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November 2004

2004.11.30

検証200エントリ

ココログ管理画面を見てたら、このページも本エントリでちょうど200エントリ目になるようだ。ココログが250円コースでもblog利用可能になったのが去年の12月中旬だったからほぼ1年か。アバウトに3日に2エントリの更新ってことになる。最近は週1回に近い気もするけど。

前にオフ会とかで「記事長い」といわれたことがあるが、本当にそうなのかせっかく区切りがいいので検証してみる。
管理画面の「読み出し/書き出し」でこれまでの記事のバックアップをとってみた。バックアップしたファイルのサイズが1,055KBだ。ほぼ1MB。これは画像は含まないテキストでのサイズとなる。
ここまで199記事なので1記事あたり5.3KBという計算だ。これはコメントや改行コード、リンク、タグ等も込みのサイズだからそれを差し引けば1記事4KB程度と考えていいだろう。2バイト文字換算で2000文字。400字詰め原稿用紙で5枚ぎっしり書き込まれたのに相当する。普通の文章で書けば6,7枚というところだろう。
んー、そう考えれば多いといえば多いけど、そんなものかって感じでもある。「小春と弥七シリーズ」みたいに会話メインのはだらだらと文字数増えるし。正味の内容と対比させればそりゃ長いです。それは認めますとも……(涙) 毎日数回更新のような更新頻度の高いところの方がトータルで見ればよっぽど長いってことになる。

んでもって画像も含めたココログ上の総使用量は11.4MB。開始して11ヶ月ちょっとなのでほぼ月1MBの増加ペースだ。UPする画像を小さめにして節約してたのもあってまだBASICコースの上限30MBから見るとまだ40%弱しかない。そのままでもあと1年は容量的に大丈夫って計算になる。
しかも今後、写真公開メインのエントリは壱知拾忘の方に移せるし、エントリするネタも尽きたことを考えると当分大丈夫かも。

もうすぐ1年かぁ。よく続いたもんだ。でも書いてる内容がバカコラム(?)、ナツカシPCにゲーム、ギター、カメラ、マンガ、音楽、旅行記にペット関連(主にバカ親)とあまりにまとまり無さ過ぎ。
ほぼ固定テーマで更新が頻繁なページってのは心底尊敬しちゃいます。

2004.11.27

突如として足が攣る

今日出張から帰宅予定だったのだがトラブルで帰れず。とほほ。

さて、昨夜のことだ。
ホテルで風呂に入り、Skypeで話しながらその日の残り仕事を片付けた。寝る前にあちこちWEBをぶらついいて、ようやくベッドに入り込む。風呂あがりに長いことTシャツのままでネットサーフィンしてたせいかちょっと寒い。掛け布団にくるまり、ぶるぶると震えて体温を取り返す。
少しは温まったのか、ようやく震えが止まった。ふぅ、と一息ついたその時、突如として足が攣った……。

足が攣る時ってのはほんの数秒の間に熾烈な戦いが繰り広げられる。まさに短期決戦といえよう。その戦いの結果次第であの激痛を被るかどうかが決まるのだから、己の痛みをかけた真剣勝負だ。

皆同じだと思うのだが、攣る直前に「あ、やばいっ」と来るのがわかる。これが戦いのゴングみたいなものだ。この一瞬への対応で全ては決まってしまう。ペインオアノットペイン。ジスイズアペン。攣りエスカレーション速度と対応反射速度との競争だ。しかしながら勝率は3割程度だろうか。果たして今回も敗れてしまった。
しかも痛みがやわらいだところで眠りにつき、明日の朝には回復してるかと思いきや、寝てる分には大丈夫なものの、ベッドから降りようとすると激痛。マジで立ち上がれない。急遽、早朝リハビリの時間を必要としたため20分ほど出るのが遅れてしまった。片足引きずりながらの出勤だ。朝イチ打合せのない日で良かったなぁ。夜になってようやく普通に歩けるようになったが、今でも揉むと痛いまま。

俺「きっと俺まだ成長期なんやなぁ」
同「それ老化じゃない?」
俺「……」

わき腹あたりは確実に成長してますけどね!
次なる戦いのために、高確率でヤツの到来時に押さえ込める方法あったらどなたか教えてください……。

2004.11.23

家庭のアンタッチャブル領域

我が家に存在するアンタッチャブル領域。それは部屋の中でなんぴとたりとも覗くことの許されない禁断の領域である。
我が家の誰一人としてそんな場所があることを決して思い出してはならない。決してラジオのスイッチがつけっぱなしだったりしてはならないのだ(無関係)。

しかし、今日はネタもないので敢えてこの禁断の領域に踏み込んでみよう。
そのタブーとされる領域、それは部屋の隅に設置されたTVの裏である。
ちょっと大きめのTVなのだが、液晶でもプラズマでもない普通のブラウン管TVなので図体がデカい。そしてそれが部屋の角に斜めに設置してあるため、壁とTVの間でミステリートライアングルを形成している。バミューダトライアングルがそうであるように、この領域には行方の途絶えた幾多の航空機の如く、いろんなものが吸い込まれていった。
例えばTVの上にモノを置いたとする。それは芳香剤だったり、小洒落た小物やインテリア、あるいは写真立てやカレンダーだったりするかもしれない。何の力も働かないのであれば、慣性と摩擦の法則によってそれはそこに永久にそう在り続けるだろう。
しかし、闇の引力というものは存在する。時にごくわずかな接触により、またある時には謎の暗黒面のフォースにより、それらはTVの上部を直滑降よろしく滑走し、惨い音とともに闇の主に呑まれていく。

記憶するにこの領域付近にはTV,ビデオ,HDDレコーダ,スカパーチューナ、ADSLモデム,IP電話アダプタ,ルータ,Dreamcast,SFC,PS2,ステレオなど幾多のモニュメントが存在している。そしてそれらほぼ全てに確実に電源ケーブルがついてまわり、加えて電話線、分岐されたアンテナケーブル、さらに相互に密接な関係をもつ証のように数多の接続ケーブル、LANケーブルが這い回っている。
これらがシナプスのように一つの回路を構成し、闇の意志を持ってしまったのかもしれない。そして今となってはこれらの配線全てを記憶しているものなどいない。接続した俺が既に忘れてるからだ(ぉぃ)。

また、この領域は電源ケーブルが散乱している関係上、犬ガードのために封鎖され、電灯の光もブラックホールに飲み込まれたかの如く薄暗い。このため奥の様子は伺うことも適わない。
第二の魔窟であったPowerMac裏は先日解体され、光と秩序が戻った。しかしこの領域は格が違う。ここを支配するのは無秩序という名のエントロピーの集積体のみである。

同じようにアンタッチャブルとされている領域は各家庭にあるのかもしれない。洗濯機の裏、冷蔵庫の奥、押入れの隅に眠ったままのダンボール。
今日もそこは暗黒領域として存在していることだろう。
いや、それは間違いだ。存在してなどいない。明日も決して思い出してはならない。私達はそれがもしやあると疑えなくもないことを認識してはならない……。

2004.11.22

ひっそりと壱知拾忘

ちょっと前の出張中に同居人が見つけてきたFC2のブログ。容量が大きいので写真公開用にちょうどいいかと思ってその時ためしに作ってみてたのだけど、ここのサイドバー「カンレン」に登録しただけで本人も忘れかけていた。
作ってみたのは「壱知拾忘」ってところです。
「いっちじゅーぼー」と読むことにしました。壱聞拾忘の方が元ネタ的には近いけど、読み的に「みっつでぽ」と似たのがいいかな、と。(「それ絶対誰も気づかない」と同居人にツッコミ受けました……ええやん、自己満足で)

FC2の1GBという容量は魅力。滅多に自分でも見てなかったので安定度とか速度は実はまだよくわからなかったりして(ぉぃ)。1画像のアップロードサイズに制限があるので1GBって謳い文句も現実的ではなさそうな気もするけど、それでも無料で使えるならなかなかに有難い。こっちはBASICの30MB制限にかからないように画像小さめでやってるけど、反動であちらの画像はデカめ。
更新は極めて稀だと思いますが、よろしければ稀にどうぞ。

2004.11.15

本当は恐ろしいミニチュアダックス

ミニチュアダックスといえば胴長短足で人なつっこいお調子者。その愛くるしい姿にみんなメロメロさっ!
……なんて甘い考えを持つ方へ。今回我々の調査で明らかになった彼らのおそるべき真実の姿をレポートする。これが彼らの実態なのだ!

kowainu1.jpg

これは怪獣大戦争!? いや、これが彼らの捕食行為を収めた貴重な写真である。踊るようにおそいかかる長い影。そして迎え撃つ長い影(でも尻尾巻いてる)。生き残るのはどちらだ?


kowainu2.jpg

戦いは三日三晩続く。弱肉強食のサバンナ的ソファ上に二犬が相並ぶことなどないのだ!


kowainu3.jpg

勝者の雄叫びが破壊されつくした部屋に轟く。今日の戦いは終わった。しかし明日もまた新たな戦いが待ち受けている。彼らが安らぐ日々は遠い。

kowainu4.jpg

横たわるのは敗者の末路かそれともぬぐいされぬ怨念か。カルマの果てにつかのまの休息につく。

これこそ彼らの本当の姿なのである。わかっていただけただろうか。
以上で決死の潜入レポートを終わ……うわっ、何をすr(ベタ)

番外:本当は恐ろしいチワワ

kowainu5.jpg

異星犬ではありません。


P.S.
社長、ごめんなさ~い(汗)

2004.11.13

9合目からのアジカンライブ

君繋ファイブエム

KRE
2003-11-19
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デリコに続きまたもZepp Fukuokaにて今度はASIAN KUNG-FU GENERATIONのライブを観にいった。気を抜くとまた1ヶ月とか経ってしまいそうなので今回は早めに書いておこう。セットリスト書くわけじゃないけど(覚えてないし)、一部ライブで使われる曲名も出ると思うので、これからライブな人はそのへんご承知置きください。(って、そういう人がここに来る確率ほとんどないか)

1年ちょい前だったろうか、俺の毎週の作業となっているスカパーのSpaceShowerTVでのランキング50曲PVカウントダウンの気になる曲抜き出しチェックをしていた時に「君という花」のPVが流れ、妙に気になったのだ。
4つ打ちリズムに乗せて流れ出す耳に残るギターサウンド、変なPV演出、なんだか地味そーなメンバ。なんかこいつら面白いかも、とこのPVをHDDに残した。

それからしばらくして彼らが福岡にライブに来ることを知る。Be-1というかなり小さなハコだった。Be-1でやるくらいだし、周りで知ってる人もほとんどいなかったので、まだまだマイナーなのだろう、チケットもきっと余ってるだろうと特に事前入手もせずにライブハウスへ向かったら、とっくにチケットは完売していた。あの頃から既に人気に火がつき始めていたのだろう。
そして発売されたアルバム「君繋ファイブエム」で更にブレイク。1年後にはもうZeppでチケット完売。どれくらいの勢いで突き進んで来たかわかろうというもの。

集まった観客は男女比がほぼ半々かな。こういう男女比をキープ出来ているというのは対象が広いってことだからかなりの強みだろう。俺らはここにいた客の年齢層でいうと、山に例えるならば9合目あたりだろうか。もしかしたら頂上の下3mとかだったりして。うひぃ。

きっちり時間通りにライブ開始。勿論ニューアルバム「ソルファ」からのものが多い。そして「リライト」が始まる。
「ほ~、このボーカル、ライブで聴くと思ったより声厚いんだなぁ。まるで何人かで歌ってるみたいな厚さだよ」
って、オーディエンス総勢で思い切り歌ってますからっ!
下手すると場所によっては本物ボーカルが聴こえないんでは? と心配してしまうくらいの大熱唱だ。皆さん歌詞もばっちり記憶済み。いや、一緒に歌うってのはライブ会場でよくあるし、アーティスト側が煽ることも多い。しかしこんな風に曲の最初から最後まで大合唱みたいなのは初めての体験だった。これが若さなのか……。
いい悪いじゃなく、軽いカルチャーショックを受けながらも次々と曲は投下されていった。

彼らは曲の構成、つまり音の足し算引き算がうまいのだと思う。
誰かから「ヒットする映画曲線」みたいなものを聞いたことがある。1本の映画の中でのテンションの盛り上げ方を曲線グラフのように表したもので、徐々に盛り上げていくだけでなく、観てる人が飽きないように序盤で軽く盛り上げた後に一旦落ち着かせ、また最後に向けて徐々に盛り上げていくような曲線を描く。
1つの曲にもこれと同じことが言えるだろう。

例えばベースとギターアルペジオによるイントロが始まってボーカルが入り、次に固定リズムを繰り返すドラムが加わる。そして途中から曲調を変えギターも強いストロークに、ドラムパターンも迫力と音量を増していく。ボーカルが叫ぶ。
ここで一旦「若干引かせて」、リズムを固定に戻し、最初よりはギター音圧などは高めにしてありながら、軽くアルペジオをあわせたり。聴いてる者に「うずうず感」をもたせる。そして再度最高潮に達するサビで爆発させるのだ。そういう計算された構成のうまさがある。
人の体と脳は音に強い影響を受ける。こんな展開に反応するのだ。それは「いかにも」かもしれないが、大事な基本なのだろう。
リズムについても「タメ」を効果的に使うことでのメリハリ、足し算引き算に合わせた盛り上げ、フラット化などのパターンをうまく組み合わせてある。
ただ、そんな風に1曲の中で何度も曲調が変わると通しでの安定感がなくなりやすかったり、飽きやすくなりそうなものだが、そこを声域が広いとはいえない中、高音部頑張りながらも常になんとなく淡々とした印象を残すボーカルのいわば読経系ニュアンスな声が全体の安定感を繋ぎとめているのではないか。
そしてサビでのボーカルメロディラインが解放感に溢れている。曲構成とこのメロディラインの相乗効果で気持ちいい曲になっているのだろう。今回のようにライブで皆が歌っているのもサビまで歌って一緒に解放感を味わいたいためなのかもしれない。
こんな風に構成がうまくいくのはバンドとしてお互いアイデア出し合ったり、うまくやれてるってことなのかもね。

詩については難しい言葉が使われてうんたら、とか言われてるらしいが、あまりそういう印象はない。メッセージとしてもむしろ等身大の世界をシンプルに伝えるための歌詞だろう。どちらかというと「それ」「つまり」のような言葉回しを使った語調への味付けの方が特徴的な印象がある。
言葉選びは独特のような、でもニュートラルともいえる。「超伝導」「仮想現実」「インターネット」などは俺だったら恥ずかしい感じで使えないなぁ、とかいうのはあるが、これは世代(って半回りくらいだけど)の違いか、いや趣味と職種の違いかもしれん。

歌詞といえば空耳アワー。
俺は「フラッシュバック」という曲の歌詞の一部を「旋風すげぇ」「強くねえか?それ」という名歌詞だと思ってた。
「いやぁ、この歌詞はなかなか出てこないよ」なんて感心してたのだが、後になって歌詞カードみたら「旋風吹け」「強く願う それ」だった……。でも今も俺は「つむじかっぜ、すげぇ!」と口ずさんでます(馬鹿)

ライブ全体を通して今の彼らのバンド活動の充実ぶり、そしてなにより「勢い」を感じる。技術もファンの数も上昇気流の中にいる今しか作れないものを出し切れる限りに作っているような印象。それは疾走感であり、閉塞感であり、喪失感であり……。
今の勢いのままに全部吐き出して欲しい。そして「その後」も含めて期待して待っておりまっせ。

2004.11.12

書き忘れデリコライブ

THE GREATEST HITS
LOVE PSYCHEDELICO

ビクターエンタテインメント
2001-01-11
売り上げランキング 1,504

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アジカンのライブを前にして思い出した。
すっかり書き忘れていたのだが先日、ってもう1ヶ月近く前になろうとしているがLOVE PSYCEDELICOのライブにいってきた。同居人の方で既にあれこれ書かれているので、抜き出し感想だけ。

俺らは今回が初デリコだった。前回はもう2年以上前か。その時はチケット取れなかったが今回はしっかりゲット。"The Greatest Hits"でハマった頃からもうこんな年月が。はやっ。
このファーストアルバムでえらくカッコいいリフにひかれ、ギタースコアまで買ってしまったのだった。いえ、弾けませんけどね(自嘲)

てな昔話は置いといて、ライブ開始である。
オープニングはクラブのような演出。曲は今回のツアータイトルでもある"Mind across the universe"だ。
面白かったのが、ステージ背景に時折演奏するシルエットが映し出されていたこと。手前に設置したライトでギターやベースの人の演奏する影を背景の方へ照らし出していたのだと思う。それも効果的に交互に映したり消したり。懐かしめのドラマとかのオープニングで踊るシルエットが出たりしてたが、雰囲気的にはあんな感じ。ライトも固定ではなく動かしていたみたいなので演出的なシルエットとなっていた。この曲の後もあちこちで使うのかな、と思ってたら最初の曲だけ。贅沢やのう。

曲はサードアルバムからがやや多いかな程度で各アルバムからそれほど偏りなく20曲ほどが演奏された。アルバム発売から間が空いたのと久しぶりのツアーだったからかな。この方が俺らとしても有難い。気に入ってる"I mean love me"や"Standing Bird"がちゃんと入ってたのが嬉しいところ。
"I mean..."はライブではちょっと大変そうな曲だ。前半の抑えた感じからの展開とリフがやっぱりかっこいい。
そしてNAOKIによる魂のギターソロから始まる"Standing Bird"はゾクゾクするような構成。ギターソロの時点で「あ、これもしかしてアレがキタか?」と思ったら当たってた。そう思わせる曲の世界観を持ったソロだったのだろう。また終盤の"Neverland"(かな?)でもダブルネックのギターで絡みつくようなソロプレイ。NAOKIはこういうギタープレイをする人だったのか、というのを知るのもライブならではの発見だ。
そしてそのサウンドメーカーにベストパートナーであるKUMIの声が合わさる。安心して聴けるねぇ。デリコの曲って1曲だけでもぜいぜいなりそうなのが多いのによくもつよなぁ、ってプロだもんね。
そしていつの間にやらアンコール。それまで曲が終わると"Thank you!"だったのもアンコール以後は「ありがとう」になってた。みんなでライブの余韻にひたろう的アンコールという意図なのか曲もゆったりしっとり系が多かった。たまにはこれもまたヨシか。
そんなわけで後ろの方からだったけど、2時間ちょい楽しませてもらいました。

そういや途中でコール&レスポンスみたいなのがあったんだけど、
ノブポローリレベルの英語能力の俺にはKUMIがなんて言ってるのかさえ不明(恥)でレスポンス不可能ってのがあったなぁ。安西先生、もっと簡単なフレーズがいいです。
あと関係ないけどベースの人が細くでデカくて長髪で、なんだかえらく印象に残ってしまった。

他に俺的に気になったところとしては曲の継ぎ目に結構間があくこと。その度にちょっとノリが戻ってしまう。「もー勘弁して!」ってくらい立て続けにハジケ曲が何曲か続くような構成があってもいいかなぁ。1曲1曲のセッティングを重視するとどうしても準備に時間がかかるのかもしれないし、おそらくこれは演奏スタンスとしての選択なんでしょうけど。
んでもってデリコ。ライブでも平気で「みんなのLOVEを東京に持って帰って」「愛をなんたら……」などの発言が飛び出す。普通なら(?)「こいつら何か変なのキメてんじゃねーの?」なんて気持ちがよぎるところだが、デビュー当時に見た音楽雑誌でのインタビューでも「私達の愛を歌で伝えたい」などの発言があった覚えがある。当時からヨゴれていた俺は「音楽はむちゃくちゃカッコいいけど、この発言は本気でいってるんか?」とか思った覚えがある。
つまり、デリコは全然変わってません!

なんだかすっきりと安心してしまいました。揶揄でなく、二人にはずっとこのままであって欲しい。
あ、でも当時もっとKUMIはぽっちゃりしてた気がする。今は今でカッコいいけど、ぽっちゃり支持派としてはちょびっと寂しかったりも。ぽっちゃりの方がよりLOVE&PEACEですよ……あ、どうでもいいですか、そうですか。

今度見れるとしたらZeppよりやっぱLogosがいいなぁ。それだとチケットまた取れないかもしれないけど……。
帰ったら袋の中にLOVE PSYCHE"G"LICOのガムが入ってた。やるな、江崎グリコ!

2004.11.10

紙の電車男・WEBの電車男

電車男
中野 独人

新潮社
2004-10-22
売り上げランキング 3

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未読状態の本(ほとんどはマンガだけど)に囲まれて幸せのような、大変なような……。あれこれイベントがあったのと相まってここの更新も放置気配? そんな状態なので本の話題を。
昨日、奥田民生の自伝本を買った本屋さんで見かけたのだが、以前のエントリでもちらりと書いた電車男のエピソードが一般書籍として書店に並んでいた。聞くところによると高い割に結構売れているらしい。
中身をぺらぺらとめくってみると、内容はアスキーアートを含め、まとめページでの編集内容を元にしたほぼそのままのログ記載のようだ。

2ちゃんねる記事の書籍化関連のゴタゴタは置いておいて、つまり、この内容であればこの本の出版前からWEB上にまとめページはあり、出版後も存在している。読みたいと思えばこの本を購入せずともほぼ同内容をWEBページから読むことが出来る。むしろよりオリジナルログ(というのも変か)に近い形で読めるわけだ。(後日談相当のところはまたほかのところ探さなきゃいけないかもしれないけど)

なのに本は結構売れている、ということはこの本を買っていく人をこの観点から2種類に分けると

◆A)WEB上のまとめページ等の情報をまったく知らずに、下手すると「2ちゃんねる」の存在すら知らずに買っていく人
◆B)まとめページがあるのも知ってて既に読んでいる、または途中まで読んでいて、本の形でも欲しいと思った人

ということになる。
それぞれの比率は知る由もないが、Bタイプの人も少なからずいるのは間違いないだろう。Bタイプの人をさらに細分化してみると

◆B-1)電子文書を読むより本の形である方が好きな人、本フェチ、もしくは電子文書を途中で読みつかれた人
◆B-2)今回の書籍化自体に関心(書籍化否定派含め)があり、どんな感じになっているか確認したかった人、または祭りの一環と考えた人。
◆B-3)電車男のエピソードへの思い入れが強く、所有欲が湧いた人。または書店でページをめくって衝動的に買ってしまった人。
◆B-4)当時リアルタイムにスレを読んでいた、あるいは自分の書き込みが載っているので記念として買ってしまった人
◆B-5)電子文書を読めない環境の知人等に読ませたかった人、または誰かへのプレゼントとして。

複数該当する人やその他要因の人もいるだろうが、購入要因は概ねこんなところではないかと思われる。
またも根拠レスで申し訳ないが、この中で一番多そうなのはB-3のタイプの人ではないかと思うのだ。

小説であれドキュメントであれ、読んで気に入った人、感動した人にとってそれは他人事でない大事な思い出のひとつとなる。その思い出をカタチとして所有したい人が書籍まで購入しているのかなぁ、なんてことを思った。
図書館で読んだ本や友達の家で読んだ本が凄く好きになって、自分用に買ってしまうのに似ているかもしれない。実際にまた読むかはわからないのだが、「読む」までいかなくても好きな一部のエピソードややりとりだけを見返したり、暇潰しに適当にめくったページを楽しんだりするには手元にある方がいい。
実際、店頭でぱらぱらとめくって読んだときのことがフラッシュバックしそうになったワケだし。(購入はしませんでした……貧乏人なので)

電子文書でもローカルに保存して、同じように読み返すことは出来る。しかしまだ紙媒体に敵わないということなのだろうか。ぺらぺら読みなどのインタフェースの違い以上の理由があるような気がする。

一つの想定は目に入るまでの距離(手間)だ。PDAで普段から電子文書を通勤中に読んでます、なんて人であれば書籍を本棚から出す手間や時間より、起動の速いPDAから文書ファイルを選択する方が場所も選ばず時間的にも速いだろう。しかし、携帯以外のPDAの普及度はまだまだだし、端末自体も高価だ。正式提供されている電子書籍コンテンツもはっきりいって少ない。小さめの画面で長文を読むのは厳しいことも多い。仕方なく自宅のPCを起動するには「わざわざ」すぎる。そんな距離感が電子文書を避けるのかもしれない。

そしてもう一つの想定が上で触れたような思い入れと、それが紙の本という手にとれるものだからこその「所有の実感」によるものではないだろうか。音楽の世界でもネットからの曲のダウンロード購入サービスは始まっているが、凄く気に入ってるアーティストのものについては少々高くなってもCDなどのモノとして欲しくなる。
それはジャケットや歌詞カードの存在も勿論あるが、所有の安心感が電子データに比べて高いからだと思う。「このアーティストのものは全部そろえてる」というコレクション的満足感も電子ファイルより現物の方が大きい。
そして本は紙という素材ゆえに何度も手にするうちに汚れたり曲がったりソースこぼしたり。あるページには折り目が入り、何巻も続く本であれば古くなるに従って背表紙の色が褪せていたりする。教科書にしてもどれも同じように見えて、中に自分でつけ加えたパラパラマンガや肖像画への落書きがあるかないかでモノとして別物となる。それらひとつひとつについての個人的な記憶まで含めて「本」という媒体が成り立っているのかもしれない。

最近は仕事の資料などもノートPCを持ち寄り、電子文書のまま会議することも多くなってきた。すぐに捨てられてしまう大量の文書を印刷するコストや環境影響で考えてもその方が断然いい。カラーで見れるし。
実際のところ大量になっても場所をとらないことやキーワードの検索、スムーズな目次移動にカラー使用の容易さ、携帯や配布の容易性など電子文書のメリットは凄く大きいはずなのだ。
しかしそれでも長い長い当分の間、紙の「本」というのはなくならないだろうなぁと改めて実感した気がする。電子文書の目指すべきところは利便性の追求以外にも自分だけの思い入れを染み込ませる要素の付加という切り口もあるんじゃないだろうか。

2004.11.02

オススメ『うしおととら』

うしおととら (1)
藤田 和日郎

小学館
1990-11
売り上げランキング 557,929

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出張から帰ってきて、ここの更新もせずに飯と犬の散歩と惰眠以外のほとんどの時間を「うしおととら」全33巻の一気読みに費やしてしまった。でも満足。
そんなわけで、今回は軽く「うしおととら」のレビューでも。

連載当時は万年金欠学生で、マンガ雑誌は買わずにコンビニや定食屋で飛び飛びで読んでいた。それで大体の筋は知っていたのだがこうして落ち着いてまとめて読むとやはり味わいが全然違う。伏線とか全然覚えてなかったしなぁ。
この「うしおととら」が嫌い、という人をこれまでほとんど見たことがない。いわゆる少年漫画系の絵で読む前から敬遠する人はいるかもしれないが、読んでみてつまらなかった、という人に連載当時、完結後を通して実生活でもパソ通時代を含め出会った記憶がない。いや、わざわざみんなに聞いてまわってたわけではないけども……。
サンデー名作ミュージアムとかにも入ってるくらいなのでみんな知ってるかと思いきや、作品知名度は意外と低いような気もする。アニメ化されなかったからかな? そういう意味では不思議なスタンスにいる作品だ。

んで、この藤田和日郎氏の「うしおととら」はサンデーに連載されていた少年マンガである。
詳しいあらすじはさきほどのリンク先にもあるので簡単に言うと、平凡な日々を送っていた中学生「潮」がある日、寺の地下で友達を助けるという交換条件で槍に封じられていた妖怪を解放してしまう。解放してしまった妖を封じたいうしおと隙を見てうしおを食らおうとするとらの奇妙な共同生活(?)が始まり、とらを封じていた「獣の槍」と「白面の者」という存在との因縁に巻き込まれていく。というものだ。

もー、どっからどー見ても少年漫画って感じ。
といいつつ少年漫画とは何か、なんて議論をしたいわけじゃないので卑怯にも個人的印象によるキーワードの羅列だけしてしまおう。
「成長、強くなる」「ヒロイン」「男ならば(熱め)」「臭いセリフ」「友情」「信頼」「対決」「仲間」「前向き」「目で語れ」「大ゴマ」「変化(へんげ)」……。
更にサンデー的には「萌え系サブヒロイン」「気づかずモテモテ」「幼馴染」などのキーワードも追加しておきたい。

これらからいくつかピックアップしながら魅力を探ってみよう。

【大ゴマ】
表現的なことだが、「うしおととら」の中で効果的に用いられているのが1ページまるごとや見開きを使った大きなコマでのババーン!と迫力のある描写だろう。ポーズや陰影なども気合が入っている。
これにはかなりこだわりというか魂を注いでいるのではないかと思う。それは「どうしたらこいつらのカッコ良さを表現できるか」という一点に集約される。対象はうしおやとらだけでない、サブキャラ、敵対する者に至るまで魅せてやろうという意気を感じる。
カッコいいうしおに、とらに、白面の者の禍々しさに、次々と現れる「凄い奴ら」に大ゴマでシビれて欲しい。
ちなみに「うしおととら」の後の作品である「からくりサーカス」でも確か初回に「しろがね」という女性キャラの印象的かつ幻想的な見開きページがあったような記憶がある。その絵一発でその作品世界のイメージをぶつける、そんな意志の入ったページだったと思う。

【目で語れ】
ついでなので描写系をもうひとつ。
少女マンガ系との大きな違いの一つは目や眉の描き方ではないかと思う。もちろん、お互いいろんな表現があるが、全体的には少女マンガ系には人間として逸脱しない程度での表現が多い。デフォルメ的な表現よりも微妙な心理変化を表現する繊細な目を描く。
ま、マヤさんや亜弓さん、キャロルさんやメンフィスさんみたいに白目むいたりするおおらかな表現のもありますが……。
うしおととらや他の少年漫画系の一部での過剰表現は目で言葉以上の何かを語らせようという意図が見える。それは時に曇りのない意志の強さ、時に逸脱した狂気を描き出す。「哲」の異常系キャラの目もそうだろうし、眉毛だって元々顔から飛び出してても構わないのだ。
一気読みした後しばらくたってもうしおの目が脳裏に残る。変わらない力、変えるための力。それを蓄えた目を覗いてみて欲しい。

【男ならば……】
これは他のキーワードとも関連するのだが、男であるからにはヒロイン達を、そして見知らぬ人々を守るのだ。それがヒーローに与えられた普遍の役割である。
うしおととらは旅の先々でいろんな人と会い、いろんなヒロイン達と出会う。それは人だったり妖だったり様々だが、その負った苦しみを取り払うためにヒーローはいる。守るためには強くあらねばならぬ。時に傷つき、己の非力に泣きながら成長を続けていくのだ。この系の少年漫画における「強くなる」ことは必要不可欠な要素の一つだ。諦めるな、立ち上がれ、そして勝つ。
そんな風に彼らを見守りながら自分を重ねて俺らマンガ少年は育ってきた。俺は残念ながら「うしおととら」の頃には少年じゃなかった気がするが「やっぱこうじゃないとね!」と改めて思う。

【モテモテ】
もしかしたら好きなマンガとしてこの「うしおととら」と共通してる人が多いかもしれないが、通しで読んでいて思い出したのが長谷川裕一氏の「マップス」だ。こちらはSF冒険モノであるが、あれこれと似たものを感じる。
謎に包まれた大きな戦いの中へ否応なく身を投じていくことやサブキャラ達との関わり方、主人公のまっすぐさ。そしてサブヒロイン達にモテモテなところもだ。ただしマップスの方がエロ加減では幾分勝っていると思われる。(何の勝負だよ) 
萌えと燃えの比率は微妙に違うかもしれないが、異なる二つの存在が悪口いいあいながらも誰にも代えられぬパートナーとなってとてつもないパワーを生み出していく姿が重なるのだろうか。

【二つの変化(へんげ)】
うしおが獣の槍を手にする。一瞬にして髪はのび、その振り乱す髪の奥から鋭く力強い目がのぞく。それは超越した力を手にした証なのだ。正義感の強い中学生から槍の使い手への変貌、そしてゾクゾクするようなパワーと高揚。それは変身ヒーロー物的なワクワク感をもたらす。
そしてもう一つ重要なのは彼らが変化をもたらすものであるということだ。うしおは自らを変化させるのみにとどまらず、そのまっすぐなチカラで周囲をも変えていく。諦めを希望に、憎しみを慈しみへと。
周囲への変化をもたらす爽やかな風。それが前述のマップスのゲンと一番重なるところでもあり、揺ぎ無いヒーロー像の根幹を成しているのかもしれない。
うしおととらはこの二つの変化により構成されている。与えた変化の積み重ねがさらなるドラマを産んでいくのだ。


……今気づいたがオススメっつーより読書感想文みたいになってるな。いかんいかん。あまり部分だけ取り出して考えても仕方ないのかもしれない。
味のあるキャラクター達を乗せてうねりゆくストーリー本編もこの作品の見所だ。徐々に明らかになる謎、そして波乱の展開。どこまでが元々あった設定で、どこから追加されたものなのかはわからないが、破綻することなくストーリーはまとまっている。特にラスト付近での怒涛の展開には目を離せなくなるだろう。
そして本筋(獣の槍や白面の者関連)以外のいわゆる短編妖怪退治モノとしてのエピソードも面白い。それはうしおととらというキャラクターの魅力も勿論だが、エピソードに出てくる妖が単なる退治され役でなく、しっかりとメインキャラクターとして描かれているからだ。彼らの持つバックグラウンドは川口まどかの「死と彼女と僕」での霊達と同じように時に非情でエグく、時に切なくまた悲しい。
あと、いや~なシチュエーションで現れる衾や山魚などの存在感。そういうところが面白くさせている。本編の展開どうとかより「サトリ」の話が好きだ、なんて人もいるだろう。

紫暮やヒョウなどの親父系キャラのカッコよさとか他にも触れたいことはあるが、思ったより長くなってきてるのでこのへんで。「うしおととら」はキャラクター、ストーリー、伝えるための画力が高いバランスでまとまった作品だ。
読み始めたらきっとあっという間の33冊になる。仕事に差し支えないようにご注意を!(ってそりゃ俺か?)

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