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May 2004

2004.05.31

私はコレでタバコをやめ…

今日は世界禁煙デーらしい。そんな日だなんて知らなかったのだが、それを知る前にとうぶん禁煙することを決定した。その経緯は以下のようになる。

土曜日の夜、歯磨きをして口をゆすいでいたら洗面台に何やら赤いものが…。これって血?
リンゴは齧ってないが歯茎からだろうとあちこち探ってみるが、特に変わった様子はない。しかし、うがいしてみるとその度にちらちらと赤いものが混じる。咳こむわけでもないので喉からなのだろう。ポテチ食った時にどこか切ったのか、明日の朝には止まるだろうと放置。しかし結局日曜もずっと血が混じり続けていた。

んで今朝病院にいってみたのだが、鼻から喉にかけて酷い炎症を起こしてるとのことで出血もまだ続いているとのことだ。にがーい麻酔を喉にかけ、検査のためカメラを鼻から喉へ入れる。喉麻酔は唾液を飲み込む感触がなくなるので口に唾液が溜まってるような感じがして気持ち悪い。カメラは細いものだったので快適とは言わないものの、「うぇっ」程度で済んだ。以前胃の調子がおかしい時に飲んだ胃カメラよりは100倍マシだ。あれは「うごぐげぇぇぇっぶ」クラスだったから。
結果、やはり炎症は結構あるらしく、とりあえず二日分の薬をもらった。明日から一週間は通院してくださいとのこと。会社帰りにダッシュするしかないか。うーん。
とまあ、こういうわけで禁煙決定となったわけである。もともとオンタイム喫煙者(勝手に言葉作ってるけど、仕事中だけの喫煙者。休日は苦もなくノータバコでOK)なのでそれほど辛くはないかな。

もともと喉は弱いんだろう。風邪を引いたときも最初から最後まで喉の痛みが続く方だし、カラオケでもすぐ声枯れるし。ある意味俺の最弱器官だと思う。最強器官は…あんまし思い当たらないなぁ。視力も悪いし、歯もぼろぼろ、胃腸も強くはなく、足腰も強くはない…。あえていうなら長い鼻毛くらいのものだ。

しかしここ数日でそんなに喉を酷使するような場面はなかったように思うんだが、どういうことだろう。カラオケしたワケでもない、大声出すとしてもせいぜい小春と弥七を叱る時ぐらいだったと思うのだが。福岡の西で萌えを叫んでいたからか。

病院からの帰り道、ゲーム屋と一緒になってる本屋に寄る。最近同居人と盛り上がりかかっているゲームボーイアドバンスの価格チェック。(同居人はファミコンミニのスーパーマリオをやりたいから。俺はメトロイド狙い) うーむ、畳めるタイプじゃなくて十分かなぁ。コンパクトでいいんだけどね。
なんてことをつぶやきながら店を出た俺の手には何故かドリームキャスト用のシェンムーIIが…。いや中古で千円切ったら買おうと思ってて数年、すっかり忘れかけてた。一体いつやるんだっつー話はあるが。

2004.05.30

毒男に捧げるスピッツ

CROSSBREEDさんの記事経由でみた「男達が後ろから撃たれるスレ 衛生兵を呼べ」に記されている電車男氏のスレまとめ記事。一気に読んでしまった。なんとなく熱に浮かされたような気分だ。久々にこんな気持ちにさせてくれてありがとう、という感じ。浮かされついでに浮かれたことを書いてみよう。後でやめときゃよかった、ときっと思うのだが…。

なんというか、電車男氏に、というよりスレ参加者全てにシンクロしてしまう自分がいる。そうなのだ、俺も間違いなく同じ世界に居たのだ。例えば十数年程前の俺がのスレを見ていたなら同じようにドキドキしながら報告を待ち(いや、今読んでてもなんかドキドキするものがあるのだが)、下手したら役にも立たないどっかの本から拾っただけの実のないアドバイスを送っていたかもしれない。そして旅立つ「元仲間」へ惜しみない祝福と分かち合った暖かな気持ち、そして同じことが起きそうもない自分への自己嫌悪と道の行き場のない焦燥感で鬱になっていたのではないか。

一人の時間というのは嫌いではない。むしろ好きだった。気心の知れたムサい仲間とほか弁食いながら週末をだらだら過ごした時間も、延々と本屋とゲーセンを巡る時間も、メシも食わずにパソコンに向かう時間も少なくとも自分にとっては価値あるものだった。そもそも自分にもそういうことが起こるのか、なんだかそれは遠い、何かの敷居の向こうの出来事のように思われた。半分強がり、半分真剣に今の自分なりに居心地のよい生活ペース、スペースが誰かと暮らすことで乱されるであろうことに抵抗感すらあったかもしれない。

こういう価値と恋愛との一番の違い、それは「他者による自分という存在の全面肯定」なのではないかと思う。恥ずかしいのでつい小難しそうに書いてしまうが、つまりは「ボクはここにいていいんだ」という「おめでとう」と拍手がバックに流れそうなアレである。何らかの偉業を為す、素晴らしい仕事をして評価される、そういったものでも自分の価値は確認できるのだろうが、恋愛の基本要素たる「あなたが私の一番」というシンプルな衝撃はヤワな理論武装をつきやぶり根幹部分に直接ゆさぶりをかける。そして自分から相手への気持ち、行動にも人間が左脳だけでなく右脳にも容易に支配されうることを知るのかもしれない。もちろん、このあたりはそれまでの人生で価値順位もインパクトも異なるし、恋愛初期を過ぎたスパンまで考えるとまたあれこれ違うだろうだが、あのスレの毒男的にはきっと近しいものではないかと狭い狭い経験から身勝手に考える。

時々、昔を思い出したり、こういう話を読んだりすると妙にスピッツを聴きたくなる。
実はスピッツは以前はほとんど聴いていなかった。むしろ、TVで流れるサビの一部だけでなんだか甘ったるい、ミーハー狙いのバンドかと思っていた。ちゃんと聴いて始めてその奥にあるひたすら暗い孤独の闇、エロス、生死感に気づいた。スピッツの多くの曲は人の出会いによる死と再生を、時に刹那な疾走を描く。人は誰かに出会い、生まれ変わることが出来る。それはほんのちょっとの間だけ見える幻かもしれない、もろく崩れ去るものかもしれない。それでも変革は起き、立つ位置は元の場所ではない。きっとそこからこれまでと違う軌道を描き出す。違う景色の中を行く。
スピッツの歌は実は長く暗いトンネルをくぐった人程キく…なんて思うのだが、どうだろう。草野さんも長いトンネル派(?)なんでしょかね。

最後に…えっと年に数回こういうモードに入る時ってないですか。俺は勝手にリリカルモードと呼んでいます(笑) いっそ点描がバックに散らばったつもりでそのモードを楽しむも良し…かな。貧乏性なもんで。

2004.05.29

食い意地の節約活用

何故だか知らないが俺(というより同居人)の周りは食欲魔人が揃っている。おかげで手作りもののおこぼれ(?)にありつくことも多いのでありがたい。

今日はそんなビバ!食べ物系な人のための節約術を紹介しよう。

まず節約のうまい人とヘタな人の違いというのはいかに日々の何げなく消えてる部分を絞り込むかということにあるのではないかと思う。日でみればちょっとした額だと思っていても一日200円なら月で6,000円。年にすれば7万を越すことになる。

ただこのように計算して簡単にわかりきっていても日常的な部分なので「まぁいいか」とつい使ってしまい、実際にはなかなか節約できないのではないだろうか。あくまで具体的なビジュアルで節約による効果がイメージ出来なければ効力は薄いのだ。そういうときには自分の食い意地を有効活用してみてはどうか。

俺の場合はこれまで何度も名前を出している気がするがお気に入りのフレンチ料理店をイメージに据える。

ル・メナージュのランチ(Bコース)2500円=1ルメランとすると250円は0.1ルメラン。これは缶ジュース2本、もしくはタバコ1箱に相当する。
今日はいまいち食欲ないから昼飯はおにぎり一個でいいや、で0.1ルメラン。前にカップコーヒーを販売機で買っていた頃は少なくとも一日3回、300円は使ってたのだから一日で0.1ルメラン。ゲーセンよっても今日はやめとくかで0.2ルメラン。

このようにルメラン換算を行うと意外とあっさりと月に2ルメラン以上、使わなければ使わないで済むようなものに消えていることがわかった。それをなくせば2回もあのランチが食えていたのだ。そう考えると俄然、節約する気が出てくるというものである。
節約で数ルメラン溜まったら実際に食べに行くのもいいし、気分次第で他の店の開拓に使うも、次にとっておいてもいいだろう。少なくとも節約しないよりは外食に使う金の分節約できたのは確実なのだ。ある程度は目的に使わないと節約する目的の価値、原動力を失ってしまう。

コツとしては近場ですぐ手が届きそうな単位をつけることだ。ワイン好きなら1モエシャンドンでも1シャブリでもいいだろう。ちょい前に買った一眼デジカメD70だとトータル15万くらいあるのでそれを指標にしてしまうと100円じゃ0.001ニコンにも満たない。これだと値が小さすぎて積み重ね感が薄れてしまう。それどころか「げ、よく考えたらたった1台で60ルメラン分じゃん」なんて事実に気づいてしまう。
墓穴を掘らないようにくれぐれもご注意を…。

2004.05.28

3匹目の犬

昨日の朝、会社のE先輩と話していたのだが、それはこんな内容だった。

E「小春・弥七に続く3匹目の犬の予定ってないの?」
俺「今のマンションの規約が2匹までだし、当分ないっすよ」
E「そうかぁ。正夢じゃなかったか」
俺「夢みたんすか」
E「おう、3匹目がコリーで、名前聞いたらジェンキンスっていうんだよ」
俺「今話題の…」
E「なんでそんな名前なの?って聞いたら『時の人だから』って答えて。こいつの命名はよーわからんなぁ、っていう夢だった」
俺「夢の俺、なかなかナイスなネーミングだなぁ。北京のペットショップで出会ったんすかね」
E「そこまでは聞いてなかった。続き見ることがあったら聞いとくよ」
俺「お願いします(笑)」

人の夢の中でさえ、俺はこういうキャラなのか…。でも3匹並んで挨拶したら
「小春でーす」
「弥七でーす」
ジェンキンスでございます
…3段オチとしては十分なパワーを持っているな。夢の俺にちょっとジェラシー(ぉぃ)。
ちょっと不謹慎かな。ごめんなさい。夢に出てくるくらい動向を注目されているってことなんでしょうね。

帰って、こんな話があったよと同居人に話していると、この日の早朝、3匹目の犬でなく同居人の3人目の姪が生まれたんだそうな。E先輩、惜しい!でも女の子とのことなので「ジェンキンス」にはならないと思います…。

2004.05.27

バーチャファイターという潮流

それはまだ俺が新入社員だった頃。俺は先輩に連れられ、居酒屋とゲーセン通いの日々を過ごしていた。そんなある日、いつものゲーセンで見知らぬゲームと出会った。
そのゲームはとても地味な画面だったが、とてつもなく派手な「動き」をしていた。ゲームの名は「バーチャファイター」(以下VF)。 そう、今でもゲーセン稼動している名シリーズの最初の作品である。
既に語られ尽くしてるのかもしれないが、思い立ったのも何かの縁。バーチャと出合ったあの頃を振り返ってみようかと思う。

VF発表以前もポリゴンゲームは徐々にゲーセンで活躍しはじめていたがレースゲームに使われているのを見る程度。おそらくはナムコの「ウイニングラン」が俺がゲーセンで最初に見たポリゴンゲームだったと思う。テクスチャのない生ポリゴンなのでスピード感が出しにくいのか俺の周囲でそこまでウケているという印象はなかった。
それから日が経ち「バーチャレーシング」から状況が変わってくる。これもセガの作品だが、ポリゴンによる滑らかな走行感覚とスピード感を両立させたレースゲームだった。視点変更というポリゴンならではのメリットも活かし、3Dであるメリットをアピールしていた。
一方先駆者ナムコも超名作「スターブレード」でポリゴンを演出のために有効活用し、3Dポリゴンだからこそ出来るゲームに仕上げていた。
このようにポリゴンゲームにも幅が出て来ており、そのうち格闘ゲームもポリゴンに…というのはゲーム好きな仲間うちではよく話されていたことだ。それが唐突に、そして予想より早く現れてしまった。

ちょっと話がそれたが、そんな流れの中、VFはポリゴンを使った格闘ゲームというだけでなくいろんな新システムを搭載して登場した。

当初1プレイ200円とプレイ料金が高かったため最初のうちはみんな遠巻きに眺めてはいるけど、そこまで人気爆発という感じはなかった。俺も試しに入れたコインは何だかよくわからないうちにさくっと終わってしまった。やはり割高感はぬぐえないものだった。それでも
「リアルタイム3Dポリゴンもここまで来たのか」
という感慨は大きく、目を離せない存在となっていた。

当初のバーチャプレイヤーは年齢層が高かったような気がする。1ゲームの高さからメインプレイ層がリーマン層だったのかもしれない。カプコンのストリートファイターシリーズをやる若者とVFにいそいそとコインを積み上げるリーマン層という図式は俺のよく行っていたゲーセンだけの風景ではなかったのではないかと推測する。

そう、バーチャファイターも格闘ゲームである以上、格闘ゲームにおけるカプコンの数々の偉業を継承している。ただし、コマンド入力の複雑化へ向かっていた2D格闘ゲームを一旦リセットし、数々の新機軸を持ち込んだという点で新たな潮流となりえたのだろう。

まずはやはり3Dポリゴン採用によるダイナミックなモーションだろう。2D格闘では派手だがわかりにくい、もしくは非現実的な技が多かったのに対し、3Dポリゴンの人体によって繰り広げられる技はあちこちの実際の武術やプロレスから持ってきたものも多く、どういう技を出しているのか、そしてそれが相手に当たっているということが直感的に理解出来た。そして当たった姿が本当に痛そうに見えるのだ。つけ加えてちょっと金属音系の効果音がその重量感を演出した。
こういうわかりやすさは対戦時にも言え、何故自分が負けたのかが納得出来ることが多かった。それは反省となり次のプレイへの意欲となる。また実在の技を取り入れることでプロレスファンや中国武術ファンを引き込むことにもなった。
単に見た目のインパクトだけでなく、モーションがもたらしたものは画面の中のキャラクターとのシンクロ度の向上であったのかもしれない。

次にシンプルな操作パネル。スト2系のレバー+6ボタンというだけでついていけないオールドタイプにレバー+3ボタンはやさしかった。それぞれのボタンでガード、パンチ、キック。非常にわかりやすいアサインだ。最も画期的だったのは技の発動ロジックだろう。ボタンを減らしたことで技の種類が減ったのでは面白くない。
それまでの必殺技の発動というのは「この順番にレバーを倒してこのボタン」というある意味キーワード的なものだった。VFでは行動の「流れ」を取り入れた。例えば単純にキックをするのとパンチを打った直後にキックをするのとでは別のキックとする。以前のアクションと操作の組み合わせによる連続技という方向でバリエーションを増やしたのだ。これに旧来のレバーを入れながら、入れてからのボタン操作、しゃがんで立ち上がり途中などの特別な状態ごとに別のものとすることで少ないボタンで豊富な技の選択を可能とした。極端な話、がちゃがちゃとレバーを適当にいれながらボタンを連打するだけでもそこそこ見慣れぬ動きが出来るものとなっていた。
このシンプル操作で複雑なコマンド入力などを理由に格闘ゲームを避けていた層の取り込みが出来たのもヒットの一因だろう。

システムとしての目新しさはまだある。わかりやすいジャンケン要素の導入もその一つだろう。
「ガードは打撃に勝ち、投げはガードに勝つ。そして打撃は投げに勝つ」
これが最も基本的なジャンケン要素だ。これはそれまでの格闘ゲームにおいても同じだが、さらに打撃とガードについて明確化された。
○攻撃は上・中・下段の攻撃に分類される。ガードは立ち・しゃがみの2つ。
○立ちガードは上・中段の攻撃を無効化するが、下段攻撃は防げない。
○しゃがみガードは上・下段の攻撃を無効化するが、中段攻撃を防げない。
○中段攻撃は基本的に隙が大きく、ガードされると反撃されやすい。
スト2等にも要素的にはあったと思うが、わかりやすく整理され、前述の通り、3Dポリゴンとモーションにより納得しやすいものとなった。そしてこれらジャンケン要素を相手のクセや心理の「読みあい」により確度を上げていくことでプレイヤーを真の強者と敗者へ振り分けていく。
単にコマンド入力の巧みさや知っている技の多さだけではない、先を見抜く思考が強さの指針となったのだ。

あまり目立たないが対人プレイでなく、コンピュータとの対戦も隠れたヒット要素の一つだったのではないかと思う。当時のパソコン通信でも同意見があって納得したのだが、VFでは対コンピュータ戦で出てくるキャラクターが固定されており、ステージが進むごとにそのステージを乗越えるために必要なスキルがある。
どんどん技が出せれば勝てる初期ステージ、連続技の存在を教え、それをガードすることで乗越えるステージ、下段ガードを覚えるためのステージ、中段攻撃に隙が多いことを知るステージ…。クリア出来るようになる頃には対戦のための基礎知識が身についているのだ。

ちらりと触れたがVFによる潮流の特徴の一つとしてパソコン通信などのネット情報による情報の広がりも注目したいところだ。
それまでと機軸が異なるこのVFというゲームについてニフティサーブなどのパソコン通信上では日々活発な情報交換が行われていた。どこかで誰かが目にした技のコンビネーションがあっという間に広まったり、次々と隠しコマンド、バグ技が解明されていった。キャラクター毎の技表も日々更新され、ゲーセンではそれをプリントアウトしたものを貼り付けているところもあった程だ。

そんな中、こういったネットによる情報交換からもう一つの潮流が生まれた。
各地の有名プレイヤーの出現だ。出没する地名と使用するキャラクター名から名づけられた屈強のプレイヤー達の存在はネットを介して全国に広がっていった。中にはそのプレイを見ようとはるばる遠征に出かける人も多かった。
実は俺も出張ついでに当時の聖地、新宿に遊びにいったりしたことがある。鉄人といわれていた有名プレイヤーでなく店のレベル自体が全然違ってて、すごすごと退散したような…。
そういえば浅ヤンにも出てたよなぁ。って浅ヤン自体知らない人が多かったりして…。

コミュニケーションとしてはネット上だけでなくゲーセン上でも活発になった。元々見知らぬ人と対戦するのだからそれ自体がある意味コミュニケーションである。通うゲーセンが固定なら顔を合わせる面子も似たようなもので、ちらほらと感想を言い合ったり、情報を交換しあったりする姿も見られる。対戦して友達になった、という人も多いだろう。
名前も知らないが使うキャラと強さは知っている。俺も先輩と勝手によく見るメンバにあだ名をつけて話していたなぁ。顔がクイズ王に似てるから「クイズ王」とか、負けた時のリアクションが妙に子供っぽいから「ガキ」…そういうレベルだけど。なんとなく「仲間」だと思っていたクイズ王が彼女連れで来たときはワンパンスプラ100回分くらいのショックを受けたものだった……。

話が前後するが、このように広がりを見せていったVFで一番の爆発材料となったのはやはり続編であるVF2の発表だった。

VF2では初代の地味な画面とは異なり、テクスチャにより飾られた美麗な画面、そしてフレームレート(画面書き換え速度)が1/60になったことでモーションはさらに滑らかになった。VF2を見た後に初代を見ると普通に見えていた画面が本当にカクカクして見えたものだ。
まずデモとして始まる新キャラクターによる「演舞」が度肝を抜いた。気持ち悪いくらい滑らかなモーションで酔拳の演舞が披露される。ところどころに生まれ変わった初代からのキャラクター達の躍動感溢れる動き。大幅に追加された技、新要素、新キャラクター。ちょっと動きが軽くなった感もあるが、逆に言えば全体的なスピードアップとなり、戦いはより密度の濃い熾烈なものとなった。

大抵続編というとインパクトが薄れるものだが、VF2に限ってはさらなるインパクトをもたらしてくれた。プレイ料金も当初こそ200円だったが100円になるのも早く、元スト2プレイ層をも巻き込んで全国のゲーセンを覆うブームとなっていく。
例によってネット上では次々と情報が交換されていった。キャラクター単位での攻略や解析、使える技、使えない技、連携技、ありとあらゆるデータがネットを流れていく。

そんな中に単純な情報交換だけでなく、愚痴めいたものや他のプレイヤー批難が目立ちだしたのもこの頃だったような気がする。「待ち」「チキン」といった言葉が毎日のように飛び交った。
簡単に俺の理解で説明すると格闘ゲームでは主要な技の多くに相手にガードされた後、自分が動けない時間(硬直時間)が設けられている。この時間が長ければ相手にガードされると確実に反撃を食らうことになるし、逆に短ければバンバン使っても反撃されるリスクは少ないことになる。VF2ではこの硬直時間が比較的長めになった技が多かったのだ。
おおざっぱに言えば相手が先に硬直の長い技を出してくれるのを待ち、自分からなかなか攻撃をしかけないのが「待ち」。硬直の短い技ばかりを多用し、ほとんどその技のみで闘うのが「チキン」と考えていいか。
勿論それらのスタイルに対する対処方針を練るなどの情報交換もあったが、愚痴っぽいのは確実に多くなってしまった。そして実際にそういうスタイルのプレイヤーは多く見かけるようになる。これらは特にVFに限ったことではない。対戦ゲーム全般に言えることだろう。

プレイヤー人口の増加がプレイ目的の多様化を生んだ。ある者はひたすら勝利を目指し、またある者は美しいプレイや時にお笑いを目指した。目指すところが異なることからくるプレイへのギャップに去った人もいただろう。それでもなおVF2は絶大な支持を受け続けた。

さらなる続編としてVF3も出たが、インパクトはそれほどなく、俺もVF3あたりからはほとんどプレイしてないのでフォロー出来てない。それでもVF2までの盛り上がりは家庭用ゲーム機への移植も含めて楽しい日々だった。出費は嵩んだけども…。
当時使ってたキャラクターや勝てない日々についてはまたいつか気が向いたら書いてみようと思う。

2004.05.26

鼻毛の価値が上がるとき

突然だが鼻毛の世間からの好感度はかなり低いと推定する。役割としては重要なのだろうが、基本的に邪魔者扱いされ、笑いの種となるケースが多いだろう。

そんな不憫な鼻毛にも脚光を浴びる瞬間がある。
ある日鏡を見てぴろんと鼻の穴からはみ出た鼻毛があったとする。大抵の場合それは即座に除去されるか、それが困難な場合は再び奥へ隠されることになる。見事引き抜いて確保に成功した時、そしてそれが予想だにしていなかった程の長さに成長した主クラスの鼻毛だった時、その鼻毛の価値は急上昇するのだ。

「一体今までよく気づかれることなくここまで成長したものだ」

と、この「主」鼻毛がこれまで辿ってきたであろうスリリングな日々に畏敬の念を送るしかない。ヒゲでも似たように根元の長さに驚くことがあるが、驚き度としては鼻毛が勝る。

だが…哀しいかな、それを分かち合う相手というのは稀なものだ。ほとんどのケースでは自分だけのひとときの感激の後、最後にはやはり闇へ葬られてしまうという哀しい宿命を負っている。せめて、主鼻毛と出合った時は最大限の賞賛を送ってあげたいところだ。

そういえばかなり昔の話だが一時期、鼻毛を抜くときの痛みが人に共通だとして痛みの世界共通単位が「1ハナゲ」となった、という嘘があちこちで広まったことがあった。
ホントに信じた人がどれくらいいたのか不明だが、信じた人は鼻毛を抜くという行為が身近かつその痛みの大きさがなんとなく納得出来るようなものだったからではないか。
ついでに「抜いた鼻毛が予想以上に長かった場合の驚きの単位を1ナガハナゲ」というのも広まって欲しいものだ。(すぐバレるか…)

2004.05.25

一眼デジカメ:ヘタの横好き判定テスト

以前の記事でギターについてのヘタの横好き度について書いたがやはり最近購入したD70、つまり一眼デジカメについてのヘタの横好き度も書かねばならない気がしたので自戒を込めて書くことにする。

1)ISO値の変更をつい忘れてしまう
2)当然のように手持ちのコンパクトフラッシュ(SDカード)は1枚きりだ
3)色調設定はデフォルトから変えたことがない
4)実は購入後まだ三脚を使って撮影したことがない
5)まだまだ大丈夫と油断して充電をサボり、バッテリ切れを 起こしてしまったが勿論替えバッテリなんて持っていなかった
6)RAW撮影したのは買ったすぐ試し撮りした時だけだ
7)実はRAW撮影してもファイル処理できるPC性能(&HDD空き容量)がない
8)いまだ流し撮りがばっちり成功したことがない
9)いつかやろうと思いつつ、まだサイズ縮小以外のレタッチをしたことがない
10)WEBアップ用にサイズ縮小した時、手ぶれ画像ががわかりにくくなってちょっとニヤリとしたことがある
11)レンズにゴミを発見したがなかなかサポートへ持っていけないままでいる
12)正直微妙なボケ味を語るほどの知識も経験も眼識もない
13)ブラケティングのことは理解したが撮影時は大抵忘れている
14)買うに値する腕も金もないが、次に欲しいレンズだけは調査している
15)構図の取り方等はコンパクトカメラな友人・知人の方がよっぽどセンスがあることに薄々気づいる(涙)
16)上記に複数あてはまりつつもやっぱり一眼カメラってなんか楽しい

今回も悲惨な横スライド度である。せめてこれが該当5つくらいに減るようにはなりたいところだ。
ってかギターといいこれといい、どうだと胸を張れる趣味はないんか…>俺

2004.05.23

静なる夜に…

やっと北朝…もとい出張から帰還。金曜に帰れなかったせいでお好み焼きパーティに行きそこねてしまった。

今回は出張中ずっと同じホテルに泊まっていたのだが、周りに何の店もないようなところなので(コンビニなのに夜9時で閉まるとか)、夜になるとえらく寂しい感じだ。遅い時間になると車もほとんど通らないのでTVを消すと耳がつまるかのような静寂が訪れる。
極度の静寂というのはある意味騒音ではないだろうか。
TVも消して電気も消してしまうと普段は五感に散らばっている意識が集中され、意識密度が高くなる。疲れてとっとと寝たいのにどうでもいいことを考え始めてなかなか寝付けないのだ。結局TVをつけっぱなしにしたりして寝ることが多い。

帰ってみて思うのだが、自宅も田舎でペット対策か防音も結構しっかりしてるので時折走る電車以外の音はほとんど聞こえない。住宅の音環境としてはそれほど今回のホテルと変わらないはずなのだ。
違いを探すと…それはやはり気配というものなのだろう。同居人の寝息や弥七の鼻息、小春が俺らの聞こえないような小さな音に気づいて首だけ振り向いてる(ような気がする)気配。そういった音として聞こえているか聞こえてないかくらいのものがほどよい意識分散となって眠りへ導く。

そんなわけで、ただいま。

2004.05.20

嗜好という指紋

最近、身近なところでホームページ作ったよ、という人が増えている。初期設定や更新が楽なblogが世間に認知されてきているのかな。
同居人の同僚もこのところblogデビューが続いている。中にはいつのまにかこっそり開設していてURLを教えてくれないのでGoogleでその人が書きそうなキーワードを元に探したりしていたようだ。

確かにWEBページでとりあげる記事や各記事には当然その人の嗜好が表れる。記事が数十、いや人によっては十も集まれば、その中の特徴的なキーワードを抜き出すことでその人の属性というか、数あるページの中から一人を特定するための材料とすることが可能となるのかもしれない。
つまり、名前を伏せていたとしても特徴を示すキーワードの羅列がDNA配列のごとく、指紋のごとく個人を特定するものに利用出きる可能性があるということだ。
以前の書いたググリアソビもある意味、そのエッセンスを使ったものと捉えられる。

WEBで人探しをしたことのある人は誰もが無意識に同じことをやっているのではないだろうか。
単純に名前で検索してもダメだったとき、
「あの人は△△が好きで、××に乗ってて、○○に詳しかった。よしこれで検索エンジンにかけてみよう」
なんてのは成功率はともかく十分ありそうなアクションだ。

これを応用して自分のページの特徴ワードとの類似から「あなたに似たページ開設者は○○さんです」というような案内をしてくれるシステムがあると楽しいかもしれない。システム名はもちろん『類人縁』だ。

実際に作ろうとしたら無関連なキーワード羅列に対応しなきゃいけないので、今の検索エンジンのようなページ(=ファイル単位)でのキーワード一致(推測ですが)でなく、個人という範囲を認識出来るようにblogのような記事毎に複数ファイルで構成されたページも1つの検索枠としてまとめるようなカラクリが必要かもしれない。
またキーワード検出ロジックとしてはその個人ページ内で頻繁に使われているもの、またマイナーな単語であるほど重要性が高いことになる。例えばX68000よりMZ-1500の方がマイナーな存在であり、このキーワードの使用者の範囲は狭くなるのでより重要なキーワードとなる。例えば金原ひとみと綿矢りさとなら…はいいか。こういうキーワード評価のための辞書は相当大変そうだけど…。マイナー度比較だけなら「Google一本勝負!」的なカラクリでもいけるだろうけど…。

果して自分と似た傾向の人のページは面白いのか、ある意味鏡を見るような恥かしさがあるのだろうか。結構似た道を通ってきてる人っているんだよなぁ。時代背景もあるだろうけど。

ちなみにキーワード数、記事数が少なくても特定しやすい人ほど濃ゆい人にあたりそうな気がする。被リンク数によるランクはあるとして、それだけマイナーかつ強力なキーワードを装備してるということだしね。

例えば「腐女子」だけでGoogle検索すると……やはり。

2004.05.17

ギター:ヘタの横好き判定テスト

結構前にギターの話をしてから数ヶ月、以後まったくその関連の話が出ないあたりに普段の音楽生活がしのばれるものがあるが、あれっきりで終わりというのもナンなのでたまにはギター関連をちびっと。
といってもどこかの掲示板に一度書いたやつを貼っつけただけという噂もあるが…。世の中リサイクルが大切である。

前の記事の通り、ギターは好きだけど人には聴かせられない(犬もそっぽ向いて逃げていく…)というレベルな俺であるが、こういうのをまさに下手の横好きというのだろう。
ではどれくらいのヘタ横レベルなのか、俺のギターのレベルをヘタの横好き判定テストみたいなものであらわすならば、

1)弦を切ったことがほとんどない
2)転調なんて大嫌いだ(でも聴く分には大好き)
3)左手の指先は弾くたび痛いままだ
4)奏法に関係なくピック持ってくるのが面倒なのでほぼ爪オンリーで弾いている
5)チューニング狂ってても気づかないが、合わせると気持ちいい…気がする
6)歌うと弾けない。弾くと歌えない
7)つい左手を見てしまうので楽譜のどこをやってたかわからなくなる
8)弦にまでホコリが積もってたことがある
9)テンションコード?(on XやらaddX,susX)は見なかったことにする
10)一曲通してコード進行覚えたつもりが3日ともたない

が全部YESになるような横スライド度である。
似たような状況になってる人もいる…とちょっと安心かも。(向上心なし)

ちなみにこれを最初に某所に書いてからかなり経つが、全く状況に変化がない。確かにここ最近ちゃんと手にとって練習したような覚えもない…。昨日ちょっと手にとったら弦から変な臭いがした気もする。

梅雨あけたら弦変えてちょっとは練習再開…しよかな。

2004.05.13

キーンとこない女達

仕事のバタバタでなかなか更新も出来ず。ま、のんびりペースでいこう。

さて、ゴールデンウィークも過ぎ、気温も上がってきた。あちこちに初夏の気配。ていうか梅雨?
ちょっと気が早いが、日本人の夏の風物詩といえばかき氷。かき氷といえば食べてて「キーン」と来るのが定番だろう。夏だなぁ、と思う瞬間である。

ところが不思議なことにうちの同居人はこの「キーン」を経験したことがないという。さらにいえば同居人のお姉さんも経験がないということなので「キーン」が発生しないDNAを持つ「無キーン血族」ということになる。

キーン細胞(仮)が欠如してるのか、何らかの理由でキーン神経(仮)またはキーンシナプス(仮)が切断されたのか、その詳細な理由は不明なままである。
いや、もう一つの観点がある。もしかしたら彼女こそが正しく、「キーン」は他の一般の人々が作り上げた虚像である可能性も残されているのだ。

「プラシーボ効果」いわゆる「偽薬効果」といわれるものがある。
「これは凄くよく効く薬です」といって単なる小麦粉を炒めたものを飲ませたとしてもそれを信じた患者に回復徴候が表れることがある。逆もまたしかり、同じものを「毒が含まれている」といって渡せば本当に気分が悪くなることもあるのだ。よく「病は気から」というが、思っている以上に俺らのカラダは精神と強い結びつきを持っているということなのだろう。

これを鑑みて「キーン」も実は実体なきもので、冷たいものを食べるとそうなるのだという固定観念がひきおこしている可能性もある。
最初に氷を食べたキーン原人A(仮)がたまたま別要因でたまたまキーン状態となり、それを見ていたキーン原人B(仮)が氷を食べるとそうなるのだという思い込みをしたのが受け継がれているのかもしれないではないか。
ということは「キーン」してる人をみかけたら杉田かおる風に「それ虚像!」と言い放つとあっさり治ってしまうかもしれない。

…なんてことを考えてみたがやっぱり有り得なさそうなので単に同居人がヘンだということで結論としたい。冷たいものに対しての口や喉近く神経反応が鈍いんでなかろうか。

このような痛みなどのマイナス方面の感覚は通常、抑止制御のためにあるものだ。「それ以上やると体がヤバいよ」っていう危険信号のようなもの。それが鈍いということは例えば何かしたいこと、気になることがあるとほどほどでやめることが出来ずに「ノンストップで突っ走ってしまう」ということになる。

アンジー、山崎まさよし、ヨン様……。
この抑止制御の消失現象はハマりやすい同居人家系と何か関連があるのだろうか。ガクブルである…。

ところでこの「キーン」って正式には何て表現するんだろ?

2004.05.08

チャリ変遷とチャリロマンス変遷

別記事のコメントで話が出たのだが、男子の基礎知識の一つとしてチャリ知識があると思う。知識といっても本当に普通のことだ。どうワイヤーが繋がっているのか、どうやってギアチェンジは行われるのか、あんなチャリに憧れた、といった程度でいい。
俺はどちらかというとチャリにそこまで情熱はなかった方だがそれでも必須アイテムには違いないのでこれまでに複数台のチャリを乗り継いでいることになる。

1970年前後生まれ限定かもしれないが、その年代の代表的な持ちチャリの変遷は以下のようになるのではないだろうか。

■小学校位まで
・三輪車などの子供チャリ
 ↓
・補助輪つき子供チャリ
 ↓
・メカ満載子供チャリ

最後のメカ満載子供チャリについて解説すると、ジャンプ等のマンガ雑誌の裏表紙で広告されてたようなチャリである。
って、余計わからんか。
3~5速ギア搭載。サイズは子供向けで小さめであるものの、疑似スポーツタイプのフレーム形成でハンドルもセミドロップぽい。車種によってはギアチェンジをオートマ車のようなでっかいシフトレバーで行うものもあった。ディスクブレーキなんてものを覚えたのもこの辺からかも。ボディ色は大抵ブラック。
ライトは電池も併用するタイプも多く、ライト二眼でさらにウインカーが付いてたりするものもあった。モノによっては手元のスイッチで電子音とかまで鳴らせたりする。今考えればほとんど全部いらん機能なのだが、その頃の俺らにはすげーマシンのように見えたのだ。
機能やメカへの欲求が現れはじめる頃だったのだろう。
ちなみにこのタイプのチャリ、その後もどんどん機能がエスカレートしていったように思うのだが、いつからかぱったり見なくなってしまった。
今じゃお子様もMTB風の子供チャリ。寂しいような気もちょっとだけ…。

■中学校高校まで
・ドロップハンドルの通学チャリ

ドロップハンドルで通学…なんてもう全然見かけないなぁ。この頃はスポーツタイプといえばコレ、男子の通学の多数はこれだった。(少なくともうちの田舎では…) たまにウイリーに青春をかけるママチャリ派もいたりする。
スポーツタイプとなりタイヤは細く大きく、ギアはさらに多段化。自分なりにハンドルのテーピングしたり、折りたたみ可能な荷物用のカゴなど、オプションをつける外すなどのカスタム色が強くなってくる。学校の帰り道で友人との速度競争となるシチュエーションも多い。ちょっと錆びついたりしてると走行時やギアチェンジ時にチェーンが外れることも経験しやすいので自然と対応せざるをえなくなる。

■進学/就職等
・マウンテンバイクやママチャリへ戻る


大体このような変遷を辿ることが多かったのではないだろうか。

こういうwithチャリな生活だと自然とチャリにまつわる思い出があれこれ出てくるものだ。
きっと皆、オイルをたらし過ぎてしまってブレーキパッドにまでついてしまい、しばらくブレーキ効かないまま構わず走ってたり、ブレーキパッド擦りへって効き悪いのに雨の日傘さし片手運転なんかやってて電柱に突っ込んだり、ジャックナイフやウイリーの練習してて頭打ったり、ドリフトターンの練習してて足削ったり、意味もなく超スロー走行にチャレンジしたりしていたことだろう。
そしてタイヤに空気をいれた直後のハンドルが落ち着かない、だけど路面を直に触ってるような路面のレスポンス、どこまでも速度を上げて走っていけそうな感触を楽しんだりしていたに違いない。

ちなみにドロップハンドルでバッグを手首に持ったまま運転するとかなり危険だ。俺は走ってる途中に前輪スポークにバッグが挟まり、そのまま自転車ごと前転したことがあったのを書いてて思い出した。
目のすぐ脇が切れて血だらけ。もうちょっとずれてたら失明だったかも。血だらけで帰る途中ですれ違った車のドライバーはかなり動揺していた。家で消毒だけしてしばらくお岩さん状態で学校へ通っていた覚えがある。「ケンカ?」「いや前転」という非常に間の抜けた会話を何度も繰り返さなければならなかった。

ここまで書いて実物知らない人は文字だけじゃよくわからないだろうとイメージ画像を探してみたら、ヘキサ弟子丸のホームページさんで古い自転車のページがあり、貴重な画像をあれこれ発見。
あー、これです、これ。メカ満載子供チャリドロップハンドルチャリ…。なつかしー。チャリ以外にも貴重な画像が盛り沢山で楽しませていただきました。

さらにググって、当時、僕たちはこれに乗ってたというページも発見。「自転車小僧よ、読んで泣け。」とのお言葉。ええ、泣きます、泣きます。

……さわりだけのはずのチャリ変遷でえらく長くなってしまった。なんかもうあちこち楽しいところ見つけて満足しちゃったので本題は短く済ませよう。(それは本題じゃないんでは…)

実はチャリが変わっていったようにチャリロマンスも変遷を辿っているのだと思う。
少女マンガ的出会いシチュエーションの一つとして共通認識のある
「自転車のチェーン外れて困ってるあたしを助けてくれたあの人」
というパターンについてもかつては「大丈夫?僕に任せて」みたいなのが主流(?)だったのだろう。実際見たことあったか覚えてないが…。マンガ世界でも主流は移り、この基本シチュエーションについても追加要素が加わってこそ活きるものになったように思う。
例えば「ぶっきらぼう」であることを要素に加える。
困ってるところに通りかかり、ほとんど無言で手を真っ黒にしながら修理して、そのまま言葉少なく去っていく男。台詞はあるとしても「貸して…」や「…はい」くらいのものである。
ここのポイントは単純に助けてくれたという「親切」だけでなく「ちょっと変わっている」とか「ディスコミュニケートな距離感」などの付加価値が出会いを盛り上げるために必要になったということだ。
「やさしい、いい人」じゃなく「わからないけど、ひかれる人」へのシフトである。
その後の応用が効くのもこういうケースのメリットだろう。最初が無愛想であればあとはその後の展開の中で万全のタイミングでやさしい笑顔でも出しておけばいい。このあたりは別の王道たる「いやなアイツの意外な一面」と同様の展開方法だ。これでうまくすればトクントクン発動である。

……というのも既に昔の話。いまはこの手のシチュエーション自体がギャグネタ以外には絶滅してるのだろうなぁ。いまだにチャリは身近な存在であるのは変わってないのだから細々と生き延びてるのだろうか。
リアルで本当にこの手のシチュエーションで出会った人とかいたら是非当時の話を教えていただきたいところだ。
他のシチュエーションでもいい。「あのシチュエーションのリアルさんを探せ」みたいな感じで、

・曲がり角で出会い頭にぶつかったのが出会い
・遅刻しかけて近道しようとして柵を乗越えたらそれを
 見られて笑われた(パンツ見られてぶったも可)のが出会い
・いきなり「チビだな」とか「デケー女」などの失礼な言葉を
 かけられたのが出会い
・愛想のない人だと思ってたら捨て猫を拾って優しく微笑んでたのを見た

なんてどうだろう。微妙にいそうで微妙にいなさそう……。

2004.05.06

迷惑メールコレクター

今の携帯になってからはやめてしまったのだが、以前、携帯に届く迷惑メールをコレクションしていた時期があった。
実際はコレクションというほどのものではなかったのだが、保存まではしないにしろ、迷惑メール界の流行を観察するのはただ迷惑なだけのメールのせめてもの楽しみ方なのかもしれない。Vodafoneはメール受信がタダなのでまだこんなのん気なことが言えるのだろうけど。

軽く傾向を振り返ってみよう。

全体的には相変わらず出会い系が多い。手口も王道の「やり放題!即H!」みたいな宣伝文句をうたうものが相変わらず主流。他にもそろそろワンパターン化してきてるが、友人へ宛てたメールのように振る舞って「ここいいよ、行った?」とURLを示すパターン、「ここにあたしの写メあるよ」や「こないだ凄かったね」的に女性からの間違いメールを装うパターン。「△△さんから伝言です。」のように伝言を装いURLをつけるパターンなどアクセスさせようとする工夫がうかがえる。スパムフィルタから逃れるためか、タイトルや本文が完全一致しないようにするためと思われる不要な数字がつけ足されていたりするのも最近の特徴か。
また最近URLでなく電話番号を示してるのもたまに見かけるようになった。ワン切り、という言葉も懐かしくなったなぁ。
法施行により一時期はついていた「未承諾広告」のタイトルもわざと文字を間違えたものにされたりして抜け道を探していた頃を経て今ではすっかりそんなもの意識したメールなんてなくなっている。あの規制は何の役にもたたなかったってことだろうなぁ。

そしてちょっと前に問題になったタチの悪い、振込みを求める架空請求。最近ちょっと減った感はあるがまだちらほらと見かける。
振込み締め切り日は大体届いた日から数日と短く設定されているようだ。焦った受信者にあまり考えさせる時間を与えない、かつ振込み作業をさせる時間分は用意するという狙いがあるのだろうか。
最近のYBB等の相次ぐ情報流出にかこつけて、YBBからのメールのふりをして「謝罪として1万円振り込むので住所・氏名・口座番号を…」なんてのもあったという噂も聞く。くれぐれもこんな手にのってしまわないようにしたいところだ。
ただ顧客情報流出とともにそれをデータベース化し、メール送信と連動させて「正しい宛名つき」の架空請求が出てくる可能性が高い。今は即デリートしてたようなメールも自分の名前が正しく入ったものが来ると簡単に見過ごせなくなるかもしれない。データベース化情報の悪用は今後間違いなく増えると思われる。既にメール個々に異なるURL(パラメータ)を載せ、反応した個人を特定できるようなメールもあるという。どんどん高度化していってるのは間違いない。もう以前のような同一文面を大量アドレスへBCCで一気に送信という時代は過ぎているのか。
さらに情報流出からの転用と思われるもので、電子メールでなく郵便にて請求が来る事例も出てきているようだ。出す方も流出情報を入手していると見られ、きついチェックを受けるリスクはあるだろうが…。

さらに最近になって見かけるようになったのがいわゆるE-mailでなく、携帯メールによるもので、ショートメッセージ(スカイメール)扱いで届くものがある。絵文字もしっかり使われてたりする。まぁ、絵文字はしょせん文字コードを合わせれば出せるのだろうからいいとして、メール自体の扱いがショートメールになっているのはどういうカラクリなのだろう。キャリアの仕組みが不明なのでわからないが本当に携帯から発信しているとしたら費用面からメリット少なそうなのだが…。ダイレクトメールやビラくばりのバイト雇うよりは安いという割り切り?

一方海外モノ。英文だからちゃんと読んでないのがほとんどだが、以前は「成功するビジネス!」っぽいやつやエロサイト系が多かった。最近では妙にバイアグラ販売などの薬品関連が多くなっている印象を受ける。
こちらもフィルタリングを逃れるためかスペルの途中にハイフンや別の文字をいれたりして逃れようとしている。
人には読めるが機械的な仕分けでは判別出来ない書き方など、その工夫には一部感心させられる。

規制とのいたちごっこは終わらないだろうけど、これから先、さらにどのような変化を続けていくのか。身を守るために手口の情報を得ること、軽率な反応をしないこと、そしてなにより怪しいサイトやメールにアクセスしないことで自衛するしかないのだろう。

ただ、これだけスパムメールが蔓延すると、いいかげん受信側も学習してるんじゃないかという気はする。実際、俺もスパムメールについてはそれっぽいと判断した時点で本文をちゃんと読むことなく削除している。周りもほとんどそうなので、以前と比べてスパムメールの閲覧率はかなり下がってるのではないかと思う。みんな慣れてしまったのだ。

かつてインターネットが普及しだした頃、アダルトサイトで閉じても閉じても出てくるポップアップウィンドウが蔓延し、それに嫌気がさして覗くこと自体をやめた人も多かったのではないだろうか。
今もそうなのか、本当に『品質』のいいサイトだけが生き残っているのか知る術がないが、過剰な手口は大抵逆効果となり全体のパイを減らすだけだろう。それでは自分の首を締めることになる。利益にめざとい業者がそれに気づかないわけはない。(そんなことどうでもいい刹那的業者も多いのだろうけど)

価値あるスパムメール、というと矛盾しそうだが、どうせなくならないのなら、せめて7割の宣伝の中に3割の価値ある情報載せたものが出てくると一応読んでしまうかもしれない。例えばメールの最後あたりに今やってるプロ野球のイニング速報が自動付与されてるとか、2ちゃんの今ホットなスレ教えてくれるとか…。ダメ? 自分の興味にあわないと余計パケット量の多い迷惑メールになっちゃうしなぁ。

2004.05.05

5:ツボなロンダとセビーリャの狂気

スペイン旅行記第五弾。まとめ読みはこちらから。

昨日に引き続き今日もJALユーロエクスプレスで朝からバス観光だ。昨日は15人くらいの行動だったのだが、今日から2グループに分かれたため、俺らのバスは7人くらい。人数が少ないと身動きがとりやすくていい。
今日も天気は素晴らしく良く、360°晴れ渡った青い空が広がる。本当に雲ひとつない。もうこれだけで爽快な気分である。
海辺のマルベーリャを離れ、バスは山の方へ入っていく。スペインは海と山の両方に恵まれたところで、やろうと思えば一日のうちにサーフ&スノーを両方楽しむことも出来るという。
バスはやがてロンダの町へ到着。ここロンダの見物は旧市街の街並みと旧市街へ向かう渓谷にかかる橋、そして最古の闘牛場らしい。
新市街でバスを降り、歩いて旧市街へ向かう。途中見える風景はまさに地元の生活そのもの。小さな商店街など生活感に溢れていてなんとなくほっとする。同居人はタバコ屋さんでエアメイルのための切手を仕入れていた。旧市街入り口にて一旦解散し、後は自由行動。

まず向かったのは旧市街へ続く渓谷に立つ橋。橋からの眺めは絶景だ。

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ここからぼーっと眺めてるだけで時間が過ぎてしまいそうだ。さらに旧市街の中へ入ってみる。

ronda_street1.jpg

個人的にはミハスよりロンダの街並みの方が好きだ。より生活に近く、自然な感じがする。細かな路地フェチとしてはあちこちの細い路地に入り込んでは建物の間からのぞく青い青い空を見上げて満悦。

そんな路地には犬や猫もいたりして、さらに時間は過ぎていく。

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時間もそんなにないのであまり旧市街の奥まで探索出来なかったのが残念だが、それでも細い路地の向こうに突如として現れる古い教会や花に飾られたベランダの建物たち、細い坂の先に見える少しさびれた建物などこの街全体が醸し出す雰囲気に魅入られてしまった。人に見せるためでなく、ただ普段通りの生活している街。生活する人のための教会や小さな広場。

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昨日のミハスと同様に白い町なのだが、俺的にはこちらの街の方がかなりツボでした。最後に闘牛場もちらりと。スタンドから覗くだけかと思ったらいきなり場内に入れるのだった。いやあまり見るものはないけど…。

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ロンダはバスツアーじゃなくゆっくり時間とってまたいつか行きたいなぁ。渓谷の橋近くにパラドールがあり、部屋によっては直接渓谷をのぞむことが出来そうだ。この味のあるロンダの風景が好きならここに宿泊するのはたまらない魅力なのではないだろうか。

バスはさらにセビーリャへ移動を開始。途中、休憩のためバルへ立ち寄る。

kyukei_bar.jpg

ああ、これがバルの基本なんだろうな、という感じだった。カウンターといくつかのテーブルがあり、みんなで立ち話ししながら酒とつまみを楽しむ。そういう感じ。例によって生ハムのつまみにビールで乾杯。うまい、そして安いなぁ。つまんで楽しんでる間にもうひとグループの団体さんがやってきていきなり店はてんてこ舞い。しまいにはガイドさんが注文をまとめていた。仕方ないとは思いつつ、自分もその一人だと思いながらも店の雰囲気ががらりと変わってしまったのがちょっともったいなかった。
でもてんてこ舞い状態の店員さんのコミカルなアクションを見るのはちょっと楽しかったりして。「いやもう大変だよぉ」という仕草はするけど嫌な顔なんてしない。なんだか和みました。

再度バスへ乗り込み移動再開。セビーリャへ入り、まずはスペイン広場へ。そういえばマドリッドでスペイン広場行ってなかったな。ま、いいか。
スペイン広場は噴水のある広場を中心にそれを取り囲むように壮大な建物が並ぶ。

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宮殿のような建物の壁にはタイル絵が並んでいる。これはスペインの各県にちなんだ絵になっているようで、ここを訪れたスペイン人は必ず自分の県の絵のところへおもむくのだという。それぞれ違う感じなので、これを辿って見るだけで面白い。逆に時間そんなになかったのでそれだけで終わった気もするけど、それはそれでいいか。

spain_hiroba2.jpg


バスへ戻るとガイドさんが何やら焦っていた。警察にバスここ止めちゃダメだから早く移動しろ、と言われてたらしい。他の観光客指差して「今ちょうど来てるんでもう少し待って」とごまかしながら延々粘ってたらしい。さすが。

バスはカテドラルのすぐそばへ移動し、ここで昼食タイム。例によって俺ら二人は他の参加者とは別行動で自力ランチだ。
途中で見かけたバルへ入ってみる。スペイン会話本片手にメニューが何なのかを調べつつ注文。俺はガスパチョというトマトの冷たいスープと豚肉のステーキを注文。勿論ビールも忘れない。例によってオーダ前からバコンと置かれていたパンとガスパチョは非常によく合う。デカめのパンをぱくぱく食ってしまった。
バルの中は客も増え、どんどん賑やかになっていく。観光客らしき外国人も多いのだが、地元の人も多いようだ。あちこちのテーブルで話が盛り上がっている。
俺らの隣に地元の人らしき老夫婦が座った。旦那様はビール、奥様を赤ワインを注文。飲む、飲む、飲む、飲む。俺らが食べ終わるまでの間でフルボトルが空になっていた。おそるべしスペイン奥様
小さな声ではテーブルの向こうの同居人に聴こえないくらい盛り上がる店内は店員さんの奪い合い状態。次々に注文が飛び交い、注文でなくても店員さんと話し混んだり、抱き合ったりと楽しそうだ。そういう状況なので食事が終わった俺らはなかなか会計出来ない。しゃべり好きスペイン人パワーを見た。でもこれこそバルなんだろう。
バルの店員さんは大抵の場合、常に客に目を配らせて…なんてところはほとんどない。マイペースで、気が付いたらあれこれサービスしてくれるという感じ。ただそれは日本人客に対してでなくみんなに対して同じ姿勢だ。客の方も心得てるのか、時にはテーブルばんばん叩きつつ大騒ぎして店員を捕まえる。こういう状態なので時間に追われずのんびり構えてる方が食事も雰囲気も楽しめるだろう。
とはいえ、今日は自由行動ではない。あまりのんびりしすぎると集合時間に遅れてしまうので幾多のタイミングを計らいまくってようやく会計。店を出た。
集合場所へ向かうと、まだ誰もいない。推測するにどの店も同じような盛り上がりなのかもしれない。マイペースなスペインの飲食店ではなかなか時間通りに事が運ばないのだろう。人数が多ければ余計にそうだ。

まだちょっと時間があるのでしばらく集合場所近くを探索。街角に聖画が多いのはロケーション考えると当然か。ここに限らずスペインではどこでも見かけるけどね。

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俺らは近くのカフェでコーヒーとアイスで一服してから再合流。

さて、観光再開で案内されたのはカテドラル。外から見えるはヒラルダの塔。高さ98mっていってたかな。この近辺ではこの塔より高い建物は作っちゃいけないんだそうだ。

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外で内部の簡単な説明を受け、聖堂内へ入る。これはもう、筆舌に尽くしがたい。俺らが撮るような写真では表現は無理。その壮大さは実際に見ないとわからないだろう。ガイドさんの説明によると建築にあたり「後世に見る人から狂気の沙汰と思われる位大きな教会を建てよう」という目的もあったらしい。

ええ、認めますとも、狂ってます。

完成に100年以上かかったというが、これでも驚異的に早いペースで完成したのだそうだ。本家ローマのカテドラルはこれよりデカいというのだからもう何が何だか。高い高い天井。厳かな装飾、絵画、彫像。ずっと見上げ続けてるのでしまいにゃ首が痛くなってきそうだ。

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高い高い天井…。

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あちこちのスペースにステンドグラスや絵画。

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カテドラルの建った場所に元々あった場所の教会から運び込まれたマリア像。この建物の中で一番古いものということになる。なんとなく印象に残った。

ひとつ意外だったのがコロンブスの扱い。日本だと歴史の教科書で新大陸発見の偉業についてやコロンブスの卵なんて言葉にちらりと触れる程度だが、なんというかスペインでは「神に近い男」である。確かに新大陸発見がスペインにもたらした莫大な富を考えればうなずける。コロンブスの棺を担ぐ巨大な像、果てはコロンブスの子供までえらい待遇だ。

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ガイドさんがあれこれ説明してくれたのでいろいろわかってありがたい。
コロンブスの遺骨も生前以上に世界を駆け回っているのだそうだ。また遺骨の真偽もDNA鑑定中だったりするらしい。ガイド説明なしに見物するだけでもカテドラルのインパクトのもの凄さは変わらないのだけど、それぞれに施された細かな配慮やエピソード、歴史がわかるのはなかなか楽しい。
例えば聖堂中心の祭壇にある何枚もの絵は当時まだ文盲な人が多いことに配慮し、宗教画というよりは絵物語になっているという。それを順にを指しながら絵で教えを広めていたのだろう。また見上げた時に上の絵が小さく見えないよう、上の絵ほど絵自体が縦長に作成されてるのだそうだ。こういうのは教えてもらわないとなかなか気づかないところだろう。カテドラルという名称は司教座聖堂という意味らしく、祭壇に司教が座る椅子があるからカテドラルなのであって、それがなくなると例えこの規模だろうと単にでっかい教会になるのだという。
ほか、数々のスペインうんちくを有り難く拝聴。

なんだかカテドラル内は空気が違うようだ。湿度が低いのかコンタクトを入れた俺の目も渇きまくり。もともとドライアイだが、見所だらけであちこちをじっと見つめ続けてしまうからかもしれない。それとも単に俺がこの聖なる場にそぐわないのか? 塩かけられたナメクジ状態になりつつ最後は目薬を頻繁に補充しながら見てまわった。

ヒラルダの塔へも登ってみることにする。階段でなく、らせん状の傾斜になっていてぐるぐると歩きながら登っていく。頂上へ着くと鐘が見える。そしてセビリアの街並みが眼下へ広がる。風が気持ちいい。

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あまりに圧倒的なカテドラルに感服し、見上げ疲れた首を抱えバスへ戻る。そのまま本日の宿泊先、ホテルオキシデンタルへ。今日でJALユーロエクスプレスのバスともお別れだ。

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ホテルで一休み後は近くを探索。ちらりといくつか店をのぞいてデパートへ。地下には食料品売り場。肉のコーナーでは生ハムをスライスして計り売りしているようだ。
ここで同居人が生ハムのグラム買いにチャレンジ。スペイン語会話本から「100gお願いします」(Cien gramos por favor:しえんぐらもすぽるふぁぼーる)を探し出し、準備万端……なのだが他の客の隙間を縫うタイミングが難しいようだ。混んでるコーナーをあきらめ、難易度の低そうな別の肉コーナーで再トライ。

同「しえんぐらもす!(ぽるふぁぼる←何故か小さな声)」

流暢なスペイン語(笑)で注文をわかってもらえたようだ。よく考えると「どれを」100gなのか言ってないのだが、店員さんが来るまえからぶらさがってる生ハムを指差してあれこれ言ってたのでわかってくれたみたいだ。
美味そうにハムをスライスしていく店員のおじさん。大体このくらいかなーというところで一旦秤に載せる。95g…惜しい。女の子店員も戻ってきておじさんに「100g切ってるの?」と声をかける。おじさん、自信ありげな顔で慎重にもう1スライスし、さらに秤に追加。

100gジャストキター!

ふふん、と得意げなおじさん。見事な芸に俺らも女性の店員さんも「おー」と歓声&ひと笑い。

誤算だったのが一緒に買い込んだ酒関連。フルボトルは明日の朝に響くかなぁと思ってハーフの白ワインを探して買って帰ったつもりだったのだが、これがデザートワインだったらしく甘い…。ちょっと食事に合わないので泣く泣くパス。ワインはそんなに飲みなれてないので、ラベルでどういうものかわかるようにならないとつらいなぁ。どれが辛口なのかもわからない。変に気をまわさず素直にフルボトルのシャルドネ種にしとけば良かったか。
ビールも例によって冷やしたやつが見つからなかったので帰ってからホテルの冷蔵庫に入れておいたものの、食べる頃にはまだあまり冷えてない。仕方なく元々ホテルの冷蔵庫に入ってたビールにて乾杯。ワインがちょっともったいなかったが生ハムが美味かったのでヨシとしよう。

こうして5日目はカテドラルの狂気に圧倒されつつ終了。

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