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2004.01.26

我が青春のMZ1500

ナツカシマイコン、ペンギン叩きの襲来により一日間が入ってしまった。
前回結局自分のマイコン購入まで話がいかなかったのでようやく続き。

さて、『ナイコン』時代を過ぎ、ようやく手に入れた自分のマイコン。それがシャープのMZ-1500だった。発売が1984年なのでちょうど20年前か……いかん、ちょっと意識が遠のいてしまった。

MZ-1500は89,800円と手頃な価格で、名機MZ-700の後継マシンだった。画面解像度は320×200と少々低いがPCGによるグラフィック、PSGによるサウンドに対応していた。また基本的にMZ-700のソフトは何でも動く。そして何よりこの機種が特徴的だったのはQDことクイックディスクを標準搭載した初のマシンだった点である。

『速いぞQD』
QDはフロッピーディスクの小さい奴みたいなもので、片面の記憶容量が64KB、両面使えたので1枚で合計128KBだった。当時としては十分過ぎる容量だった。その64KB分をなんとわずか8秒で読み込むことが出来る。カセットテープが主流だった当時の機種としてはダントツのスピードだった。
実際にはフロッピーと違ってランダムアクセス出来ないとか、1ファイル8秒なので3ファイル読み込んだら24秒以上かかってた、とかあるのだが、それを差し引いてもこの速度は別次元のものだった。せっかち野郎な俺はそこにシビれて購入を決意したといってもいい。
購入資金は前回で触れた貯蓄計画で貯めていたお金と親が貯めてくれていたそれまでのお年玉。ディスプレイまでは手がまわらなかったのでとりあえず本体だけだった。(当時のマイコンは普通のTVに映せるものが多かった)

『合言葉はさんだーふぉーす』
当時のMZ-1500ユーザの中でQDの魅力とともにあるゲームに魅せられて購入した人が多いのではないかと推測する。
あるゲームというのは言うまでもない、『サンダーフォース』である。MZ-1500の発売に合わせるようにリリースされたこのゲームは「QDから8秒で起動!」「高速スクロール」「綺麗な画面」と、MZ-1500の性能を誇示するに十分なものだった。
ゲームを開始するとまずのっけから驚くことになる。
「さんだーふぉーっす!」
そう、このゲーム、スタート時に音声で叫んだのだ。音声合成ボードもなく、いきなりしゃべられると白旗をあげるしかあるまい。
ちなみにこのゲーム、難しくて俺はクリア出来てないままでした…。

『白黒TVでのスタート』
本体を購入したはいいものの、手持ちのお金で買えたのは本体と何本かのゲームソフトのみ。画面は普通のTVに映して使用することになる。しかし、使い出せば何時間も画面とにらめっこするものだからなかなか家のテレビを占領さえてくれたりはしない。
そもそもマイコンについて家族の理解は全くなかったのだ。こんなに面白く便利で世界を変えるものなのに、という思いは通じることはなかった。たまに誰にでも出来るようなゲームを餌にTVに接続させてくれることはあったが、基本的に普段は使えなかった。お客さん用の部屋でこっそりTVに繋ぐしかなかったのだ。今となっては家族もそれぞれの家庭で当たり前のように
パソコンに触れているのだから、密かに「それがお前らが価値を認めなかったパソコンだよ。どうよ?」な気分になったりもする。でもまぁ確かに当時のマイコンで出来ることは限られてたもんなぁ…。
話がそれたが、TVを求めて家の中を探し回り、もう使われてない白黒TVを発見した。それが当面のメインディスプレイとなるのであった。白黒だよ、白黒。しかも電源入れて画面出るまでに十数秒かかる。電源消すと「ちゅいん」という音とともにしばらく画面中央に白い光が残ってんだよ。プログラム作成は文字さえ見えればいいから…と自分を騙しながら白黒プログラミング、たまにカラーTV確認な生活が始まったのだった。

『ディスプレイ導入!』
白黒生活からどれくらいか経った頃、ようやくカラーディスプレイの購入資金が溜まり、電器屋の現品を安くしてもらって購入した。ついにフルカラーディスプレイだ!(くどいようですが、フルカラー8色…です)
嬉しさのあまり思わずパレット変更プログラムで遊んでしまったよ。カラーナンバー設定の美しさにも感心していた。(プログラムで指定するカラー番号は0:黒,1:青,2:赤,3:紫,4:緑,5:水色,6:黄色,7:白と続きカラー番号の合計=混ぜた色という並びになっている)
文字もなんと、1ドット1ドットまで見えるではないか!
カラー画面時間の束縛もなくなり、ますますプログラミングにハマっていった。

『力技グラフィック』
MZ-1500はグラフィックに対応している…が、その仕組みは特殊で、PCG(自分で好きにデザインできる文字みたいなもの)を画面びっしり40×25個の1000キャラ分ならべてグラフィックとしていたのだ。設定できるPCGは全部で1024個。残った24個のみがグラフィックモードで使用できるPCGだった。…つまりライン引いたり、のプログラム作ったらキャラクタを表示出来るのはたったの24個しかなかった。
またグラフィックモードでラインを引くとシュインシュインと音が本体からしていた。勝手にライン音と呼んでいたが何故なのかは不明。もしかして俺のMZ-1500だけだったのだろうか。

『CGと中間色』
グラフィックモードでの楽しみの一つはCGだった。MZ-1500はこの分野、あまり得意ではなかったと言える。
弱点の一つは解像度。値段自体違ったのもあるが他の640×200を表示できる機種に比べるとラインが汚く見えてしまう。
またもう一つ大きな弱点は標準で付属していたS-BASICが中間色に対応してなかったことだろう。中間色はもともとそのまま発色出来るものと、見た目そう見えるように二つの色を格子状に並べることで二つの色の中間の色に見えるタイリングペイントに分かれていた。
当時多色が出せる機種なんてほとんどなかったので、基本的にはタイリングペイントなのだが、MZ-1500ではその後Hu-BASICが発売されるまでBASICでは8色ペイントを強いられていたのだ。(タイリングペイントサブルーチンをマシン語で追加するツワモノもいた気がするが)
ついでに当時のCG技術がどのようなものであったかも書いてみよう。
殿堂はPOPCOMに掲載されることだったのではないだろうか。サンデー系のマンガキャラクターは独占されていたように思う。誰かが作ったCGを見るには、座標データの含まれたプログラムリストを延々入力していたのだ。DATA分で延々列挙される座標。そしてそれをライン文でつなげ、塗りつぶしていく。プログラムを実行すると1本1本線が引かれ、塗りつぶされ…まさに絵が描かれていくのだ。
自分で作ろうとするとまず方眼紙に絵を書き、それを座標データ化していくことになる。市販のアドベンチャーやCGソフトも概ねもそんな感じ。描画手順を記憶しておいて、自動再生するようなものが多かった。
最初にゲームとかで超高速描画として1画面描画0.x秒!みたいなのを見たときは感動したなぁ。当初はあれも裏でライン引いたり塗りつぶしたりしてるのだと思ってました…。

『Oh!MZとの出会い』
この当時はパソコン総合誌以外にもソフトバンクからメーカ毎に雑誌が発行されていた。
NECユーザなら「Oh!PC」、富士通ユーザなら「Oh!FM」、SHARPユーザなら「Oh!MZ」(後にOh!Xとなる)といった具合。
これらの雑誌はそれぞれのメーカのコミュニティであり、ある意味リーダーでもあった。MZ-1500の購入でMZユーザとなった俺も「Oh!MZ」読者となるのであった。
Oh!MZの思い出を語るとまた長くなりそうなのでやめるが、とにかく技術肌のクセのある雑誌で、俺自身、受けた影響は計り知れない。一番の根幹は「ないなら自分で作る」という精神だったと思う。
MZと並行して出ていたX1シリーズからX68000へと繋がっていくその流れの中でこの雑誌が担っていた役割、そしてそこから輩出された人材はかなりのものだったのかもしれない。

『パソコンサンデー』
パソコンをテーマとした番組は少なかったが、「パソコンサンデー」はメジャーな方だろうか。提供はシャープ。
結構長いこと続いてた番組みたいだが、1年毎(?)に使用機種が変わっていく。そしてついにMZ-1500がターゲット機種となったのだった。細かい内容はもうほとんど覚えていないのだが、中村光一さんがドアドアとか動かしてたような…。
この番組の試みで面白かったのは副音声でプログラムを流すということだった。「ピーガガガ…」が副音声で放送され、それをカセットテープにとるなり、本体で読み込ませればプログラムをゲットできるのだ。しかし、俺はこれで一度も成功したことがなかった。映りもそんなに良くなかったしTVのノイズだったのかなぁ。

『その後のMZ-1500』
時代が過ぎていき、残念ながらMZ-1500はあまりブレイクせぬまま黄昏ようとしていた個人的には十分に遊ばせてもらったという印象だったが、寂しかったのも事実。
そしてうちのMZ-1500もガタが来始めていた。
QDは読み込み失敗が多くなり、何度も何度もカッシャッシャッシャーーンとうるさい音を響かせていた。バネは弱り、輪ゴムで補強していた。キーボードの反応も悪くなり、メンテナンスがかかせなくなっていった。ゲームで多用するカーソルキーとスペースキーは特に顕著で、月に一度はバラして掃除していた。
ある時期からさらにQDのディスクが入手しにくくなった。需要の問題もあるだろうが、まことしやかに噂されていたのはファミコンのディスクシステムでQDが採用されたせいではないかというものだった。ケースこそ違うものの、ディスクシステムの中身はQDだった。実際、とある雑誌でツインファミコンとMZ-1500をつなげてディスクのコピーをするというものも掲載されていたくらいだ。
この話の真偽の程は定かではないが、確実にMZ-1500は主流機種としての寿命を終えようとしていた。

ああ、また長い…。

今にして思えばMZ-1500はえらくクセのある機種だったんだなぁ。
雑誌でも性能的に上位にあったのに旧機種のMZ-700の方があの偉大なる「MZに不可能はない」シリーズなどで大きく取り上げられていたような気がする。使用後期はOh!MZでの取り組み(機種互換OS「SOS」やその上で動作する各種言語プログラム等)でのプログラム知識の習得に大いに役立ってくれた。
そんなわけでMZ-1500はいつまでも俺の中で、いろんなものを教えてくれた名機なのである。

また時間があれば当時どんなショボプログラムを自作していたかなども書いてみたいと思う。

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Comments

はじめまして!
懐かしい話題だったのでちょっとコメントさせて下さい。

私がいつも買っていたのはOh!PASOPIAなんです。。。といっても季刊から半年刊になり、そして消えていきましたが。。そう、持っていたのは当然PASOPIA7(東芝)。一個だけスゴい面白いゲームがあって、それはPASOPIA7にしかなかったので、当時ちょっと誇らしかったりしたんですけどね(笑)なんかパックマン的な画面で、火薬を撒いていくと火の龍がついてきて敵を倒してくれるパズル的なゲーム。ってこれじゃ分かりませんね。

わたしも店頭でべーマガのプログラムを打ち込んで遊んだことがあります。書いていても懐かしいー。

ところで、私のも線を書く音が聞こえましたよ。あの当時は普通だったのではないかな?ジャッ、ジャッ、ジュ~。みたいな。

ではまた見に来ますねー。

>>カズヒロさん
コメントありがとうございます。
PASOPIAですか! 当時通ってた電器屋になかったので、触ってみたい機種の一つでした。雑誌広告で故横山やすし師匠を起用していたのを思い出します。
消えていった雑誌は他にもSONY系のOh!HitBitなんてのもありましたねぇ。

ライン音報告ありがとうございます(^^) ほとんどのマシンで音がしていたものなのかもしれないですね。電器屋だと周りがうるさくて聴こえてなかっただけなのかも。自宅だと静かな中でやってるので特に夜中だとシュンシュン音とQD動作音が異様な雰囲気を醸しだしていました…。

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