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January 2005

2005.01.31

さよならVAIO

もう2週間近くも前のことだ。今となっては遥かに昔の出来事のようにも思える。
関東での1泊出張を薄氷を渡るかのような気分でなんとか乗り切り、福岡へ戻ってきた。さて溜まったメールでも読もうとペット監視させてたVAIOに向かう。
うちのVAIOはちょっとヘンな奴だ。それは以前にもエントリした気がするので詳細は省くが、その非力ながらCrusoeによる省電力性と三脚に乗るズームカメラつきPCという奇妙なスタンスはうちのペット監視にフィットしていた。
ペット監視ソフトを停止させて電力モードを変更させようかとしたその時、異変に気づいた。なんだか延々ガリガリとHDDをアクセスしている。こういうときにヘタに触るのは危険だ。しばらく放置させておくことにする。
するといつの間にか画面に
「XXってファイルはちょっとオリジナルと違うみたいだよ」
ってな感じのことを示すダイアログが出ていた。それでもなおHDDはガリガリと音を立てている。
「これはもしかしてアレか? こないだのWindowsUpdateでうかつにも入れてしまったスパイウェア駆除ツールみたいなのが動いてんのか? 何かヘンなアイコン触ったっけ?」
そんなことを思っている矢先ガコッというシーク音の範疇を超えた音とともにブルーバック画面が開いた。まるで地平線まで誘うインディゴブルーの果てだ。
そして……VAIOの中の人は帰らぬ人となった。

案の定、起動しなおしてみても無常に
"Operation System not found"
の表示が繰り返されるだけである。HDDイカれたか……。確かに最近シーク音にしてはちょっとデカい異音がすることが稀にあった。あれは前兆だったのか。そろそろ怪しくなってきたところに某社提供のスパイウェア検出駆除ツールが激しくHDDを酷使してトドメを刺した可能性は高い。いえ邪推ですけどね。

現象からしてBIOSとかは生きてるようなのでHDDだけの故障である可能性が高い。HDDさえ交換すれば復旧しそうだ。しかし、このPCはHDD以外にもかなりガタが来てるのも事実だ。
イカれたPCMCIAスロットは確実にデジカメのメモリカード内容を電子の塵と化し、PCMCIA経由のLAN接続もままならない。三脚が倒れることで幾度となく側面衝突を繰り返したボディはあちこちプラスチックは割れ、スピーカコードもむき出し状態。バッテリはとっくに壊れ、電源ケーブルもワンコにやられてしまっていた。
HDD換装するとしてもノート用内蔵HDDだと20~40GBでも1万程度はするだろう。このマシンに再度それだけを投資するのか、それともいっそその分も含めて新しいノートへの資金にまわすか。

……ということを考えたのがほぼ2週間前。しかしその後、仕事が怒涛モードに入り、土日にショップを見てみようと思いながらノンストップの仕事で今日まで来た。いい加減休みたい。

勿論、わざわざ電器屋まで足を運ばすとも欲しいノートPCの目星があれば「壊れた!ラッキー!」とばかりにWEBショップからだろうと購入モードに入るのだが、どうにも今は「モーレツにコレが欲しい!」というノートPCがないのだ。
もちろん性能自体はどれも壊れたVAIOの比ではない。どれを選んでも合格といっていいくらいだ。ただ、物欲をそそってくれない。

壊れたVAIOは明らかにヘンなマシンで、そこに惚れて買ったようなもの。今の機種かつ予算内で買えそうなものはどれもソツが無さ過ぎてつまらない。かといってあまりにブっ飛んでて普通の作業が快適じゃないものも困るし……(ワガママ)

そんな状態なので狙いがつかず、仕事で時間も取れないままにもう2週間だ。おかげでここも写真別館「壱知拾忘」も長い更新停止状態に入ってしまった。PCが壊れてなければ更新予定があったのかどうかは秘密だ。
これまでの主な写真データとかは同居人Macの方にも入ってるのでそちらから再コピーすればなんとか復旧できそう。でも再コピーするマシンもないので何も出来ない。いっそしばらく同居人Macをのっとるか。

ん、つまり今のこの状況を考えてみると
「ここが更新されている」=「仕事をサボ……」(サクッ)
いえ、なんでもありません。気にしないでください。

とりあえずWEBアクセスできればいいやでHPあたりの7万程度の安いマシンを狙うか、どうせコレってのがないならそこそこ高性能のオールマイティな無難の塊みたいなマシンを長く使うか。自分の要望(欲望)が薄い状態の選択は意外と難しい。写真編集やら動画編集の要望は出そうなので、16,7万程度で「そこそこ路線」で行くか。
ちょうどIntelの新チップが出たばかりだったりLongHornが控えてたりとタイミングもよくないんだけど。この業界、それいっちゃいつまでも購入できないけども。

ああ、これがなければ35mmF2やら200mmあたりの望遠ズームレンズに金回せたのに……。

復活させるかは不明だけど、これまでほぼ毎日働き続けてくれたVAIOに感謝を。

2005.01.17

サエコ・マイ・ラブ

saecomagic

念願のSaecoがうちにやってきた。

今回導入したのはSaecoのMagic Cappuccinoというエスプレッソメーカーだ。前から悩んでて、安くなってたのでついに購入。楽天の策略にまんまとしてやられた感じではあるけど……。
このあたりの経緯は同居人ページの方にあるのでそちらを参照のコト。

そのマジックカプチーノが先日到着。それからの毎日はSaeco経験値を上げるために試行錯誤しながら淹れている。
同機種の購入を検討されてる方もいるかもしれないので自己メモも兼ねて今回の機種の特徴と現時点での使用インプレッションを。
先に断っておくと俺も同居人もまったくの素人な上にそんなにいい舌してませんのでマニアックな細かい味の違いとかは全然わかりません。素人レベルの多分に気分要素(自己暗示?)も含めたインプレッションですのでご承知おきを。

※ちょびっと追記※
エントリUPした後でエスプレッソの扉というページを発見しました。凄い情報量で疑問への回答やノウハウがそれこそエスプレッソ状態で詰まっています。管理人さんのエスプレッソへの熱意も感動モノ! エスプレッソメーカー購入を考えている方は是非覗いてみてください。俺もここで勉強します。
特に淹れ方のノウハウのページはまさに今俺的に参考になりそうです。ミルクフォームのコツはありがたい! ここで勉強すると以下の俺の文章で間違ってるところとかたくさんありそうですが……徐々に修正します。


◆エスプレッソメーカーって?

先に簡単にエスプレッソメーカーが何モノかっていうとその名の通り、エスプレッソコーヒーを作ってくれるものだ。エスプレッソが普通の紙フィルターにお湯を通して淹れるドリップコーヒーと違うところは抽出における圧力の差だと思う。(たぶん。ちゃんとした定義知らず)
ドリップコーヒーがお湯をコーヒーの粉に単純に垂らして通すのに比べてエスプレッソではお湯に高い気圧を加えてコーヒーの粉から短時間に溶け出させるようなイメージ。その分、お湯を通すだけのドリップより非常に濃厚なコーヒー成分が抽出される。

この濃いコーヒーをそのまま飲むもよし、ミルクを加えてカフェラテとしてもいいし、ミルクをよーく泡立ててカプチーノ風にするのもいい。
うちでは以前からカプチーノ風にすることが多い。口当たりもまろやかになるので、コーヒーあまり好きじゃないという人も一度飲んでみると意外とすんなりいけるかもしれない。より正確には同居人はカプチーノ、俺はそれを少し濃くさせたような感じで作っている。カフェコルタードのカプチーノ風?(適当) そんな風に自分の好きなように調整出来るのも自宅カフェのいいところだ。

エスプレッソメーカーにはいくつか種類があるようでうちも前はポット型のを直火にかけるタイプのものを使っていた。今回のマジックカプチーノはポンプ式と言われるもので、大きな違いはその抽出にかかる圧力差だ。
直火式が2気圧程度なのに対し、ポンプ式ではエスプレッソ抽出に最適な9気圧程度をかけることが出来る……らしい。(←今ググって調べた)

◆マジックカプチーノの主な機能

今回導入したMagic Cappuccinoの機能は以下の通り。
●ポンプ式。15気圧の加圧が可能
●コーヒーポッドと粉両方を使用可能。
ポッドとはあらかじめ1杯分のコーヒーの粉をパック包装してあるもの。普通の粉をフィルターに詰めるかわりにスペーサーとポッドを置けば準備完了となり、また後片付けもポッドを取るだけで済むので楽チン。
●ミルクを温めたり、また泡立てるためのミルクフォーマ機能
泡立てにはカプチナトーレとパナレロの2つのアタッチメントが付属。パナレロはその先端からスチームを出すことで、カップにいれたミルクに突っ込んで蒸気により温めと泡立てを行う。
カプチナトーレはそれを更に簡単に出来るようにしたものでパイプをミルク等に差し込んでしまえばそこから勝手にミルクを吸出して、泡立ったものをすぐカップに注ぐことが出来る。
●ボディ上部にカップを暖めておくためのカップウォーマあり
●水タンクは2リットルOK
 
大体こんなところかな。


◆初期作業

まず簡単に説明書に従って初期作業を行う。といっても空気抜きなどを説明書にある通りにやるだけ。内容も水をタンクに汲んでスイッチ入れてノブ回して……程度なのですぐ終わるし、特に難しいことはないので心配無用。

◆一杯目の出来は?

さっそく説明書を見ながら最初の一杯を淹れてみることにする。正確には2カップ分同時に抽出できるので最初の2杯か。
本体にコーヒー豆とポッドもいくつか付属していたが、手持ちのコーヒー豆がたくさんあるので、それをミルでちょっと細かめに挽いてフィルターに入れ、計量カップの底で軽く叩いて詰める。そしてこのフィルターポットのついたノブを本体にねじ込むのだが、何故だかむちゃくちゃ堅い。説明書だとノブが中央付近まで回ってくることになってるのだが、そのちょい手前までがやっとだった。
最初はやっぱ堅いんかなぁ、徐々に回りやすくなるんかなぁと思っていたのだが、これがとんだ勘違い。ノブを回す堅さは「詰め込んだコーヒー豆の量」次第なのだ。つまり俺らはこの謎が解けるまで激しく詰め込みすぎだったのだ。ちゃんと計量カップもついててそれに2杯でちょうどいいのだけどミルに残ったのも全部もったいないから注ぎ込んでいたのだ。それが間違いだった。実際、フィルターは蒸気を通したコーヒーがすこし膨らむ余裕があるくらいがいいとのこと。

さて、粉を詰めてノブにセットしたらメインスイッチを入れてランプ点灯を待つ。結構すぐに準備完了するのでドリップスイッチをオン! ババババというポンプ音の後、すぐに抽出が始まる。速いなぁ。
直火式でやってた時は抽出まで5分近くかかったのだが、これだとメインスイッチオンから1分もしないうちに抽出完了だ。抽出されるエスプレッソコーヒーにはきめ細かな泡が。クレマというらしい。ミルクフォームを作るまえにストレートで味見。うん、なかなかうまい。

◆問題はミルクフォーム

さて、コーヒー抽出まで終わったら次はミルクフォームだ。この機種だとミルクフォームは2通りの作り方があるみたいで、ひとつはカプチナトーレというのをつけ、パイプで牛乳パックなどから直接吸出し、自動でそのままカップに注げるように泡立ててくれるもの。
もう一つはパナレロというのをつけてスチームを発生させ、カップに注いだミルクにパナレロ先端を差し込んで蒸気により温める&必要に応じて泡立てる、という感じだ。

最初の一杯はカプチナトーレで作ってみた。やり方は簡単。パイプを牛乳パックに入れておきスチームスイッチを入れてノブを回すだけだ。ほーら簡単…なのだが、ちょっと失敗。
スチームスイッチを入れてノブを回すとミルクが出るまで先にしばらくお湯が出たりするのだが、それがカップに入らないようにまずは他のカップなりドリップトレイなりに放出しておかないとうまくいかない。初回なのでそれに気づかずにお湯までカップに入ってしまったためちょっとコーヒーが薄まった状態になってしまった。軽く薄まったコーヒーでほろ苦い1杯目デビュー。とはいえば、わいわい言いながら楽しく飲ませてもらったけど。

◆後片付け

さて、飲み終えたら今度は片付け。これだけの機械なので、片付けやメンテは面倒なのかなぁと思っていたのだが、予想外に簡単だった。はっきりいってそれまでの直火ポット式の方がよっぽど面倒で洗い物も多い。
この機種での片付けはコーヒーの詰まったフィルターを取り外して洗うことと、ミルクフォームに使ったパナレロやカプチナトーレにノブを回してお湯を通し、後はパナレロの時に先端部を取り外して洗うだけ。時々ドリップトレイに水やぽたぽた落ちたコーヒーが溜まってるようならかるく流して水洗いすればいい。
作るのも片付けるのも前より手早くそして楽になってしまった。なので最近は2杯目まで作ることも多い。

◆インプレッション

んではこの機種について思いつくままにインプレッションを。

【エスプレッソの味は?】
うまいです。少なくとも俺らの舌でわかる範囲では。好みの問題もあるので、的確にどうこういうのは難しいのですが……。

ただ明確に言える注意点もあって、味は豆の種類や挽き方とかいろんな要素で変動するけども、その中で一番わかりやすく出るのが抽出時間じゃないかと。
特に濃いめコーヒーが好きな人ならコーヒー豆ごとに抽出時間(抽出量)の試行錯誤は必須じゃないだろうか。味がなんとなく物足りない、フィーリングが合わないと思ったらまずは抽出時間を変えてみる。この機種ではドリップスイッチをONにしてる間が抽出時間なのでそのタイミング次第で加減はいくらでも変更できる。
俺的には気持ち短め(少なめ)にした方が美味しいかな、という感じ。自分の好きな濃さというのは人それぞれだと思うんで、コレ!ってのに辿りつくまで変えてみるのがいいかも。
あとは豆の種類や量を変えたり、豆の挽き方をもっと細かくしてみるなども調整のしどころ。コーヒー好きならこうやって好きな味に辿りつくまでの試行錯誤もまた楽しいはず。

【同時抽出】
この機種では一度にカップ2杯に同時に注げるようになっている。単に抽出口が2つに分かれてるだけなのだが、ほぼ毎日常に二人で飲むうちの使い方ではこれは細かいことだけどありがたい。2つの抽出口はすぐ近くに並んでるのでもちろん1杯に倍速で注ぐことも可能だ。

【カプチナトーレとパナレロ】
2通りのミルクフォームの作り方があることを書いた。どちらがいいかということになると、今の時点では
・手早く簡単に入れるときはカプチナトーレ
・使い方に慣れて自分なりの泡加減を調整したいなら断然パナレロ
だと思う。
パナレロは使い方がわかればわかるほど面白い。単純にミルクに蒸気噴出しノズルをつっこむだけでは大雑把な泡が出来るだけだ。まだまだコツがつかめたというレベルまでいってないが、一度、パナレロで偶然だろうけどすばらしくいい感じに泡だってくれたことがあった。きめ細かな泡立ちと適度なミルク温度。飲んでみるとまずそのミルクのふわりとした口あたりがまろやか。泡立ちは最後まで消えてしまうことはなく、コーヒー自体の保温にも役立っている感じで冷めにくい。飲み終わってなおカップにきめ細かなまま泡が残っていた。
でもこの後は比較的失敗続きなのだけど……。うーん。

パナレロのファーストトライはひどかったなぁ。その時は同居人がトライしてみたようなのだが、出来るのを待っているとキッチンから聞こえてくるのは
しゅごー!しゅごーーーー!
という凄い蒸気音。
あの激しくスチーム漏れてますが。それとも蒸気機関車か銀河鉄道999でも通ってますか?という感じだった。
これはパナレロの装着が間違っていたため。ちゃんと最後まで押し込んで手前に回すときっちりハマるようになってるのだが、単純に途中まで押し込んだだけになっていたので蒸気が漏れまくっていたのだ。結局全然泡立たなかったので急遽?カフェラテとして飲んだ。

パナレロを使うコツは泡立てた時に溢れないようにミルクの量に比べて大きめのカップに注いでおくことと、ノズルの先に横についてる蒸気噴出し口をミルク液面の浅めのところでキープすることのようだ。(説明書にそんな感じに書いてある) だが泡立ってくるとそのままの位置じゃ浅くなりすぎて荒い泡になってしまったり、跳ねたりするので徐々に潜らせるくらいの気持ちでやる方がうまくいくみたいだ。またカップは計量カップなど金属製の方がスチームで温かくなったかどうか確認しやすいのでオススメ。

【カップウォーマ】
機能で書いたようにボディの上部にはカップを温めるためのカップウォーマがついている。ついているのだけど、最初の一杯のところで書いたように作る準備にも時間かからないし抽出されるまでも速いのだ。なので、ウォーマが温かくなる前に既にコーヒーが出来てしまうことが多い。
作り始めるちょっと前に先にメインスイッチだけ押してカップを温めておけばいいのだけどわざわざそれだけのために待ってるってのもなぁ。飲みたいと思ったらすぐ飲みたい性質だ。でもカップが冷たい状態だと特に少量のエスプレッソはすぐ冷めてしまうので、カップは温めておいた方が美味しいのは間違いない。
ん、もしかしたらウォーマよりもお湯だし機能を使ってカップにお湯を通した方が素早くあったまったりして……。まぁそれでもミルクが出来るまでにカップに注いだコーヒーが冷めないようにという意味のおき場所ではウォーマーは活躍する。ミルクフォーム作る間のカップ置き場としても便利だし。

◆総合評価

うちでは大満足。手早く簡単に充分に美味しいものが出来るという点はもちろん、毎日のメンテが楽なのが嬉しい。すぐに2杯目にいけるので、もう1杯飲みたいなぁ、ってときに便利。(特に後片付けは俺がやることが多いんで……)

まだ経験値向上中というのは差し置いても、先日、同居人がぷち二日酔いで寝てた時に2杯分のコーヒー豆で自分1人だけ用に淹れた最初の1杯、通称「一番絞り」は最高の出来だった。ミルクフォームもパナレロでこれまたたまたま大成功した時で、今のところこの時の一杯が最高の出来。
ええ、もちろん寝てる同居人をわざわざ起こしてまで飲ませるなんて無粋な真似はせずにゆっくり一人で楽しみましたとも。その後同居人はワンコに責め(顔を舐め続け)に耐えかねてむっくり起きてきたので「でがらし2号」をあげました。優しいよな、俺。味はさっきと全然別物になってたけどね。

エスプレッソは濃いままのストレートに砂糖を入れてという飲み方も伝統的らしい。やったことないのでこれもそのうち試してみよう。
まだ豆も1種類でしか試していないのでもっと深煎りのやつとかロースト系のやつとかだとどうだろう、とか楽しみは多そう。うちに飲みに来た人は当分の間は出来に当たり外れがあると思うので覚悟しておいてくださいまし。


……と、こんなこと書いてる今は出張中のため飲めるコーヒーは自販機のインスタントコーヒーしかない状態の俺。はよ帰ってうまいコーヒー飲みてー。

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2005.01.15

我が青春のX68000

ナツカシマイコンのエントリを書いてからもう1年近く経ってしまった。

関連エントリを並べてみると

・ナツカシマイコン
・我が青春のMZ1500
・MZ自作ゲー時代
・8bit時代のマシン達

と4本もある。今回分含めたら5本だから専用カテゴリ作った方がいいんかね。でももうこれ以上は増えそうにないけど。
さて、今回はこれらのエントリ中でもちらちらと出てきているX68000について思い出すままに書いていきたい。

X68000はまだパソコンが「ホビー」であった頃に俺的に一番思いいれのあったシャープのパソコン(シャープはパーソナルワークステーションと言ってたけど)だ。
このナツカシマイコンシリーズ、ざっくり書こうと思ってても毎回長文になってしまう傾向にあるので、なるべくトピック毎に簡略に済ませたい。

先に断っておくと、調べられるものは書きながらなるべく正確な情報を入れるつもりだが、面倒なのでほとんどはあやふやな記憶のままで、間違いや勘違い盛りだくさんになると思われるのでご注意を……って、それが影響ある人なんていないか。読み物ではなくほぼ備忘録なので、読んで面白い&懐かしいと思う人はかなり限られてると思う。ついでにいえばユーザでない人が見てもさっぱりわけわかんないと思うが特に補足説明はしない。

ん、つまりそれって
「ユーザには物足りなく、not ユーザには意味不明」
ってことかい。「for 俺だけ」でいいや。とほほ。

◆ツインタワー出現
X68000はシャープから1986年の年末近くに発表された。実際に発売される1987年の春まで、雑誌(特にシャープマシン専門誌だったOh!MZ)にて毎月のようにこの「夢のマシン」が語られた。俺は何度も何度も繰り返しそれらの記事を読んでいた。それくらいパソコン仲間で冗談のようにいっていた「こんなマシンが欲しい」に近いものだったのだ。
まずみんなを驚かせたのはそのボディのデザインだった。それまでのパソコンはデザイン性はあまり重要視されてはいなかった。似たような四角い箱。それが当時の「マイコン」だった。
発表されたX68000はマンハッタンシェイプと称されるい高層ビルが二つ連結されたような独特の縦置きスタイルで現れたのだ。5インチフロッピーディスクを2基、そして当時まだほとんど普及していなかったマウスを標準装備していた。トラックボール状にもなるギミックをそなえたマウスだった。フロッピーは当時珍しい自動ロード自動イジェクト機能を備えたインテリジェントなもの。
見た目の高級感に負けないくらい価格もそれなり(本体のみで37万近く。専用ディスプレイ含めたらほぼ50万)で当時高校生だった俺に買えるはずもなく長いこと羨望のマシンだった。

◆衝撃の6万5千色
「君はツタンカーメンを見たか?」
X68000のハードウェアスペックはCPU速度を除いては他のパソコンとは次元が違っていた。特にグラフィック性能はダントツで、その象徴とも言えるのが65536色のカラーが使えるという衝撃。
それまでパソコンの画像といえば原色塗り塗りか、凝っていてもタイリングペイント(別の色を互い違いに並べて中間色を作る)が多用され、ショボい印象が拭えなかった。それが一気に「まさに写真のような映像表示」が可能になったのだ。
その象徴とも言えるのが広告に使われていた?X68000のディスレプイに映る黄金に輝くツタンカーメンの画像だった。イメージキャラクター化してたのか知らないが、このツタンカーメンマークの入った謎のグッズがあれこれあったような気がする。本体を購入してEXEクラブ?だったかに入会した時にもらったソーラー電卓にもツタンカーメンのマークが入ってたような……違ったかなぁ。探せばまだ手元に残ってるかもしれない。

◆その他のスペック
いかん、多色化だけでも長くなってしまった。細かいスペックはどこぞに表とかまとめてありそうなんで、その他の特徴的なスペックはここでさらりと触れることにする。

【サンプリング音源ADPCM搭載】
これも当時ほぼ他のマシンでは見ることのなかった機能。それまでも専用ボードなしで音声を擬似的に発生させる試みはあったが、それにマシンパワーが食われてしまったんではゲームどころではない。
X68000ではハードウェアとしてADPCMという圧縮型(データサイズが小さくて済むがデータ加工はしにくい)のサンプリング音源を搭載した。つまりこれによりそれまでのFM音源などによるサウンド機能に加えて録音した音声をそのまま再生することが出来るようになった。
このADPCM音源は当初考えられていた以上に幅広く使われることになっていく。

【ハードウェアスプライト、スクロール機能】
これもそれまでのパソコンにはあまり見られなかったもの。当時のPCは結構な値段の割にアクションゲームにおいては遥かに安いファミコンよりも遥かに貧弱なカクカクした動きだった。それはファミコンがアーケードゲーム譲りの専用のスプライト機能によりキャラクタをセル画を重ねるように簡単かつ滑らかに動かすことが出来ていたからだ。
X68000ではこの機能をハードウェアとして標準で取りいれ、当時のファミコンを大幅に上回るキャラクター動作を可能とした。(ただしスーファミ世代のような回転機能はなし)

【MPU68000】
8bit時代に全盛だったCPUはZ80だった。その後Intelの石に移り変わっていくのだが、X68000に搭載されていたのはマシン名の元にもなっているモトローラの68000というMPUだった。
ザイログ/Intel系での狭いメモリ空間をバンクバンクとやりくりしながらアクセスする必要や貧弱な搭載命令コードに比べ、リニアなメモリ空間そして高機能なコードセットにはファンが多かったようだ。この選択はその筋の人から歓迎された。その結果なのか、多くのツールがCなどの上位言語でなくアセンブラ言語で作成されていたような気がする。
搭載メモリも64KBフルメモリ、もしくは高級機で640KBが普通の時代に1MBを搭載。もちろん12MBという大容量(当時)まで金に糸目をつけなければ素直な拡張が可能だった。
8bitマシンユーザだった俺らはスゲーと思うと同時に「何に使うんだ?」と思うくらい当時はとてつもなく広く感じられた。って今はGB単位なんだよなぁ……。

【TV連携】
「パソコンテレビX1」からの伝統でもあるのだが、X68000の開発元がTV事業部だったこともあり、専用ディスプレイはTVとしても使えるものだった。それだけではない。キーボードからのTVのチャンネルやボリューム操作なども出来た。また、スーパーインポーズ機能により、モードによってはTV画面表示の上にパソコン画面を重ねて表示することが出来た。(すんごく見にくいけど)
スーパーインポーズさせながらのグラディウスはクリア不可能という伝説があるほどだ(ウソ?)。


【付属ソフト】
当時のゲーム少年達に何よりインパクトが強烈だったのは付属ソフトとしてあのコナミの名作「グラディウス」が付いてきたことだ。アーケードと変わらない出来栄えに感動していた。ある意味「このマシンならアーケードゲームも完全移植出来る」という認識をユーザに植えつけてしまった罪なソフト。

ゲーム以外にも当時他のマシンではプログラムの起動やファイル操作はキーボードでタイプするのが普通だった。X68000にはマウスが標準搭載になったこともあり、VisualShellというアイコンベースでこれらの操作を行うものが付属していた。もっともこの分野の先駆者はMacintoshで、その真似といってしまえばそれまで。ただこのVisualShellはまったり風の動作やマルチタスクではなかったこともあり、すぐに使わなくなった人が多かったんじゃないだろうか。
遅れてSX-Windowというマルチタスク(イベントドリブン型)のウィンドウシステムもシャープより提供されるが、どれだけ使用ユーザがいたかは不明。ゲームメインのユーザにはあまり関係なかっただろうし。バージョンアップを重ねて結構筋のいいシステムだったと思うのだけどマシンパワー不足は否めなかった。Emacs互換のエディタでソースを書きながら裏ではコンパイルとか出来るのはかなり便利だった。

付属していたプログラム言語はX-BASICというBASICベースながらCのような構造化言語を意識したものだった。悪く言えば中途半端。後にコンパイラも登場し、BASICでもそこそこのものが使えるようになった。ただパワーユーザは早いうちからCなりアセンブラなりでガシガシと作っていたのだと思う。

◆CG関連
最初でふれたように一気に多色化したこのマシン。当然、趣味の絵描きさんたちも殺到したものと思われる。早い時期にZ's Staffという高機能市販ペイントソフトも発売されその期待に応えた。えらい高かったけど。
俺が入り浸ってたX68000持ちの友人は絵描き属性の人だったので奨学金ぶちこんで購入していた。コピー防止用の専用アダプタか何かがついてたっけなぁ。

ただしX68000で65536色を使えるモードは512x512だったため、一部の絵描きさん達はアスペクト比の違いに苦しんでいたようだ。ディスプレイ自体は横長なのにドット数的には縦横同数のため1ドットが横長な長方形になる。X68000でだけ見る分には構わないが、他のPCで見ようとすると縦長な絵になってしまうのだ。

また多色化のデメリットとして画像保存サイズが跳ね上がることになったてしまった。そこで登場したユーザによる高性能圧縮ソフト"PIC"がいわゆるアニメ絵系に絶大な効果を上げる。驚異的な圧縮率と稲妻が走るような絵の圧縮復元が印象的だった。このツールは雑誌でも配布され、小さいサイズで流通出来るようになった画像データとともにユーザ間で広く普及していた。

◆音楽系
音楽系もかなり強力な機能をつめこんでいたX68000だが、その中でも一つのトピックとして挙げられるのがADPCMによるサンプリング音源を音楽演奏に使うという動きだ。
おそらく最初にこの使い方をしたのは結構初期に発売されたX68ユーザなら知らない人はいないと思われるZOOMのオリジナルゲーム"GENOCIDE"ではないだろうか。このゲーム中のBGMとしてADPCMが活用されていた。FM音源だけではだせない迫力の音。ゲーム中の楽曲が素晴らしい出来だったのとあいまって、プレイヤーに衝撃を与えた。

もちろん、ユーザによる楽曲演奏でも同じ試みが出てきた。雑誌Oh!Xで発表されたZ-MUSIC関連では、雑誌付録のフロッピーの形でドラムセットなどのサンプリング音色を合わせて収録し、多くのユーザが共通してPCMつきの音楽データを使えるプラットフォームを提供した。
とはいえ、X68000のサンプリング周波数はそれほど高くないため音のクオリティはそこそこではあったが確実にそれまでのパソコン単体ミュージックにはなかった世界を楽しませてくれた。

ただし、ハード制限でADPCMは同時に1音しか出せないため音声が重なると前の再生中の音声は切れてしまうという弱点があった。しかしそれもユーザパワーにより克服される。
PCM8というリアルタイムADPCM音声合成ソフトにより複数のサンプリング音源を同時に発生することが可能となったのだ。CPUパワーとしては非力なマシンのはずなのに何故そんなことが出来ていたのか。まさにマジック
音楽系では俺はあまり知らないのだがMDX系も根強い人気を誇っていたようだ。パソコン通信系で普及していたのかな。
後期はゲームBGMも含めMIDI機器の低価格化にともないMIDI接続を前提とした音楽演奏対応が増えていき、本体のみで凄い音を、という部分はマシンパワーの問題もあり、次第に弱くなっていったような気がする。

◆電脳倶楽部
元は雑誌Oh!MZ/Oh!Xのライターであった祝一平氏が満開製作所という怪しい名前の会社を興し、X68000ユーザのためのディスクマガジン「電脳倶楽部」を発刊した。会社名からしておそらく最初に広告を見た多くの人がジョークだと思ったに違いない。
予め半年分の代金を支払えば毎月フロッピーが郵送されるという形態のディスクマガジンだった。
雑誌Oh!Xは他の雑誌がフロッピー付属が多くなる中、コスト問題もあったのだろうが、メディア付属は遅く、また少なかった。(かわりにあるときは下手すると10枚近いディスクに展開されるほどの濃い内容だったが)
それまでの伝統もあるのか「プログラムは自力で入力する。それが勉強にもなる」というポリシーもあったのだと思う。他の雑誌がゲームをするためだけのダンプリスト掲載なものも多かった中、ソースリストを載せることにこだわっていた。もちろんそれは一理あり、俺自身、BASIC時代はそれで得るものが多かった。
ただし、実際にはソースリストの巨大化に従い、ソースを圧縮したバイナリのダンプリストを載せるなんて荒業も出現したりしていた。正直これは苦行であり16進数のタイプ練習以外には何の勉強にもならない。(ある意味乗り越えること自体が人生勉強かもしれない)
電脳倶楽部のディスクマガジンという形態はその無駄な作業からユーザを解放した。

結果、ソフトの流通と自作ソフトの発表の場がが飛躍的に拡大し、面白いプログラムや便利なツールをユーザの多くで簡単に共有することが出来るようになったのだ。紙媒体のOh!Xとお互いの弱点を補足しあうようにX68000のプログラミング文化を盛り立ててくれた。
このディスクマガジン、先見の明ともいえるブラウザを当初から搭載していた。今でいうIEやNetscape,OperaなどのWEBブラウザのネットワークなしローカルファイル専用版みたいなものだ。テキストと画像と同時に表示でき、このブラウザで表示される目次から読みたい読み物をクリックして読んだり、プログラムを実行したり音楽を演奏出来るようになっていた。
掲載コンテンツとしては読者投稿によるツール、画像やPCMデータ、読み物に加え、製作者側でのソフト提供、読み物がメインだったろうか。特に変酋長である祝氏の読み物にはその語り口や視点の面白さからOh!MZ時代からのファンがたくさんいて俺も楽しみにしていた。
氏による作成のワープロ「サンダーワード」の開発もあったなぁ。キー操作が「黄金律」たるEmacs互換だったので
嬉しかった覚えがある。
電子データへの取り組みもあり、公共データとして既に著作権フリーとなっている小説の電子書籍化なども行われていた。
またOh!Xに毎月掲載されていた電脳倶楽部の広告ページは「日ペンの美子ちゃん」ならぬ「満開の電子ちゃん」で毎回笑わせてくれたため楽しみにしてる人が多かった。

しかし所詮フロッピーの容量でのディスクマガジンである。後期は容量不足のため圧縮されまくった状態で配布され、自分で用意した数枚のフロッピーに展開してから読むという状態になってしまっていた。この「楽しむ前のひと呼吸」が楽しみのような面倒のような。ディスクマガジンという形態で楽を覚えた俺らはどんどん贅沢になっていたのかもしれない。友人と交代に購読していて俺もいつしか購読しなくなっていた。
祝氏も途中からは製作から外れていたようだ。そして1999年、氏の訃報を知る。勿論、実際にお会いしたことなどないし、投稿してたわけでもない単なるいち読者に過ぎなかった俺だけど、それでもえらいショックだったのを覚えている。

◆ユーザパワー
魅惑のスペックに見せられて多くのホビープログラマがX68000のユーザとなった。X68000はユーザパワーと決して切り離せないマシンだ。だからこそ皆の思い入れが深いマシンとなり得た。雑誌「Oh!X」とディスクマガジン「電脳倶楽部」の影響もあり「ないものは作る」の意識が高かったのだろう、新たなユーザをもとりこんでX68000は強力なユーザパワーに囲まれて発展していった。

【フリーソフト達】
象徴的なのがX68000発表の頃からよく聴くようになった「フリーソフト」の隆盛と浸透だ。今では普通に聞くフリーソフト、その名の通り、利用も配布も無料かつ自由なソフトだ。(厳密にはいろいろあるけど)
多くのツール、ゲームがフリーソフトとして発表され、がX68000のプログラミング文化や自作ゲーム文化を盛り上げた。

【プログラム環境】
あらゆるものがユーザの手により作成、改良されていった。例えばプログラミング環境もメーカ純正よりも高速なアセンブラやリンカ、各種エディタやGCCなども広まるようになりほぼ投資なく誰でもプログラミング出来る状態になっていた。高機能なファイル操作ツールに通信ソフトなども市販物以上のものが揃っていた。

【システム関連】
システム関連もついにはユーザの手によるウィンドウシステムKo-Windowまで産まれた。SX-Windowより軽快に動くこのシステムは一部に支持を集め、対応アプリケーションも発表されていった。また合わせてOS部も長いファイル名が使えるTwentyOneや独自のDOSコマンドシェルも広まっていく。画面表示も本来用意されているモード以外の高解像度を表示させたり出来るツールなども現れた。
ハードの限界までしゃぶりつくしていく。そしてそれに応えるだけのオープンなプログラマブルなハードだったのだ。

【音楽関連】
音楽関連では前述のZ-Music/MDXやPCM8などの強力な演奏システムが揃った。これら共通のベース上で数々の自作音楽データが発表されていった。
俺は……自分の音楽センスのなさを知りました。

【そしてDoGAへ】
さらには動画分野にも異変が起きた。
CGによるアニメーションを作成出来るソフト各種(モデリング、モーション、レンダリング)を無償(カンパウェアだっけ)で提供するDoGAプロジェクトの登場だ。CGAコンテストも始まり、当時の貧弱な演算性能で作ったと思えないような力の入った作品が発表されていた。
ここから巣立って今その分野でバリバリ活躍してる人も多いんじゃないだろうか。
俺は……自分のデザインセンスのなさを知りました。

【UNIXの潮流】
大学でUNIXに触れることの多かった俺にはUNIXライクなツールが嬉しかったなぁ。NEmacsにGCC,ITAtoolsで各種UNIX系コマンドが揃い、さらにfishなどの高機能なシェルまで発表された。
このおかげで自宅と学校のUNIXマシンで似たような環境を作成出来ていた。Internetでのメールボックスをそのまま家に持ち帰ればNEmacsで読めるし、論文だって自宅でTeXで書いたものを学校に持っていけば同じイメージで提出出来たのだ。細かな単純実行ツールをパイプで組み合わせて結果を得ることが出来るUNIXコマンドはパズル的でもあり、気に入っていた。

【ミョーなソフト達】
ユーザにより発表されるミョーな遊びツールも楽しみの一つだった。
例えばX68000のオートロード、オートイジェクトなフロッピーを活かして(?)、フロッピーを入れたり出したりするのに合わせて勝手に音声が流れる常駐ソフトがあった。フロッピーをキーボード操作で吐き出させようとすると
「げぇぇっ」
という汚ねー声とともにフロッピーが吐き出される。ご丁寧に普通に入れたときと裏表間違えて入れたときで別の音声が出たりする。もちろん音声は自分で好きな音声に変更可能だった。
他にもキーボードに並んでいる複数のLEDがプログラム制御出来るのをいいことにナイトライダーよろしく例のBGMとともにLEDが流れるように光りだすだけのプログラムやよくダンボールに緩衝材として一緒に入ってるあの「ぷちぷち」をマウスで延々潰すだけのソフトとかおかしなソフト達が登場した。
不思議なことだがこんなお遊びソフトこそX68000ユーザとしての所有満足度に繋がっていた気もする。アーケードそのままの移植ゲームはゲーセンに行ってコイン入れれば誰でも出来る。しかし、こんなバカバカしい楽しみ方はユーザでなければ出来ない(やらない?)のだ。

【通信&ネット】
X68000のユーザパワーを支えたのは雑誌や電脳倶楽部だけではない。パソコン通信や草の根、そして当時はまだ一部の大学などでしか接続されてなかったInternetを通じて、ソフト開発や流通が拡大していったのも大きい。
経済的な理由から俺がパソコン通信を始めたのはかなり後になってからなので想像だが、パソ通やBBSでソフトが生まれ、磨かれて雑誌などで一気に拡大普及するという流れのものの方が多かったのかもしれない。
ちなみにTCP/IP化への流れにはX68000は完全に乗り遅れた。(というか既に見放されていた?) 純正Ethernetボードはやたら高価だったこともあり、持ってる人を見たことも聞いたこともなかった。シリアル経由でUUCPとかやってた人はいるのだろうけど……。ユーザによる拡張ボード企画もあったが俺は未購入。

【その他もろもろ】
ユーザによる独自のディスクマガジンもあちこちで発刊されていたようだ。しまいにゃ、ユーザによるマシンパワーアップのためのハードウェア基盤製作などまで行われていた。
また一部のシャープショールームではユーザ同士の集まりも開催されていた。間違いなく怪しい集団だった。

これら多方面に及ぶユーザパワー、そしてある種共通する気質は既に文化だったのではないだろうか。
ちょっと一部にリベラル過ぎたり暴走気味、アナーキーな部分もあったのではないかと思うが、愛着あるマシンユーザ同士という範疇を超えてユーザ同士が繋がっていた気がする。

◆ゲーム!ゲーム!ゲーム!
さて、X68000の人気を支えていた根幹はやはりゲームだろう。その卓越したハード性能を駆使したたくさんの名作が発表された。
まずX68000のCPUが当時のアーケードで多く使われていたCPUと同じだったこともあるのかアーケードからの移植が盛況だった。最初の「付属グラディウス」の衝撃もあるのだろう、「完全移植して当然」というムードがあった。開発側はさぞ大変だったことだろう。
オリジナルゲームも独特のハード機能とアイデアを活かしたものが次々と発表され、各社で技術を競っていた。
記憶に残る個々のゲームタイトルについてはいつかまた別途まとめるか。やっぱ専用カテゴリ作ろう。

またX68000においてゲーム作成はゲームメーカーだけのものではない。ユーザ作成作品でも凄いレベルのものが数多くみられた。
ワンアイデアによるセンスのいいものもあれば市販ソフトと肩を並べるような完成度の作品もあった。通常、ユーザレベルの作品ではデザインが両立出来ないものが多い。凄腕プログラマーがそのまま凄腕デザイナーであることは稀だからだ。サークルのような複数人での「同人ソフト」発表が増えたのもこのあたりが関係していたのだろう。
また、既存の市販ゲームにパッチをあてて改造して遊ぶものもいくつか見られた。スペースハリアーのキャラ&音声入れ替えなどは皆で大笑いしながらプレイしていたものだ。
ハードメーカであるシャープもX68000のゲーム文化を後押しした。サイバースティックなんていうイカすどマイナーな周辺機器を出したり……って、ちょっと違うか。

しかしこのゲーム興隆の影で溢れる違法コピーがはびこっていたのもまた事実。ゲーム屋にはソフトと並んでバックアップという名のコピープロテクト外しソフトが並んでいる状況だった。プロテクトを外してお気に入りソフトをハードディスク起動出来るようにするなど正規ユーザにも有用な使い方はあったのだが……。ゲームユーザはそうやって自らの首を絞めていたのかもしれない。

◆マイマシン購入
購入資金の増加と値段が少しは下がったのもあって1990年発売のPRO-IIにてようやく俺もユーザになった。友人宅で自分のもののように遊び倒していたので戸惑うことなく環境をカスタマイズ。
マンハッタンシェイプへの憧れは大きく横置きスタイルとなった廉価版のイメージの強いPRO-IIの購入は迷うところもあったのだが、それでもすぐにX68000を自分のものとしたかったのだ。レストの広い結構打ちやすいキーボードがせめてもの救いだった。拡張スロットが4つあるのも特徴的だったが、最終的に使ったのはメモリとSCSIボードの2スロットだけだったりして……。

とはいえ、購入後X68000でバリバリにプログラミングしていたかというと実はそうでもなかったりする。MZ時代の方が確実に時間をかけていた。なんだかんだと忙しくなってきてたのも一因ではあるが、それよりもX68000になってグラフィック性能の向上でゲームにおけるデザイン要素が大きくなった。単なるプログラムだけではゲームとしての見劣りが激しくなり、市販ゲームとの「格差」が歴然としてきたのだ。作るために想定されるパワーと手間の増加が敷居を高く感じさせた。
X-BASICで、市販されてるパズルゲームのルールだけ調べてそのロジックだけ真似してシンプルな画面で作るとか、その程度。自分用のちょびツールは作ってたが、あまり力を入れて作成することは少なくなっていた。また前述のDoGA CGAシステムのようにプログラミングやゲーム以外でも遊べることが多かったということもあるだろう。

それまでの所有マシン(MZ-1500とか)に比べて、市販も他ユーザからもソフト供給が豊富だったX68000で「享受する楽さ」を覚えてしまったのかもしれない。

◆終焉?もしくはエンドレス
「5年間は仕様変更しない」
シャープとしての公式見解というわけじゃないみたいだがX68000の登場時からこのことは暗黙の了解のように思われていた。それまでのPCが互換性のないハード機能変更により前機種で作成したソフトが動かなくなるいことが多かったのに対し、一定期間のハード仕様固定が前提であればソフトメーカは製品を安心して作れる。実際1987年の初代発売から細かな部分を除きX68000の基本仕様は最後まで変わらなかった。
しかし性能も1991年にようやく出たクロック向上版のXVIでちびっと上がっただけ、1993年に初のMPUレベルのメジャーアップデートとなるX68030により性能向上があったくらいで、互換性を考えてか周辺機能に大きなパワーアップはなかった。
XVIの前後には何故か筐体を小型化した機種Compactの発表により3.5インチFD搭載マシンも増えたが、ほとんどのゲームが5インチFD提供なので「X68買ったのにゲームできない」人もいたのではないだろうか。外付けFDが必須だったと想像される。
その間にPC98系やAT互換機の世界では猛スピードでCPUスペックが向上していった。

ユーザの期待と裏腹にちぐはぐな新機種。それはかつて既存資産全てを捨ててまで桁違いのスペックとしたマシンに魅力を感じて購入したユーザにとっては大きな失望だったかもしれない。新たなパワーを望むユーザによるPowerPC搭載の"NewX"登場の噂は絶えることがなかった。
実施、雑誌Oh!Xの特集にPowerPCのアーキテクチャが特集されたりと「もうすぐ出るぞ!」という雰囲気は十分にあった。みんな近々発表されると確信していた。しかし、結局NewXがアナウンスされることはなかった。開発はしたものの営業判断により日の目を見なかったということなのかもしれない。
PowerPC搭載のあるいはUNIX系OSを積んだSX-Window後継な独自IF搭載のNewX…そんな想像もしたりしてましたが、ある意味ソレって今のMacとOS-Xだったりして。

やがて市販ソフトは激減し、ほぼ発売されなくなる。専門誌だったOh!Xは休刊し(その後奇跡の復活を数度遂げるが)、X68000の生産は停止。電脳倶楽部も粘ったものの終了した。ハードはユーザの手によりパワーアップキットや拡張ボードがいくつか企画されていたようだが、俺は手を出していないのでその詳細は不明だ。
家庭用ゲーム機の世代交代により、作成は別としてゲームをプレイする上でのプラットホームとしての魅力は薄れた。ゲームグラフィックの主流もポリゴンへ移行していく。ネットワークもWINDOWS95とともにInternetの普及が進んだが、そこに接続出来たX68000はほんのわずかだったろう。
稀な例外を除けばX68000は静かにひっそりと一部の人の記憶と押入れに眠るマシンになっていく。

ひとつだけ、新たな動きがあった。
Windows上で動作するX68000エミュレータの発表だ。今では複数のX68000エミュレータが発表されている。
当初BIOSデータの問題などでエミュレータを動かせるのはX68000を持っていた人に限られたが、シャープによるBIOSデータの公開により、誰でも動作可能となった。(OSとかがないとあまり意味はないけど) Windows上でHuman68Kやfishを動作させたとき、なんだか懐かしいような、切ないような気分になった。レトロゲームファンも根強く、まだまだX68000の魂は消え去ってはいないようだ。

◆おしまい
エミュレータで当時のアクションゲームを遊ぶと、その多くが256x256の解像度モードで動いていたので、現在のPC画面上で拡大せずに動かすとほんのわずかな四角形の中で何やらちまちま動いてるだけに見える。下手すると最近の携帯電話の画面くらいのサイズだ。
しかし俺らはかつて時にロクに飯も食わず、睡眠も取らずにこの小さな窓の中の出来事に没入していた。この小さな四角形の中で何万もの敵と戦い、何十万回もキーを叩き、何百万もの文字を読んできたのだ。間違いなくここに俺らの青春の一片があった。

淡々と思い出しトピックだけにした割に結構長くなったがそれでも肝心なものを書ききれてないような気分が抜けない。もっとあの頃のみんなのパワーを、語りあったくだらない発想を、バカみたいな毎日を、理想のゲームへの情熱をうまく書き留めておきたいのだけど……。

記憶に残るゲーム編はまたいつか。それが1週間後かさらに1年後かわからないけれども。

2005.01.08

雑炊のジレンマ

年末年始といえばボーナスにクリスマスや忘年会、新年会と何かと外で飯を食う機会の増える季節だ。
そんな中でふと思ったとがある。俺も気がつけばそこそこ歳を食ってしまったので、学生時代には軽く食えた飯の量が全部は入らなくなってくる。コース料理なんて頼んだ日には最後まで美味しく食べるために、当日の昼から軽めにしておくなどの策略が必要になってくるのだ。

だが、いつでもこういった万全の策をとって飯を迎えられるワケではない。先日も悔しい思いをした。
この冬はちょい前まで妙に暖かかったのだけど、年末からようやく寒くなり、鍋物が美味しくなってきた。鍋といえば締めは雑炊である。しかし、事前準備が万全でない場合にはこのシチュエーションにおいて

 「雑炊食いたし 腹苦し」

という事態が発生してしまうことがある。

食いたいけどもうこれ以上食ったらマジでヤバい。悔し涙を浮かべながらひとすくいだけしてみると……うまい。こんな腹いっぱいの状態で食べてもうまいと感じるのだから空腹状態で食ったらどれだけうまいことだろう。
だからといって雑炊に至るまでのメインを遠慮してまで腹を残すのは本末転倒、「鍋負け」感が漂う。それでは鍋奉行も黙ってはいまい。(誰?)

このような状態での葛藤を「雑炊のジレンマ」という。(たった今命名)
定義を一般化するならば
「メインの目的を妥協するのならば別の楽しみにありつける状態」
といったところか。

この雑炊のジレンマ、鍋以外のいろんな場面でも遭遇しているのではないか。

・マイホームを諦めて高級車検討
ダイエットのつもりで運動した後のビールの誘惑
・好きなアーティストだがCCCD
・彼女へのプレゼント予定額ぎりぎりの財布状態で見つけた今にも売り切れてしまいそうな限定商品(勿論自分用)
・「健気でかわいいお嫁さんをアピールしたいけど、鬼嫁って周りから認められたらそれはそれで普段の生活は楽かなー、なんて思ったりして」

なんか定義を拡大解釈した上にそれでも違うのも混じってる気もするが、考えられるケースはいろいろだ。鍋は奥が深いなぁ(違)

でも不思議とデザートのジレンマってのはない気がする。かの究極の別腹理論による効果だろうか……。

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年末に書いててUPし忘れてたのを発見したのでちょび修正してUP。

2005.01.05

ご先祖Nikomatを貰う

すっかり更新をサボってる間にクリスマスも正月も過ぎてしまった。
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

さて、年末年始に実家へ帰省した。
近況など話す途中、ふと、父が俺が持って帰っていたNikon D70に反応。聞いてみると、長いこと眠ったままのNikonのカメラがあるとのことだ。レンズも2本あるらしい。そういえば俺が子供の頃、使い方もわからずに勝手に取り出して遊んでたカメラがあったような……。あれNikonだったのか。

戻る前日に一式入ったバッグを受け取る。埃まみれのバッグには旅行の時にでもつけたらしき祖父の名前が書かれたタグが……。いつのだよ、これ。慌しくバッグを受け取っただけだったのでこれを買ったのが父だったのか祖父なのかは聞いてない。

雑巾で埃を拭い、バッグから出てきたカメラはやはり庶民の味方、ニコマートだった。おそらく型は"Nikomat FT"で、Nikomat初代機のようだ。

nikomatft

バッグの中に眠っていたのはざっとこんな感じ。
・カメラ本体:Nikomat FT
・標準レンズ:Nikkor-H Auto 50mm F2
・望遠レンズ:Nikkor-Q Auto 135mm F3.5
・それぞれのレンズにフードとKenkoのレンズプロテクター
・外部ストロボ
・露出計(針動かず。壊れてる?)

レンズはきっと当時の標準的な組み合わせレンズだったのだろう。後で調べてみるとレンズ型番にあるアルファベット(HとかQ)は構成するレンズ枚数を示しているらしい。QならQuadで4枚、HならHexaで6枚。Cがついてればコーティングあり。ふむふむ、クラシックレンズの勉強になります。

さっそく50mmレンズが装着されたままのNikomat FTを触ってみる。まずなによりもそのシンプルだけどゴツい外観が特徴的だ。そして手にとるとずっしり重い。まぁ、この材質ならそうなるわな。とにかく頑丈そうだ。落としても床の方がヘコミそう

nikomatft2

フィルム巻上げレバーはシンプルかつシャープな形状で美しい。またこのレバーは露出計のON/OFFと連動しているらしい。シャッターボタンの隣には絞りこみ用のボタンがついている。絞込み測光とかはこれでやるってことか。上部はこの他にフィルム巻取りやフィルムカウントメータなどが並んでいるが、非常にすっきりした印象。
一番驚いたのがISO(ASA)設定やシャッタースピードの設定がカメラ上部でなくレンズをマウントする部分近くに速度設定リングがついていることだ。このおかげで上部がすっきりしているのだろう。

カメラ内蔵の露出計は内蔵電池が切れていたため動かなかった。この電池がまた曲者で、入ったままになっていたのはMR-9(H-D)という水銀電池。ちょっと調べてみるとこのタイプは既に生産停止されており、入手は困難らしい。
使用するにはどこかのストックから入手するか、LR44などの現在も使われるアルカリ電池を形状変換&電圧降下させるアダプタを使用する、もしくは露出計が多少狂うのを前提で無理やり他の形状の電池を使うことになるらしい。変換アダプタは2,900円ほどするようだ。アダプタの注意書きにもFTではモノによってはショートの可能性あり、とも……どうすっかねぇ。ダメモトって話もあるけど。
内蔵露出計はファインダーを覗いたところにも針が見える。これなら電池問題さえクリアして露出計がまだちゃんとした値を示すならレンズ部のシャッター設定リングと合わせて露出設定は便利なのかも。

レンズ側なのか本体側なのかわからないがやはりホコリが内部に入ってしまってるようでファインダーを覗くとあちこちにゴミが見えた。本体側はブロア(持ってないけど)でしゅこしゅこやればある程度取れるのかな?
レンズを外して方を光にかざしてみると……カビっぽいのが結構あちこちにあるみたいだ。これも年月かぁ。サービス持っていてどうにかなるのかなぁ。

さてそのレンズ。

nikkor135f35

50mm短焦点はAiAFのを既に持っているので、まず興味の矛先は135mm F3.5に。50mmも方もそうだが、刻まれた"Nippon Kogaku Japan"の文字が歴史を感じさせる。

折角同じFマウントなのだし、試しにD70につけてみようとその場でかちゃかちゃと装着をトライ。カチャリとさほど問題なく装着。あれ、でも絞りリングが重くて変更しにくい。なんとか動きはするんだけど……。

実は帰省の時はWEB環境もD70マニュアルもがなく、戻ってから後で知ったのだけどD70のボディにAi化以前のAutoレンズをつけると破損の恐れがあるとのことです。ご注意を!(D70のマニュアルに書いてある……)
ちなみにAi以前のレンズのAiボディ対応改造はNikonのサービス受付でやってたらしいが現在は終了している様子。残念。最後の手段として自己責任で改造するという手もあるみたい。このあたりはこのページを参考にさせて頂きました。
D70の場合は本体のレンズマウント部にある最小絞り設定警告レバーとの接触があるかどうかがポイントのようだ。今回の135mmは最後まで装着出来る程度に軽く接触があったということのようだ。再度装着させかけてみると確かにちょっと押さえつけるような感じになってる。D70の方は元のAiAFレンズに戻して問題なく動いているのでひと安心。改造はレンズ側のこのレバーと触れるところをヤスリ等で削るだけのようだ。

さて、そんな↑の事実を知らぬ無知の怖さ。
その時はかまわず装着してぱしゃぱしゃと試し撮り。D70側では絞り情報もまったく受け取れないため、撮影は完全マニュアル。レンズ側で絞りを設定し、フォーカス、シャッター速度をマニュアル設定。なんだかこれはこれで新鮮だなぁ。
135mmってことはD70に装着すると200mm相当となる。これまでの手持ちレンズではED18~70mmの70mmが一番望遠だったため、その倍となると結構手ブレしやすい。それでもF3.5なのでまだマシか。
実家から戻ってからWEBでさっきの情報みて焦りましたとも、ええ、ええ。

父から購入の詳しい話を聞きそびれたのだが、このFTの発売が1965年のようなので、おそらくはそのあたりで購入したカメラなのだろう。俺が産まれるより前から実家にあったカメラということになる。
家にある古いアルバムの家族写真の多くはこれで撮影されたものだろう。時期的に俺が生まれた頃の写真はほぼ間違いなくコレだ。そのカメラを使うかどうかはともかく譲り受けたというのはちょっぴり感慨深い。また、それを知らずに自分が同じNikonのD70を購入していたってのも微妙に縁を感じるものだ。

D70でのクラシックレンズ装着撮影は先ほどの破損の恐れやカビ問題もあり、しばらくは見送りかなぁ。改造までやるかどうかは微妙だし、露出計さえ動くようならFTの方でノスタルジックな撮影気分を味わう方が面白いかもしれない。

どちらにしても今月もなかなか時間がとれそうにないので本格的にいじれるのは来月かな?

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