本はBASICではあったもの、文法の違いなどは多々あった。雑誌に載る投稿プログラムもじょじょに文字キャラクタでないグラフィックを用いたものが増えていた。そんな過渡期。

当時のことで今も覚えている失敗がある。
いつものように電器屋通いし、そこでI/Oだったかに載っていたMZ-80B(だったと思う)用のかな~り長いプログラムを何日もかけて入力していた。
長かった入力作業も終わり、ようやく実行だ!とF1キー(シャープ系は確かF1にBASDICプログラム実行コマンドRunが定義されていた。NEC系はF5,富士通系はF3だったかな…ってどうでもいいか)を押した。
「あれ?」
画面にはスコアの文字とまっくろな画面があるだけ。たまに何やら画面に表示される文字もあるが、何がなんだかわからない。
これも過渡期の悲劇。当時、標準ではテキストしか表示出来ないマシンが多かったのだ。グラフィック用メモリであるG-RAMを載せてはじめてグラフィックを表示できるという仕組み。途方もなく長いと感じたあのプログラムはグラフィックを駆使したものだった。そしてこの電器屋のマシンにはG-RAMなんて載っていなかったのだ。いつか載ったので出来るかもしれないとカセットテープはしばらく保存し続けていたが、結局最後までその機会は訪れることはなかった。期待に満ちて入力し続けたあの時間。今でもすっぱさがこみ上げてくる…。

『ナイコン』時代に主に電器屋で使っていたマシンはパピコンことPC6001だった。89,800円という価格が「いつか買えるかも!」と希望をもたせた。
俺は部屋の壁に目標金額89,800円とそこにたどり着くまでの貯蓄計画を書いて貼っていた覚えがある。月の小遣いからベーマガ(マイコンBASICマガジン。各機種の投稿プログラムをメインで掲載した雑誌。先日ついに休刊となった)代の300円が除かれた額が毎月累計されていく予定表である。ちゃんとお年玉収入まで推測値を入れていた。当時千円程度しか小遣いもらってなかったのに一体何年がかりの壮大なプランになっていたのやら…。
欲しいものが出来たらちびちびお金貯めて一括購入!って癖(?)はこの頃に形成されたものなのかもしれない。
さらにあの有名なすがやみつる氏の『こんにちわマイコン』についていたPC6001の実物大キーボード写真を机に貼り、タイプ練習をしていたことは誰にも言えない秘密の一つである。他の書籍では『はるみのゲームライブラリー』シリーズも必須本だった。PC6001用の平安京エイリアンとか頑張って入力してた覚えがあるが何故か遊んだ記憶がない。動かなかったんだっけなぁ。
他の機種もベーマガ片手にかたっぱしから触っていた。(目当ての機種を誰かが先に使ってると何も出来ないため、誰も触ってないマシンでも遊べるように自然と多機種触わるようになっていく)

マイコン関連雑誌も次々と創刊されていった。
ASCII、マイコン、I/Oなどの大御所は勿論、ベーマガ、テクノポリス、ログイン、PIO,RAM…。
あっという間に消えていった雑誌たちも多い。ソノシートをつけてる雑誌もあった。(PIOか? でもすぐ音が伸びて読み込みできなくなってしまったような)

って、ここまでで既に結構長いなぁ。

そしてこの後『ナイコン時代』を過ぎ、初めて自分のマシンを手にすることになる…のだがそこまでいきつけてもないやん。
当時触ってたいろんな機種についてももっと書きたいところとかあるのだが、そのへんはまとめてまた次の機会に…。

2004.01.23

ナウシカ深度

先日TVでまた『風の谷のナウシカ』が放送されていた。
そして途中からではあるがまた見てしまった。これで見たの何度目なんだろう。少なくとも数年置きには見てる気がする。これだけ何度も放送され、また見てしまうというのは紛れもない名作なんだろう。

風に乗って空を駆けるメーヴェ、王蟲をはじめとする蟲たちの動き、戦車の動き一つをとっても躍動感に満ちている。
既に知っているストーリーを追うことだけでない、各々のシーンを再度見る楽しみがあるから何度でも見るのだと思う。

さて、何度か同じ映画を見ていると特徴的なセリフを覚えてしまうのはよくあることだ。そこから更に何度も見ていると生活へ染み出してくるものらしい。そして既にナウシカはそのレベルに入っている。
うちで一番使われるのを思い出してみると、

『腐ってやがる…。早すぎたんだ!』
王蟲の群れを前に担ぎ出した巨神兵が崩れていくシーンでのクロトワのセリフだが、これがえらく活用(?)されている。
「○○してやがる」といいたい場面ではほぼ使える。後につける「早すぎたんだ!」は意味をもたないことがほとんどだが、シーンに合わせて変えたり、そのままで無理やりこぎつけるのも通の楽しみとされている。こぎつけても口には出さないのであくまで心の中でだけの楽しみとなるが。
用例「牛乳切れてやがる…。(飲むの)早すぎたんだ!」
   「もう寝てやがる…。眠すぎたんだ!」

なんでよりによってコレが一番使われてるんだろう…。もっといいセリフが沢山あるだろうに。さらに次点が『なぎはらえ!』じゃどうしようもないか。(巨神兵好き!?)

2004.01.22

話の引き出し1年分

ここの記事数がいつの間にやら30を越していた。

そのうちここも書き飽きてネタも尽き、長い沈黙が訪れるのかもしれない。とりあえず開始当初より書こうと思っていた話とかは大体落ち着いてきた感があるので、そろそろペースダウンするかな。時事に関しての感想みたいなのや、まんま日記っぽいのは実は苦手なのだ。更新が続く人やずっと連載続ける作家さんはやっぱり凄いなぁ、と感心するばかりである。

今の目標は総記事数53になることだ。
なんでそんなハンパな数字なのかというと週イチで更新したとして1年越したら大体その数になるからだ。ちゃんと1年続けるのは自信がないので、短縮期間で1年やったつもりになることを目標としている。俺もなかなかのせっかち野郎だ。
まぁ、話の引き出しや日常の出来事も50くらいまでならあるんじゃないかという目算である。表に出せないような引出しの数なら結構あるのかもしれないけどねぇ。(どんなだ)

飽き性の自分へのチャレンジ。この数字目標は高いのか低いのか…。そもそもblogはそういう目的のために開くもの…でもいいよね。
この記事のついでに今までの記事一覧とか確認してみたら全然テーマが定まってないよな、ここ。ま、いいか。記憶も世間も混沌としているものなのだ。

2004.01.21

今は遠きラグオルへ(PSO)

どうやら俺は基本的にはせっかちらしい。
そのせいかゲーム好きではあるものの、RPGにはほとんど手を出していない。

かなり初期のRPG(ブラックオニキスやらファンタジアン、Wiz、ハイドライド、ドラクエIIIあたりまで…って古すぎるか)は目新しさもあってやっていたのだが、その後複雑化、長時間シナリオ化していく中で次第に離れてしまった。「約束された拘束時間」みたいなものがなんとなく性に合わなかったのだ。やりだせば面白いし、ハマりそうではある。だが一度でも中断してしまうとなかなか再開しなくなってしまう。

RPG世界から長いこと離れていた中で、久しぶりにハマったものがセガのPSOことファンタシースターオンラインだった。とはいえ、今となってはもう数年前のゲームなのか。早いなぁ。
PSO自体の説明はあちこちググればいくらでも出てくると思うので懐かしさを胸にハマった要因に絞って考えてみよう。(以下は基本的にDreacmcast版の最初のPSOについてです)

『オンラインであること』
当時(家庭用として)目新しく、またその時期を考えるとキーボードへの対応、ショートカットでの会話等、コミュニケーションのための最低限以上の機能を備えており、第一弾として完成度が高かった。
また開始当時まだうちはISDNだったのだが、速度的に困ることもなく遊べていた。プレイ中は4人限定とする割り切り、またプレイ中も情報量をかなり絞っていたのだろうが、それほど違和感を感じることもなかった。(たまに仲間が変なところ走ってたりワープしてたりはあるけど)
またある程度までレベルが上がれば魔法コストがさほど高くないため特に複数人プレイ時はお互いで援護しやすい。所持金もインフレ気味であまりケチる必要がないから薬もざくざくと使い切る人が多かった。そのおかげで相手をフォローしやすいゲーム進行になっていた。(たまたまだろうけど…勿論デメリットも沢山ある)

『オンラインもあること』
ここは賛否両論あるところだとは思う。オフラインがあるからこそデータ改竄などが横行してしまった側面は否めない。だが、ブロードバンド過渡期にあって敷居を低くするという点において大いに役にたったのではないかと思う。オフラインをある程度やりこめばオンラインで戸惑う要素が最小限で済む。通信費用をかけずにみんなに追いつくことも、一人黙々とアイテム収集に励むこともできた。(実際はオンラインで進んだ方がレベル上げもアイテム集めも早いけど)

『キャラメイキング』
PSOでは自分のキャラクターをいくつかの種族と衣装、髪型、そして髪や皮膚のカラーを選んで作成することになる。これだけでも結構なパターン数になるのだが、さらに身長やプロポーションをある程度自由に設定することが出来たのだ。「それらしい見栄え」を求めるとある程度使えるパターンは限られてしまうが、それでも自分のイメージに近いキャラクターを作り上げることが出来た。自由度は結構高いが常識から大きく外れることはないようになっているので、世界観から浮いてしまわないような絶妙なバランスとなっている。(アフロは微妙か!?) セクシー姉ちゃん戦士やチビ魔法使い、ヒゲむさ親父でも自分なりにイメージ通りに仕上げることができる。
これだけの選択の末に作ったキャラだからこそ愛着も湧くものだ。人よってはプレイ中は作り上げたイメージ通りのキャラクターを演じる人もいたようだ。まさにロールプレイング。

『シナリオの匠』
PSOはシナリオべったりにドラマが起きて…というタイプではない。
基本的にストーリーは先に探検し、記録を残してくれている先行者(中国のアレではありません)の跡を辿るようにして進んでいく。先に進むためのスイッチ等、簡単なパズルレベルのものはあるが基本的なストーリー進行はメッセージを見つけていくだけの簡単なものだ。だがそのガイド的なメッセージ跡を追うということがラストに繋がるシナリオとして成り立っているというのは巧みなシナリオの勝利だろう。
このおかげでストーリーに極度に縛られることなく、フィールドを次々と駆け抜けていくだけでシナリオを進めることができる。

『アクション性』
結局、俺がPSOを気に入った一番の理由はここにあるのだろう。
PSOにおける戦闘はターン制でなくリアルタイムに行われる。攻撃のアクションには簡単ながら3段コンボまでついている。ヤバイと思った次の瞬間に仲間からの援護魔法が届く。
それはリアルタイムならではの味わいだった。
何よりもうまく出来ていると感じたのは限られたボタンの中でリアルタイムにアクションを行うためのパレットという存在だ。操作パネルに限られたアクション発動の枠(パレット)がある。そこに自分の好きな魔法やアイテムの使用、攻撃アクションを当てはめていく。載せられる数に限りがあるだけにそれぞれ載せるべきアクションを工夫する。それがフィールドやシーンに合わせた戦術となっていく。ちょっと戦列が落ち着いたところでパレットを組替えたり、メンバで物資の補給をしたり。そういうアクションとコミュニケーションの区切りがつけやすいのもプレイのしやすさ、敷居の低さになっていたのではないだろうか。熟練していけば戦闘状態にあっても入替えやアイテム引っ張り出しが出来るツワモノもいた。

『レアアイテム』
レベルが上がっていき、ストーリーも一通り辿り終えるとプレイ目的は徐々にレアアイテムへ集中していく。
出にくいものは本当に出にくかったため、飽くなき探求への意欲が湧いていた。オンライン上の仲間がいるから交換も出来る。バトルフィールドを気の合う仲間と駆け抜けていく、というだけで面白いのだが、そこへ更にレアアイテム達が絶好の味付けになってくれていた。次々と敵を撃破しながら宝箱を開き、「スカw」と苦笑いしていく…。その繰り返しにこそ、その時間にこそ意味があったのかもしれない。

PSOには100時間を軽く超えるプレイ時間を楽しませてもらった。キャラクターも3人そこそこのレベルまで育てあげてしまった。毎回ほぼ同じフィールドへ出て行くというのに何故あれだけ楽しかったのだろうか。目新しさや上で語った要素だけではない魅力がこのゲームにはあった。
その後、PSOもバージョンアップ版や他機種版が続いたがそちらはほとんど手を出さないままにやめてしまった。

だが今でも時々、数知れぬ仲間達と自分のキャラがフィールドを駆けずり回っていたことを思い出す。
いつかまたあのラグオルの地へ降り立つことがあるだろうか。
「これぞ!」という続編を今でも期待している。

ところで何故いきなりPSOの話になったかというと、ちょうどスポーツニューススポルトの中でPSOのBGMがあれこれ使われてて懐かしさがこみ上げたせいだったりする。他のことやってたのだが音楽が流れた瞬間ついTVの方を振り向いてしまった。
染み付いてたんだなぁ。

2004.01.20

ペットの避妊手術に思う

先日うちのペット小春の避妊手術をやってもらった。
戻ってきた小春は予想に反してかなり元気で、数日はぐったりするという話を聞いてただけに嬉しいような、拍子抜けするような気分だ。それでも傷痕はやはりまだ痛々しい。歩く、食べるなどは普通にしていて問題ないようだが、ソファやベッドへの上り下りはやはり痛みが走るのかちょっと躊躇しているようだ。

手術をさせるかどうかは同居人と二人であれこれ話しあった。
マンションの規定でも避妊手術はすること、とあるので基本的にはせねばならない。また繁殖の目的もないのであれば手術した方が大病予防にもなる。もともと素人繁殖は不幸を招くことが多いという。かわいい自分達のペットの子供は更にかわいいだろうという誘惑はなくもないが共働きで全面的に面倒を見れる状態にはない。
環境的にはあっさりと結論は出た。

そう、結論は早い時点で出ている。なのにすっきりはしない。それは繁殖という生物として備わった機能を奪うことへの抵抗感なのかもしれない。きっと多くの人が同じ気持ちを持っているのではないだろうか。だが、あくまでそれを尊ぶのであれば共働きがどうだとか理由をつけずに自由にさせて、そしてその結果にとことん付き合っていけばいいのだ。その覚悟も行動もなく理由を探しているのは結局は確実に生物の重要な要素を取り去ってしまうことへの罪悪感から自分が逃れようとしているだけではないか。

ペットをめぐってはさまざまな課題、そして問題がある。
ショップにも流通にも繁殖家にも飼い主にも。

手術後獣医さんに連れられ、尻尾をまるめながらも俺達を見つけ、安心したように、そして助けを求めるように近づいてきた小春。今もまたファンヒーターの前で気持ちよさそうに暖まりながら「なあに?」と言わんばかりに俺達を見つめている。

きっと同じように多くの飼い主が辿ってきた道。
きっと同じように多くの飼い主が辿っていく道。

せめて全ては飼い主のエゴであることを忘れずに共に暮らしていきたい。

2004.01.19

ふしぎなじゅもん

あっという間にケンカもおさまる不思議な呪文。
我が家でそれをあげるとするならほんの短いある一言。

「わふ」

これは我が家の愛犬小春が時々発する言葉だ。
どういうときに使われてるかというとオリジナル(小春)用法は何か怪しい気配を感じて(ほとんどは気のせい)、威嚇するようにあらぬところへ咆えた後、「ったく…」とつぶやいているかのように「わふ」。
「わん」でも「わふっ!」でもない。ただただつぶやくように「わふ」。

我々人間はこれを応用させて頂いている。
ちょっと腹がたつことがあったとしよう。そんなときは「わふ」。
ムカつくことを言われても小さく「わふ」。
ほら、ふしぎと笑いがこみあげてくるよ。「わふ」。

オリジナルを知ってないとニュアンス伝わらないとは思うがみんなで「わふ」。
いまじんおーるざぴーぽーせい「わふ」。

2004.01.18

ギターそれなり物語

シリーズ化するつもりはないが、ギター千一夜、性懲りも無く第三夜。

前までで経緯などはあらかた書いてしまったので今回はその他の細かな「自分なりに楽しんでいること、こうしてみたいと思ってること」をつらつらと脈絡なく思いついた順に書いてみる。

『弦の張り替え』
張り替えたばかりの弦は音がキラキラしているような気がする。(自己暗示?)
しばらく弾いてなくて、久々にちゃんとチューニングした後の最初のじゃらーん、もそうだがなんだか凄く気持ちいいのだ。
思えば最初のギターは長いこと最初からついてた弦がそのまま使われてた。
弦まで張り替えて初めて自分のギターになったという実感が湧く。

『コテコテアルペジオ』
簡単なコードが押えきれるようになったら楽しいのがコレ。
上級っぽい響きがするが、特に変化つけるわけでもないコテコテなアルペジオならそのうち右手が慣れてくる。最初のベース音さえ間違わなければ後は結構適当でもそれっぽく聴こえるのでお得な感じだ。よく聴くにぎやかな曲とかをテンポ落としてアルペジオでぽろんぽろん弾くと元歌との印象のギャップが楽しい。

『アンプいじり』
最初は面白がってアンプの設定をあれこれいじっていたがそのうち大体3パターンくらいに収まってしまった。アコギっぽく聴けるもの、結構歪ませたもの、そしてその中間。って何の意外性もないなぁ。
最初は歪ませなきゃ!な感じだったが途中から軽く歪む直前、てのが多い。ギターのピックアップをTrible側に倒すと軽く歪みますよ、という位置。なんとなくMarshall向きじゃない気がするが、例によって気づかないことにする。
ちなみにアンプを通さないで夜に弾かれることが多いうちのエレキ。サイレントギターかよ。

『右手を使う』
わかってはいても出来ません、の代表例。
最初はコードを間違えずに押えることだけに必死だがどう鳴るかはむしろ右手でどう弾くかによるのだと思う。ミュート、カッティング、出来ると出来ないのとでは全然違いそう。実際ちゃんとした技術を持ってる人から出る音は全く違う楽器から鳴っているかのようだ。
いまだに単調にジャカジャカしか弾けないけど、シャキっとしたリズムを刻めるかどうかはこのへんにかかってるのだろう。
今後の練習課題だろうけど、思い初めてもう2年…いつになったら練習するんだろうなぁ。

『アクセント』
左手も再度見直すとアクセントをつけたりすると変化があって面白い。Cを一拍だけC7に変えてみるとか、オープンコードのDで1弦を開放してみるとか。指一本だけちょびっと押えるところずらす程度だが結構雰囲気が変わる。実際の楽譜でもXXsus4とかをアクセントっぽく使ってあるのが多い気がする。(sus4がどういう音の重ねかは理論勉強してないので知らん…)

『ハイポジション』
覚えてるのがオープンコードがほとんどなのだが、楽譜でコード進行をみると実はバレーコードで押えた方がコードチェンジが楽というものはかなり多い。3~7フレット付近での基本コードが自然に出来るようになればかなり便利になるのだろう曲全体のキーを上げ下げするのもその方が簡単だろうし。でも響き自体は押え方がヘタなのもあってオープンコードの方がいいのも多い。

『理論を学ぶ』
これもやってないんだけど、ちゃんとやったら面白いのかも、と思ってはいる。
ベースとなる音があって、そこにもう1つ音を重ねる。その2つの音の高さの差で明るい感じ、寂しい感じ、怪しい感じ、とさまざまな変化が出る。さらに装飾のための音が重なる。和音の不思議。コード進行も落ち着きやすいパターン等あるようだ。いつか…ね。

『リフ気取り』
好きな曲のほんのわずかな部分だけでも気分を味わう。
LOVE PSYCHEDELICO『LadyMadonna』の出だしからの印象的なリフやスピッツの『ハネモノ』のリフ、『夜を駆ける』のイントロ(これはピアノでやるのが正解なんだろうけども)、アンジーの『でくのぼう』など、ほんの一部でいいので同じものを繰り返してればそこそこ楽しめるところだけを抜粋して楽しむ。
徐々に繋げていけば曲全体が…という話もあるが、大抵は翌日には忘れてしまうので作りながら壊れている某聖堂の完成を待つようなものである。


というわけで、つらつらと書いた。ここ2年状況が変わってないことを考えると姿勢を変えない限り今後も進歩はないような気はする。
「ギター弾けるんだ?」と聞かれれば「うーん…」だが、
「ギター好きなんだ?」と聞かれれば「うん」と答えられる。
最近ずっとそのレベルでもいいかと思い始めている。(逃避?)
ちゃんとした目標を持ってギターに取り組んでる人から見ればこんなぬるいギターの楽しみ方では怒られるかもしれない。

そういえばうちには同居人のキーボードが置いてあるのだが、こちらは全く弾けない。パソコンのキーボードならすらすらと叩けるのだけど…。
あまり触ってないのにいうのもナンだが、ギターはピアノと比べて実はかなり楽な楽器だと思う。(あくまで興味をもった人が楽しんでみるというレベルの話)
ちょっとコードを覚えれば誰でも簡単に6つまでの音を重ねることができるわけだし、コードだけで通しても楽しめる。ピアノだとやっぱりイメージ的にコード伴奏のみだと寂しく感じる。後はギターなら基本的に部屋のどこにでも持っていける気軽さも魅力のひとつだ。

ここを読んでる人がいるのかわからないけど、もしギターに興味があるならとりあえず安物でもいいから気負いせずに触ってみて欲しい。きっと知らずに過ごすより格段に楽しい時間が待っているから。
まずは触れあう楽しさを味わう。
そこから先をぬるくつきあうか、本気でつきあうかはまたその時決めればいいのだ。

2004.01.17

資質と素養と年齢と

何故だか続いてしまったギター千一夜、第二夜である。
続くと思ってなかったので最初につけた『ギター千一夜』なんて一発ネタを何度も使うことになるとは考えてなかった。恥かしいのでせめてタイトルだけは替えた。

さて、音楽的技能は子供の頃の素養が大きいのだろうか。それとももともとの生まれ備わった素質なのか。絶対音感などは生まれつきというから資質の要素が大きいのかもしれない。

少なくとも俺はこの資質には長けていないようだ。
まず音が上がる、下がるが聞いててもピンとこない。カラオケで声でならあわせることは出来る。だが、音の高さの上がり下がりを意識してはいない。なんとなく経験的に、聞いたものに合わせて歌えるだけだ。
ギターで弾くとなると「なんとなく」弦を押えることはできない。やっても妙なメロディになるだけだ。

同居人は子供の頃にピアノ(とクラシックギターをちょびっと)やったことがあるらしく、楽譜は読めるしギターで音階も
それなりに弾ける。ずるいよな。
俺なんか何か習い事した覚えはそろばん7級くらいだよ。(電光石火でやめた。確か8級から始まるのでほとんどやってないに等しい)
もし俺が耳コピなんてやろうとおもった日には総当り戦である。
同居人に楽譜みながらメロディ辿られるとわずかな尊敬とムカつき…もとい、大いなる尊敬の念とわずかな嫉妬に駆られるのである。

素養と素質、どちらも今さら考えてもどうにもならないものだが、逆に楽しむという観点でいえばどうでもいいものかもしれない。音楽の楽しさはレベルに限らない。
人間、リズムにあわせて手を叩けばそれだけで楽しくなるように出来ている。音楽ゲームも(高度化の一途を辿る一部を除けば)「太鼓の達人」みたいに大人から子供まで受け入れられているのもその現れだろう。

そんなわけで「コードでじゃかじゃか」をターゲットに絞って目標が定まった俺のギター人生だが、お約束ながらバレーコードが行く手をさえぎる。

バレーコードとは左手の人差し指でべったりと弦のある位置を押えることだ。6本の弦全部を1本で押える、という指使いが入ってるコードをバレーコードという。
簡単そうだが、やってみるとこれが音コモりまくり。ちゃんと指の付け根に近いところまで弦に押しつけてないとハンパに弦が浮いて音が出ない状態になる。
最初は鳴らなくても気にせず続けた。慣れてくると人差し指の側面で抑えればそれなりに音が出るようになってきた。コードによっては指つりそうになるけども。

だがバレーコードだけは同居人よりは同じ音がコモるにしてもまだ俺の方がマシであった指の長さの違いだろうけど、それはそれ、ささやかな喜びに浸る。(せこっ)

それからちまちまと簡単なコードを覚え、たどたどしかったコードチェンジも慣れた曲なら少しはつながるようになってきた。この頃が一番楽しい。
なんせあれだけ無縁だった音楽世界がギトギトながら手の中にある。自分の手で音が、曲が鳴っている。それだけで感動だった。この感慨だけは小さい時から楽器に触れてきた人よりも逆に大きいのではないだろうか。

何故だかうちにはむか~しのヤンソンやらあの歌この歌何百曲みたいな本が(ギターを買う前から)存在した。それを手にとり、知ってるやつをトライしていった。まぁ、まともに弾けるのなんてほんの一部だったけれども…。

好きなアーティンストの弾き語り本なども買ってみる。椎名林檎やら山崎まさよし、スガシカオ…やめときゃよかった。一部の曲を除けばほとんどコードがあまり見ないような奴で俺の学習帳に入ってないようなものばかり。いつか弾けるかなーと思いながらほとんどは眠り続けている。

そして今も基本的なレベルはこの頃から変わっていない。コードも覚えては出張行って忘れ、曲のコード進行はもともと覚えるのが苦手なのか、すぐ忘れてしまう。その繰り返し。もともとの志が低いので、上を目指そうというこだわりがあんまりない。上手くなりたいとは思っているが、生活の中心にそえるほどにはしない。それでもたまに手にとり楽しい、それが俺にとってのギター。

さて進化が止まると情熱が迷走を始めるのはよくあることだ。

最初のギターを買ってから1年たった。
アコギだけでなくエレキはどんな感じなんだろう、という興味が芽生え始める。次に半ば強引な理由付けが行われていく。
「エレキの方が弦が柔らかいから手が痛くなりにくそう」
「アコギもそこそこ使ってるからきっと無駄にはならないし」
そういう状態で楽器屋へ行くとまたセールみたいなものをやっているものである。またも安物の衝動買い。

この時購入したのが何故だかMarshallが出しているギターセットだった。RocketだかRockKitだかのセット名がついていたと思う。メインはアンプ(G15RCD)でストラトタイプのギターがオマケでついてくるといった方が正しいのかもしれない。購入価格がアンプ込みで1万8千円くらいで、アンプ単体価格やセットになってたものを差し引いていくとギター本体価格は千円くらいになってしまうという不思議なセット内容だった。
実際使ってみると弦高を低めにしようとするとビビったりするようなちょっと使い難いやつだったが、目的が目的なので結構楽しく使っていた。

エレキギターになると楽しみ方がちょっと違う。
一番の違いはもちろんアンプの存在だ。アンプに繋いで始めて音となる。アンプの設定をいじればクリーントーンから歪んだ音まで多彩に変化していく。
また柔らかい弦なのでチョーキング(左手で弦を押さえた指をそのまま上下にずらして音の高さを変えること)がやりやすい。(やりやすい、と使いこなせる、は違うことに注意)
だが、触って数日と経たないうちにある考えが頭をよぎった。
「もしかしてエレキって『コードじゃかじゃか』はあまりやらないもんなんじゃないのか?」
アンプの設定を歪み寄りにしてコードじゃかじゃかやると音の厚み、というよりはうるさいだけになりやすい。
「もしかして今の俺の目標には向いてない!?」
という気持ちは気づかなかったことにしておく。

さらに同じ頃、知人が山崎まさよしにハマっていたことからギターを触ってみたいという話になり、うちのアコギを譲ることにした。それを口実にうちのアコギも普通サイズへチェンジ。ちょうどミニギターから脱却したいと思い始めてた頃だったので渡りに船だ。
とはいえ、自分のレベルはわかっている。そんなに高いのを買えるわけでもないので、決まったのは
MorrisのギターMF251だった。2万ジャストくらいだったと思う。
考えてみればほとんどのギターは1月に買っているな。これは誕生日プレゼントの名目でギター購入資金の補助をしてもらってたせいだろう。ありがたや。

重ねていうがギター変えても基本的にレベルは上達していない
気持ちの世界なんよ。気持ちの…。

そしてさらに1年、歪んだ情熱はまだ止まっていなかった。

以前からずっと欲しかったギターがあった。それがGIBSONのLesPaulだ。
その象徴的なスタイル。カッコよく、そして愛らしいカタチ。とにかくそのいでたちにクラリと来ていたのだ。(音はどうした、音は) だが、基本的に軽く10万オーバと高くて手が出せなかった。
EpiphoneのLesPaulモデルであれば数万安くほぼ同様のものが手に入る。正直な話、自分の腕だとそれでさえもったいない代物であることはわかっていた。だが、自分を突き動かしてたのは幼稚な所有欲だった。
ショーケースのトランペットを眺める少年のように、買い物ついでに楽器屋にいってはLesPaulを眺める日々が続いていた。

そしてある日の楽器屋でハードケースが付属しないながら6万で売られていたGIBSON LesPaul Studioがあった。
そのブラックのボディは無骨な感じも受け、LesPaulのスタイルとのギャップが逆に魅力的に見えた。
♪LesPaulは絶対黒~
椎名林檎の曲も頭の中で流れ出した(嘘)

GIBSONのハードケースはえらく格好いいのだが、うちにある限りずっとスタンドに立てて置くのでケースはタンスの場所取りしか出来ない。少々汚れてもすぐ手に届くところになければギターに触らないかもしれない。ケースが必要そうな移動も引越しの時くらいしかしないだろう。アンプとかケーブル類も今持ってるのがそのまま使える。つまり本体以外に追加購入が必要なものはない。
StudioシリーズはGIBSONのラインナップの中では最下層に近い位置付けなのだろうが、その最下層からさらにマントル層くらいまで潜ったあたりの自分のスキルなら十分すぎるくらいだな。
頭の中でまたもいろんな都合のいい理由付けがなされていく。
そして時おりしも1月、誕生日の援助資金プレゼント行使権はまだ手中に残っていた。

ええ、買っちゃいましたとも!

そんなわけで、なんだかんだで結局ギター4本を購入し、2本が現在使用中である。(最初のエレキは里子に出されてしまった)
徐々にステップアップしたといっていいのか、安物買いの…だったのかはわからない。それでも数年に渡っても興味が消えることはなかったことが確認出来たのだから、意味はあったのだろう。

LesPaul購入からもう2年。
犬が来て心配だったギターへの被害も今のところはカジられずに済んでいる。アンプは端をちょっとやられたが、それはそれで味か。
くどいようだがギター変えようと何しようとレベルは一向に上達していない
この音はイケる!と明確にわかるわけでもないので、ほとんど興味と所有欲だ。それでもたまに触って適当に弾いて、そして今でもやっぱり楽しいのである。

  ついに購入したGIBSON LesPaul Studio
Guitar_Gibson.jpg

2004.01.16

ギター千一夜

今日は気分を変えてギターとのこれまでのつきあいを書こうと思う。音楽オンチの音楽オンチによる音楽オンチのための楽しみ方かも。

自慢じゃないが音楽から遠いところで育ってきた。
もちろんCD買ったり音楽番組見たりはしていたが、こと演奏する、ということについては小中学校の音楽で縦笛をやらされたくらい。それでさえも真面目にやってなかったし、上手くもなかった。定番(?)チャルメラが限度だ。姉はピアノなどならっていたようだが、俺はパソコン道をまっしぐら…。

それが何故か今は安物ながらもギターを2本持っている。

ギターで思い出すことといえば、まだ小学校低学年の頃だろうか、姉がギターを買っていた覚えがある。ちゃんと覚えてないがどこかの通信販売でありそうな…いわば『白いギターとジーンズ(c)TVジョッキー系』のフォークギターだったと思う。
だがそのギターが使われたところを覚えていない。いや使ってはいたのだろうが少なくとも「すげー」とか感心した覚えはない。
記憶は飛んで、タンスの上でそのギターが埃をかぶっている映像だけが残っている。さらにいえば俺がそれを引っ張り出して好奇心からネジ部分(ペグ)をぐりぐり回し、弦を切ってしまったような気もする。誰からも文句がなかったのは誰も使ってなかったからだろう。(たぶん…)

それから長いこと経って、パソコン通信で知り合った知人宅にてギターを見せてもらった。これももう10年近く前かもしれない。見せてもらったのはアコースティックギター。かなり高そうな物で、見た目も格好良かった。
弦1本が弾かれて響き延びていく音、そしてそれが重なったコード。
「ギターの音ってなんか好きだなぁ」
と身近で実感した覚えがある。CDでバリバリのギターソロを聞くのとは違う、目の前で生み出された音だ。
だが思ったものの、自分で弾くことなど考えることもなくまたも時間は過ぎていく。

…とここまで引っ張ってナンだが、何故思い立って自分でギターを買ってしまったのかは実はちゃんと覚えていない。
買ったのはちょうど4年前くらいだったと思う。その時すでに同居人がおり、二人とも使えるように、また音がデカくて迷惑がかからないように安くて小さいアコギを買った。YAMAHAのJR1だったと思う。
おそらくは街をぶらぶらしていてたまたま寄った楽器屋の前でセール中のそのギターを見たのではなかったろうか。1万ちょいの値段だったような気がする。正直、
「これなら全然弾かなかったとしてもダメージは少ないな」
と思った記憶がある。

わくわくして帰って、一緒に買った入門書みたいなものを開きながら試してみる。
どれどれチューニング…合ってるのか全然わからん。
チューニングメーターも一緒に買っててよかった。
(ちなみにいまだに機械頼りのままだ)

まずは基本だろうとドレミを弾いてみる。
半音の並びも弦毎の度の違いもよく知らない。なんでこんな途中から規則から外れるんじゃい、と理不尽な仕打ち(?)にケチつけていた。
(ちなみにいまだにスケールはままならない。この時からほぼ変わってないと断言しても良い。全然練習してないから)

こうした調子でままならぬまま時間が過ぎあっという間に弦を押える左手の指が痛くてそれ以上はつらくなった。

翌日、状況を打破してくれたのはコードだった。CDE…と並ぶコード記号。それ自体の意味も役割もわからないが、とにかくいくつか決まった左手の押えかたがあって、押えたまま右手でじゃらーん、と弾くと「お、それっぽい」な音がする。
これだけで楽しくなった。
(ちなみにいまだにこれだけで楽しんでます)

それから大体の目標が決まった。
俺が目指すレベルは『簡単なコードの曲を途切れながらもじゃらじゃら鳴らすレベル』である。
(ちなみにいまだにそのレベルから脱してません)

無駄に結構長くなってしまったので今回はここまで。

   うちのアコギ。Morris MF-251
Guitar_Morris.jpg

2004.01.15

省略好き

日本人は言葉を略すのが好きな民族と言われる。
そう、私もその一人だ。
ただ、時々少々略し過ぎだったり、略す必要があるほど使用頻度がないものを略すこともある。
今回は戒めの意味も込め、「それはないだろう」的な略の具体例をいくつかあげてみよう。

ボラオ【ボンラパスおばさん】
 ボンラパス近くをうろちょろしているおばさんを言う。
 ボンラパスはとあるローカルなスーパーの店名。
 店近くの細い道をふらふらしてたりしてチャリで通り
 抜けるときに邪魔に感じた時に使用されることがある。
 ◎用例「今日―にぶつかりそうやった」
 また、転じてボンラパス自体を指すこともある。
 ◎用例「帰りに―寄ろうか」

ノヘオ【ノンストップヘッドバッド女】
 何かにムカついてヘッドバッドし続けたくなる状態に
 陥った女を言う。男の場合も『ノヘオ』だが発生例は
 何故か少ない。
 昔めちゃイケ(だったと思われる?)でやっていたコント
 「ノンストップママ」が語源との説が有力。
 コントではある動作がループして止まらなくなるママ
 を雛形あきこが熱演していた。日常と非日常を一瞬で
 スイッチさせる怪作にして傑作。
 ◎用例「それ以上言うなら―になるから」

チャも連【チャリで持って帰る連盟】
 少々重い物を買ってもチャリで持ってかえることを
 主義とする連盟。ガスコンロ、HDD/DVDレコーダ等の
 持ち帰り実績が残されている。
 エコロジーな素晴らしい連盟であるが、移動時危険を
 伴うことから危険視される向きもある。
 基本的に会員は1名のままで終わっており、またその
 1名も車メインになったことで連盟は崩壊の危機。
 ◎用例「いい体をしてますね。―に入りませんか?」

不運な発祥とはいえ、折角生み出された言葉達である。
生涯に一度くらい全然関係ない人にも使って頂きたいところだ。如何?

2004.01.14

犬4コマ実写版その2

以前掲載した犬4コマ実写版だが、最初に作成して頂いた先輩から「自由に使ってよし」のお許しを頂いたので、今回は小春4コマの記念すべき第一弾をご紹介。

  小春日常劇場:「隠蔽工作」の巻
inu4koma2.jpg

顔に線入ってたりと効果が付け加えられていていきなり芸が細かい。また、小春の台詞がダサ字になったのもここが元祖である。
私の作った二番煎じの方がかなり手抜きなのがわかってしまう…。

この当時、小春はよくケージに敷いてるマットを噛んだり、ひっぺがしたりが多かった。あれから数ヶ月、もうすぐ1歳になろうという彼女は相変わらずベッドを弥七ごとひっくり返したりしている。そ、そろそろ落ち着いてもいいお年頃じゃないのか?

2004.01.13

長文文化・短文文化

文章を長いこと書いていなかった。
ココログを始めてから久しぶりに書いている気がする。
仕事関係で書くものって文章というより定型だったりデータ考察だったりでいわゆる文章とは使う脳が違うのか、あまり書いてるという感じはしない。

昔パソ通時代のニフティの会議室に参加していた頃や大学時代にMLに参加していた時は結構あれこれ書いていた覚えがある。(あえて内容は思い出さない) 中でもニフティ会議室とかは結構長文文化というか、単なる1コメント以上のボリュームのものが多かった。

その後の掲示板文化の興隆のせいか短いコメントが多くなっていってる気がするが、これは良し悪しではなく形態の違いだろう。個体で完成するか、小さな物を積み重ねていくかの違いのように思える。数百もの発言が連なって初めて一つの意味を成す複合体とする見方も出来る。短い中に最小限要素だけを詰め込む、その中で笑いを取る、というのも結構大変なものだ。

精髄反射的に短文を吐き出すことと、長文を垂れ流すようにまとめないまま書くことにあまり差はないかもしれない。
逆に練りに練った短文を生み出す苦しみと構成に凝った長文をばっちりキめるまでの苦しみに違いはないのかもしれない。手の疲れは違うかもしれないが。
どちらがいい、と決め付けることは出来ないのだ。

そう、短くても長くてもいーじゃん。
短くても満足させられるし、長くても上手ければ飽きられない。そもそも日本人の平均長は…って何か別の話になってる??

今のココログに書いてるのはそこまで短くも長くもないようなものばかりかな。そもそも長短の基準も人それぞれだし。今はこれくらいの文量が手軽かつ脳内思考を書き留めるような楽しみがあっていい。これこそ垂れ流しだったりして。
経験的にあと10回も書けば個人的に書くのに満足して、ついでに書くネタも尽きてぱったり沈黙が訪れたりするのだろう。
日記の末路とは放置プレイか。とまた方向がずれてしまいそうなので終わり。

2004.01.12

男の料理で成り上がれ!?

うちは共働きなので外で食事することも多いのだが家で手料理も結構ある。
同居人が作り、俺が洗い物という基本パターンでもう何年も過ごしている。(たまにサボるけども)

これはこれで役割分担としては納得しているのだが、俺に料理の技能がないわけではない。主に同居人が俺が作るものを怖がって(?)作らせてくれないのが原因だ。

元々俺の方が一人暮らし歴は長い。いや確かに前のアパートのキッチンは一度も使われずに埃を被っていたかもしれない。それでも寮にいた頃は(金が全然なかったのもあって)自炊してたのだ。結構低コストに腹一杯食ってたと思う。

覚えているレシピをいくつか紹介しよう。

・野菜炒め
 うん、代表的。作り方はキャベツを手でちぎり
 フライパンに放り込んでしばらく炒めて焼肉の
 タレをぶちこんで完了。余裕あれば肉もぶちこむ。
 タマネギもいれようとしたこともあったが結局
 思っただけに終わった。
・ヘルシー豆腐生活
 たまに1丁10円とかで売られてるスーパーの豆腐
 を買いこむ。
  1日目:冷奴。鰹節ふりかけてご飯と一緒に。
  2日目:麻婆豆腐。麻婆豆腐と混ぜるだけ。
  3日目:湯豆腐。鍋で温めるだけ。
 とこれだけでも3日は安泰だ。2ローテで1週OK!
 基本的にこれらを大量の飯をかっこんでいれば
 腹一杯である。冷奴なんて大量鰹節とともに2丁
 もいけば嫌になるくらい満腹だ。
・スパゲティ
 麺茹でて缶入りソースとともにフライパンへ。
 そのままフライパンから食うと冷めずに頂ける
 うえにレストラン気分だ!
・お好み焼き
 本格的!妙に太いキャベツの千切り(百切り?)を
 お好み焼きの元にぶちこんでタマゴいれて焼く。
 その時の財力により肉のランク、量が変わって
 いくので変化も楽しめる。
 これもフライパンからそのまま食うのが基本だ。
・うまうま焼肉
 安く買えた肉フライパンで焼く。焼きながら
 焼肉のタレをぶちこみくう。なかなか立ち食い
 焼肉する機会なんてないね!しかもアツアツで
 うまー。終わり。

メモもなくさらりとこれだけのレシピが出てくるのだから我ながらたいしたものではないか。おそらく食費も半分以下になる可能性も秘めているというのに何故受け入れてもらえないのだろう…。
どうですかお客さん!

男の料理で成り上がり、洗い物からの脱出を図るのも今年の抱負の一つと言えよう。

2004.01.11

標準語キャッシュ理論

俺は普段九州生まれの九州育ちの割にはほとんど方言が出ないらしい。自分で意識してるわけじゃないのだが、確かに方言を出そうとしてもわざとらしくなってしまう。別地域の知人との会話でありがちな「ほにゃららって九州弁でどう言うの?」みたいな話になると詰まってしまう。ありがちな「実家に戻ったら方言が戻った」いうのも少ない。
…俺は方言を忘れかけているのだろうか。

それと合わせて同居人に指摘されて初めて気づかされたのだが、例外的に方言ばりばりになるケースが一つだけあるらしい。それは「犬を叱っているとき」だそうだ。
叱ってる時に指摘され…確かにそうなっている。

これは何故だろう。折角なので(?)推測を立ててみた。

・普段の会話にありそうなフレーズはTV等の影響
 もあり、反復練習(?)により基本的に標準語が
 優先的に選択されるようになってしまった。
・普段あまり使わない語気の荒い言葉等は優先
 ストックに標準語として入っていない
・結果として、語気の荒い言葉は昔の記憶まで検索
 が行われ、幼少時に聞いた方言が引き出される

ということではないだろうか。

つまり幼少時の引き出しにくいメモリに方言が格納されており、引き出しやすいキャッシュメモリみたいなところに後からストックされた標準語が載る。キャッシュでヒットしないものだけ方言入りメモリから引き出されてくる、ということだ。
これを「標準語キャッシュ理論」という(嘘)。

幸か不幸か犬を叱る機会には事欠かないため、方言メモリはまだまだ活躍しそうな勢いである。

2004.01.10

カラオケ選曲の謎

まだまだ進化を続ける通信カラオケ。登録曲数はどこまで増えていくのだろう。おそらく現在一番の保持曲数を持つHyperJoyV2で4万5千曲を超える。
これだけの曲数なら比較的マイナーなアーティストのファンでも楽しめるようになってきた。

マイナー系については入る曲の基本はシングル曲ということになるのだろう。だがそれ以外で入る曲については謎の選曲がされていることが多い。

いくつか具体的に見てみよう。

・グループ魂
 HyperJoyV2についにグループ魂も登録されたようだ。
 『竹内力』はシングルだからわかる。『Run魂Run』も
 いいだろう。(最後の台詞も入れて欲しいが)
 意外なのはもう『Over30』が入っちゃってることだ。
 『女体盛り…』より抵抗少ないとの判断なのかっ、
 それともあの台詞に登録者がシビれたのか!?
 あと『石鹸』あるなら『カオル』も入れて欲しいぞ。
・スガシカオ
 何故『SweetBaby』はなかなか入らないのか?
 前半ボソボソ風だからだろうか。だが、そこからの
 ブレイクこそが気持ち良さそうなんだが。
 あとセガカラさん、『黄金の月』は基本っすよ。
・アンジー
 については俺よりもっと言いたい人がいるだろうから
 トラックバック待ちにしておこう…。

まだいろいろありそうだが、とりあえずこのへんで。

単に自分達の基準が特殊なのか、曲登録者の趣味なのか。
アーティストにしても何故この人のがこんなに揃ってるんだろう、というのもあるなぁ。

2004.01.09

イヌと演技

新入りの愛犬、弥七が随分なついてきた。元から人が大好きな子だったのだけど、飼い主を特別視してきた。
家に帰った時の喜び方がどんどん強くなっているのが目に見えるようだ。ちぎれんばかりに尻尾を振り、息が出来ないくらいに口を舐めようとする。むちゃくちゃかわいいのだが、逆にいない間の寂しさが増しているのだともいえる。
姉貴分の小春がいるから留守番中はほとんど寝てるか二匹で格闘しているみたいなので、実は演技力が増しただけだったりして…。

そう、犬は演技する。

まず怒られたらごまかそうとする。小春の得意技だがテーブルの木の足とかを噛み削って怒られた時に
「噛んでないよ!舐めてただけ~」
といわんばかりにさりげなく牙を隠し、舌を出すのだ。その動作は流れるように動作が途切れることもない。
我が家ではこれを「癒しの心が目覚めた」という。

他にも噛み癖が残っていた頃、ボールや骨ガムを噛むフリをして手をこっそり噛んでいた。甘噛みで痛くもないし、最初は本当に間違えたのかと思って気にしてなかったのだが、そんなに何度も続くのはおかしい。よーくみると、間違う寸前にチラリと手の位置を確認している目線に気づく。確信犯である。
マットを噛んでて叱られた時も「そうそう、ご飯食べに行くところだったんだ」とばかりに急にご飯をポリポリし始めることもある。トイレ成功したときは「どうよ?」といった態度でご褒美のアピールするし。

これはOK、これはNGというのをいろいろ試しているのかもしれない。その境界線上に演技つきという選択肢が存在するのだろうか。あなどれん。

ふと思い出したが、実家で飼ってる猫もうっかりベッドから滑り落ちたりしたときに「何かありまして?」とばかりに動揺を隠して何もなかったフリしてたなぁ。
滑ってるときの必死さとのギャップがおかしかった。

2004.01.08

コーヒーと作法

我が家ではほぼ毎日コーヒーを飲む。
本当はエスプレッソメーカーを導入したいのだが、高いのでいつか買おうと思いながら踏み切れてない。

今使ってるのは簡易エスプレッソメーカーというかポット状のを直火にかけるやつだ。
何気圧で抽出等いろいろ高機能な本格的エスプレッソメーカーに比べたらオモチャみたいなものだがそこそこイケる。(気分的なものかもしれないけど)
飲む直前に豆をミル(これも安い手動のもの)で挽くので味の違いはどちらかというとそちらの影響の方が大きいのかもしれない。
これにさらにエアロラッテもどき(ミルク泡立て器)で作ったミルクフォームをのせると、「それっぽい」自宅カフェの出来上がりだ。
それぞれの器機が2千円前後のお手軽セット。

そしてほぼ毎日作っていると手順が固定化してくる。

ミルでごりごりと挽き、ポッドへ。軽くタップしてまずちょっと強めの火にかける。その間にカップに牛乳を注ぎレンジでちょい弱めで温める。しばらく間を置いてメーカーの火を弱火にし、温まった牛乳をエアロラッテもどきで泡立てる。ちょうど抽出が終わってる頃なので火を消し、カップへ注ぐ。更にミルクフォームをかるく回すように揺らしながらのせていく…。

まぁ、当たり前の手順ではあるのだが、アクションを起こすタイミングまで決まってしまった。まるで何かの作法に従っているようだ。というか作法自体そうして出来てきたものか。

これはこれで無駄がないのだけど、変化もない。
ああ、やっぱりエスプレッソメーカー欲しいなぁ。

2004.01.07

犬4コマ実写版

日刊ココログガイドから辿ったdamiさんの「楽しい犬生活」を同じく犬を飼ってる身として楽しく読ませて頂いている。

犬4コマといえば以前、うちのペット監視画像を使ってとある先輩が実写4コマを作ってくれたことがあった。
紹介したいところだが本人の了解とってないのでそちらはまた別の機会に。
今回はその作品にならって当時自分でも作成してみたものを発掘したのでUPしてみた。


   小春日常劇場:「ブラック登場!?」の巻
koharu4koma1.jpg

とりあえず作った感がばりばり。
ちょっとデカいけど、縮小すると文字読めなくなってしまったのでサイズはそのまま。
当時、画像編集するソフト持ってなくてWindows付属のペイントで作ったという無駄に苦労が多かった思い出だけが残っている。

留守番中に3分おきに画像撮影しているのをPCのHDDに撮り溜めてあるのでおかしなショットやら何してるんだかわからないショットがあって笑える。
ちゃんと探して組み合わせればもっとまともなものも出来るんだろうけど、作業が大変なのと犬に留守番中のリビング解放したら画像になかなか映らなくなった事で立ち消え。

久しぶりに見ると、小春が今の弥七くらいに小さくてかわええの~。(バカ親)

2004.01.06

予言の自己成就

ちょっと前に佐賀銀行倒産デマ騒動が起きた。
「倒産するらしい」という噂が広まり、解約希望者が列をなしたという話だ。今はデマ元の捜査中らしい。
ペイオフ導入後も1000万?までは保証されるはずなので列を作った人たちは1行にドカンドカン預金を作ってた人たちなのであろうか…。
今は電子メールの普及でデマもウイルス並の速度で、かつ地域を選ばず広まっていくので大変だなぁ。

それはともかく、この騒動で昔、社会学で話を聞いた「予言の自己成就」というのを思い出した。
これはその名の通り、予言することでその予言が本当になることをいう。予言しなければそうならなかったはずのことが、「予言する」ということによって、実現してしまうことだ。予言するのが影響力のある人であれば自己成就する率も高くなるだろう。

「囚人のジレンマ」ってのもあったな。社会学というよりはゲーム理論なんだろうけど、これはある二人の囚人が連絡取れないように別々に取り調べを受け、次のような条件を出されたら?という話だったと思う。

・二人とも容疑を認めなければともに懲役1年
・一人が相手の犯行を証言し、一人が否認であれば
 証言した方は無罪。否認していた方は懲役5年
・二人とも犯行を証言したらともに懲役3年

二人にとって一番いいのはともに容疑を認めずに1年というケースである。なのに「考えの読めない相手」が絡んできたことで判断は乱れ、二人とも相方の犯行を証言してしまい、3年をくらってしまう、という話だった(はず。年数は適当)。二人という単位での最良の答えと一人だけで相手がどう出るかわからない状態になった場合の最良(と本人が考える)答えは異なる。

この2つの事象はともに人が不安や疑いから来る圧力を受けてデータによる定量的な判断とは別の判断を下すことが多いのだとわかる。そのへんが社会学なのだろうし、人の人らしい、面白いところだろう。

んでこういう知識って、どこかに活かそうと思っても普段意識してないし、似た事象が起きて初めて「ああ、これはまさに」と思い出すだけなんだよねぇ。

最後に一つ予言しておこう。
「今年の早いうちにうちの犬達は無駄吠え、トイレ失敗しなくなる」
(それは予言じゃなくて願望じゃ…)

2004.01.05

マンガと歌と淡い時空

最近、うちの同居人が逢坂みえこの「永遠の野原」を引っ張りだして読み始めた。「懐かしいなぁ」と思いながらつられて最初の数巻を読み出すと止まらなくなってくる。
犬を飼っている現在では犬関連のエピソードもより身近な感触を持って再読が出来る。

読んでいるうちに
「ああ、初めてこれを読んでいた頃はどんな生活をしていて何を思いながら読んだっけ」
等と考えてしまうのも再読の楽しみだろう。
せつなくさせる話。シーン。それらは読んだ頃もその後の体験も含めたいろんな思いを引っ張り出し、当時とはまた違った角度から光照らされる。

そんな中、しばらくして思ったのがコレだ。
「内田善美の『草迷宮・草空間』また読みたいなぁ」

『草迷宮・草空間』は草少年が「ねこ」を拾う話である。
(ってこれだけじゃ何がなんだかわからんと思うけど)
俺的ベスト3にも入るくらいの大好きな本だ。

本筋とは違うのだが、個人的に印象に残っている台詞がある。主人公「草」が子供の頃、そんなに親しいわけでもなかった友人の死を思い出し、考えに浸る場面がある。それを
「こんな薄いおもいでさえ俺の中に淡い時空を作り出す」
と語る。(今手元にないのでかなり間違ってるかも)
これを最初に読んだときに何故だかこみあげてくるものがあった。これに似た「感触」を多くの人が体験することがあると思う。だが俺はそれを言葉で表現は出来なかった。その言葉がまさにコレだと思ったのだ。

似た感触を歌の中で思い出したことがある。

ぼくらが生まれて消えるあいだ
     どれだけ人を救えるだろう

  (スガシカオ「ふたりのかげ」より)

ここだけ引用してもニュアンスが出ないので是非曲を聴いて欲しいのだが、普段沢山の「仕方がないこと」「どうしようもないこと」に囲まれて生きている中で、ちょっとした瞬間、もの凄くピュアな思いが浮かぶことがないだろうか。そして大概はすぐ消えてしまう。
だが、その瞬間だけは正論だとか、いい格好しぃとか偽善とかから離れたところでふわりと浮かび、消える。そんな一瞬の淡い時空。

年明け一発目だし、たまにはちょっとスイッチ入ったような日記もいいか。

さて、今日はまず「永遠の野原」の続きをいこうか、それとも「草迷宮・草空間」を探しだすかな。

2004.01.01

伝言版1

簡易掲示板その1

当ページへの感想や伝言など、簡単なメッセージの
アシアトとしてお使いください。

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