カンレン

アシアト

トリダメ

  • Zorg

Recent Trackbacks

無料ブログはココログ

« 雑炊のジレンマ | Main | サエコ・マイ・ラブ »

2005.01.15

我が青春のX68000

ナツカシマイコンのエントリを書いてからもう1年近く経ってしまった。

関連エントリを並べてみると

・ナツカシマイコン
・我が青春のMZ1500
・MZ自作ゲー時代
・8bit時代のマシン達

と4本もある。今回分含めたら5本だから専用カテゴリ作った方がいいんかね。でももうこれ以上は増えそうにないけど。
さて、今回はこれらのエントリ中でもちらちらと出てきているX68000について思い出すままに書いていきたい。

X68000はまだパソコンが「ホビー」であった頃に俺的に一番思いいれのあったシャープのパソコン(シャープはパーソナルワークステーションと言ってたけど)だ。
このナツカシマイコンシリーズ、ざっくり書こうと思ってても毎回長文になってしまう傾向にあるので、なるべくトピック毎に簡略に済ませたい。

先に断っておくと、調べられるものは書きながらなるべく正確な情報を入れるつもりだが、面倒なのでほとんどはあやふやな記憶のままで、間違いや勘違い盛りだくさんになると思われるのでご注意を……って、それが影響ある人なんていないか。読み物ではなくほぼ備忘録なので、読んで面白い&懐かしいと思う人はかなり限られてると思う。ついでにいえばユーザでない人が見てもさっぱりわけわかんないと思うが特に補足説明はしない。

ん、つまりそれって
「ユーザには物足りなく、not ユーザには意味不明」
ってことかい。「for 俺だけ」でいいや。とほほ。

◆ツインタワー出現
X68000はシャープから1986年の年末近くに発表された。実際に発売される1987年の春まで、雑誌(特にシャープマシン専門誌だったOh!MZ)にて毎月のようにこの「夢のマシン」が語られた。俺は何度も何度も繰り返しそれらの記事を読んでいた。それくらいパソコン仲間で冗談のようにいっていた「こんなマシンが欲しい」に近いものだったのだ。
まずみんなを驚かせたのはそのボディのデザインだった。それまでのパソコンはデザイン性はあまり重要視されてはいなかった。似たような四角い箱。それが当時の「マイコン」だった。
発表されたX68000はマンハッタンシェイプと称されるい高層ビルが二つ連結されたような独特の縦置きスタイルで現れたのだ。5インチフロッピーディスクを2基、そして当時まだほとんど普及していなかったマウスを標準装備していた。トラックボール状にもなるギミックをそなえたマウスだった。フロッピーは当時珍しい自動ロード自動イジェクト機能を備えたインテリジェントなもの。
見た目の高級感に負けないくらい価格もそれなり(本体のみで37万近く。専用ディスプレイ含めたらほぼ50万)で当時高校生だった俺に買えるはずもなく長いこと羨望のマシンだった。

◆衝撃の6万5千色
「君はツタンカーメンを見たか?」
X68000のハードウェアスペックはCPU速度を除いては他のパソコンとは次元が違っていた。特にグラフィック性能はダントツで、その象徴とも言えるのが65536色のカラーが使えるという衝撃。
それまでパソコンの画像といえば原色塗り塗りか、凝っていてもタイリングペイント(別の色を互い違いに並べて中間色を作る)が多用され、ショボい印象が拭えなかった。それが一気に「まさに写真のような映像表示」が可能になったのだ。
その象徴とも言えるのが広告に使われていた?X68000のディスレプイに映る黄金に輝くツタンカーメンの画像だった。イメージキャラクター化してたのか知らないが、このツタンカーメンマークの入った謎のグッズがあれこれあったような気がする。本体を購入してEXEクラブ?だったかに入会した時にもらったソーラー電卓にもツタンカーメンのマークが入ってたような……違ったかなぁ。探せばまだ手元に残ってるかもしれない。

◆その他のスペック
いかん、多色化だけでも長くなってしまった。細かいスペックはどこぞに表とかまとめてありそうなんで、その他の特徴的なスペックはここでさらりと触れることにする。

【サンプリング音源ADPCM搭載】
これも当時ほぼ他のマシンでは見ることのなかった機能。それまでも専用ボードなしで音声を擬似的に発生させる試みはあったが、それにマシンパワーが食われてしまったんではゲームどころではない。
X68000ではハードウェアとしてADPCMという圧縮型(データサイズが小さくて済むがデータ加工はしにくい)のサンプリング音源を搭載した。つまりこれによりそれまでのFM音源などによるサウンド機能に加えて録音した音声をそのまま再生することが出来るようになった。
このADPCM音源は当初考えられていた以上に幅広く使われることになっていく。

【ハードウェアスプライト、スクロール機能】
これもそれまでのパソコンにはあまり見られなかったもの。当時のPCは結構な値段の割にアクションゲームにおいては遥かに安いファミコンよりも遥かに貧弱なカクカクした動きだった。それはファミコンがアーケードゲーム譲りの専用のスプライト機能によりキャラクタをセル画を重ねるように簡単かつ滑らかに動かすことが出来ていたからだ。
X68000ではこの機能をハードウェアとして標準で取りいれ、当時のファミコンを大幅に上回るキャラクター動作を可能とした。(ただしスーファミ世代のような回転機能はなし)

【MPU68000】
8bit時代に全盛だったCPUはZ80だった。その後Intelの石に移り変わっていくのだが、X68000に搭載されていたのはマシン名の元にもなっているモトローラの68000というMPUだった。
ザイログ/Intel系での狭いメモリ空間をバンクバンクとやりくりしながらアクセスする必要や貧弱な搭載命令コードに比べ、リニアなメモリ空間そして高機能なコードセットにはファンが多かったようだ。この選択はその筋の人から歓迎された。その結果なのか、多くのツールがCなどの上位言語でなくアセンブラ言語で作成されていたような気がする。
搭載メモリも64KBフルメモリ、もしくは高級機で640KBが普通の時代に1MBを搭載。もちろん12MBという大容量(当時)まで金に糸目をつけなければ素直な拡張が可能だった。
8bitマシンユーザだった俺らはスゲーと思うと同時に「何に使うんだ?」と思うくらい当時はとてつもなく広く感じられた。って今はGB単位なんだよなぁ……。

【TV連携】
「パソコンテレビX1」からの伝統でもあるのだが、X68000の開発元がTV事業部だったこともあり、専用ディスプレイはTVとしても使えるものだった。それだけではない。キーボードからのTVのチャンネルやボリューム操作なども出来た。また、スーパーインポーズ機能により、モードによってはTV画面表示の上にパソコン画面を重ねて表示することが出来た。(すんごく見にくいけど)
スーパーインポーズさせながらのグラディウスはクリア不可能という伝説があるほどだ(ウソ?)。


【付属ソフト】
当時のゲーム少年達に何よりインパクトが強烈だったのは付属ソフトとしてあのコナミの名作「グラディウス」が付いてきたことだ。アーケードと変わらない出来栄えに感動していた。ある意味「このマシンならアーケードゲームも完全移植出来る」という認識をユーザに植えつけてしまった罪なソフト。

ゲーム以外にも当時他のマシンではプログラムの起動やファイル操作はキーボードでタイプするのが普通だった。X68000にはマウスが標準搭載になったこともあり、VisualShellというアイコンベースでこれらの操作を行うものが付属していた。もっともこの分野の先駆者はMacintoshで、その真似といってしまえばそれまで。ただこのVisualShellはまったり風の動作やマルチタスクではなかったこともあり、すぐに使わなくなった人が多かったんじゃないだろうか。
遅れてSX-Windowというマルチタスク(イベントドリブン型)のウィンドウシステムもシャープより提供されるが、どれだけ使用ユーザがいたかは不明。ゲームメインのユーザにはあまり関係なかっただろうし。バージョンアップを重ねて結構筋のいいシステムだったと思うのだけどマシンパワー不足は否めなかった。Emacs互換のエディタでソースを書きながら裏ではコンパイルとか出来るのはかなり便利だった。

付属していたプログラム言語はX-BASICというBASICベースながらCのような構造化言語を意識したものだった。悪く言えば中途半端。後にコンパイラも登場し、BASICでもそこそこのものが使えるようになった。ただパワーユーザは早いうちからCなりアセンブラなりでガシガシと作っていたのだと思う。

◆CG関連
最初でふれたように一気に多色化したこのマシン。当然、趣味の絵描きさんたちも殺到したものと思われる。早い時期にZ's Staffという高機能市販ペイントソフトも発売されその期待に応えた。えらい高かったけど。
俺が入り浸ってたX68000持ちの友人は絵描き属性の人だったので奨学金ぶちこんで購入していた。コピー防止用の専用アダプタか何かがついてたっけなぁ。

ただしX68000で65536色を使えるモードは512x512だったため、一部の絵描きさん達はアスペクト比の違いに苦しんでいたようだ。ディスプレイ自体は横長なのにドット数的には縦横同数のため1ドットが横長な長方形になる。X68000でだけ見る分には構わないが、他のPCで見ようとすると縦長な絵になってしまうのだ。

また多色化のデメリットとして画像保存サイズが跳ね上がることになったてしまった。そこで登場したユーザによる高性能圧縮ソフト"PIC"がいわゆるアニメ絵系に絶大な効果を上げる。驚異的な圧縮率と稲妻が走るような絵の圧縮復元が印象的だった。このツールは雑誌でも配布され、小さいサイズで流通出来るようになった画像データとともにユーザ間で広く普及していた。

◆音楽系
音楽系もかなり強力な機能をつめこんでいたX68000だが、その中でも一つのトピックとして挙げられるのがADPCMによるサンプリング音源を音楽演奏に使うという動きだ。
おそらく最初にこの使い方をしたのは結構初期に発売されたX68ユーザなら知らない人はいないと思われるZOOMのオリジナルゲーム"GENOCIDE"ではないだろうか。このゲーム中のBGMとしてADPCMが活用されていた。FM音源だけではだせない迫力の音。ゲーム中の楽曲が素晴らしい出来だったのとあいまって、プレイヤーに衝撃を与えた。

もちろん、ユーザによる楽曲演奏でも同じ試みが出てきた。雑誌Oh!Xで発表されたZ-MUSIC関連では、雑誌付録のフロッピーの形でドラムセットなどのサンプリング音色を合わせて収録し、多くのユーザが共通してPCMつきの音楽データを使えるプラットフォームを提供した。
とはいえ、X68000のサンプリング周波数はそれほど高くないため音のクオリティはそこそこではあったが確実にそれまでのパソコン単体ミュージックにはなかった世界を楽しませてくれた。

ただし、ハード制限でADPCMは同時に1音しか出せないため音声が重なると前の再生中の音声は切れてしまうという弱点があった。しかしそれもユーザパワーにより克服される。
PCM8というリアルタイムADPCM音声合成ソフトにより複数のサンプリング音源を同時に発生することが可能となったのだ。CPUパワーとしては非力なマシンのはずなのに何故そんなことが出来ていたのか。まさにマジック
音楽系では俺はあまり知らないのだがMDX系も根強い人気を誇っていたようだ。パソコン通信系で普及していたのかな。
後期はゲームBGMも含めMIDI機器の低価格化にともないMIDI接続を前提とした音楽演奏対応が増えていき、本体のみで凄い音を、という部分はマシンパワーの問題もあり、次第に弱くなっていったような気がする。

◆電脳倶楽部
元は雑誌Oh!MZ/Oh!Xのライターであった祝一平氏が満開製作所という怪しい名前の会社を興し、X68000ユーザのためのディスクマガジン「電脳倶楽部」を発刊した。会社名からしておそらく最初に広告を見た多くの人がジョークだと思ったに違いない。
予め半年分の代金を支払えば毎月フロッピーが郵送されるという形態のディスクマガジンだった。
雑誌Oh!Xは他の雑誌がフロッピー付属が多くなる中、コスト問題もあったのだろうが、メディア付属は遅く、また少なかった。(かわりにあるときは下手すると10枚近いディスクに展開されるほどの濃い内容だったが)
それまでの伝統もあるのか「プログラムは自力で入力する。それが勉強にもなる」というポリシーもあったのだと思う。他の雑誌がゲームをするためだけのダンプリスト掲載なものも多かった中、ソースリストを載せることにこだわっていた。もちろんそれは一理あり、俺自身、BASIC時代はそれで得るものが多かった。
ただし、実際にはソースリストの巨大化に従い、ソースを圧縮したバイナリのダンプリストを載せるなんて荒業も出現したりしていた。正直これは苦行であり16進数のタイプ練習以外には何の勉強にもならない。(ある意味乗り越えること自体が人生勉強かもしれない)
電脳倶楽部のディスクマガジンという形態はその無駄な作業からユーザを解放した。

結果、ソフトの流通と自作ソフトの発表の場がが飛躍的に拡大し、面白いプログラムや便利なツールをユーザの多くで簡単に共有することが出来るようになったのだ。紙媒体のOh!Xとお互いの弱点を補足しあうようにX68000のプログラミング文化を盛り立ててくれた。
このディスクマガジン、先見の明ともいえるブラウザを当初から搭載していた。今でいうIEやNetscape,OperaなどのWEBブラウザのネットワークなしローカルファイル専用版みたいなものだ。テキストと画像と同時に表示でき、このブラウザで表示される目次から読みたい読み物をクリックして読んだり、プログラムを実行したり音楽を演奏出来るようになっていた。
掲載コンテンツとしては読者投稿によるツール、画像やPCMデータ、読み物に加え、製作者側でのソフト提供、読み物がメインだったろうか。特に変酋長である祝氏の読み物にはその語り口や視点の面白さからOh!MZ時代からのファンがたくさんいて俺も楽しみにしていた。
氏による作成のワープロ「サンダーワード」の開発もあったなぁ。キー操作が「黄金律」たるEmacs互換だったので
嬉しかった覚えがある。
電子データへの取り組みもあり、公共データとして既に著作権フリーとなっている小説の電子書籍化なども行われていた。
またOh!Xに毎月掲載されていた電脳倶楽部の広告ページは「日ペンの美子ちゃん」ならぬ「満開の電子ちゃん」で毎回笑わせてくれたため楽しみにしてる人が多かった。

しかし所詮フロッピーの容量でのディスクマガジンである。後期は容量不足のため圧縮されまくった状態で配布され、自分で用意した数枚のフロッピーに展開してから読むという状態になってしまっていた。この「楽しむ前のひと呼吸」が楽しみのような面倒のような。ディスクマガジンという形態で楽を覚えた俺らはどんどん贅沢になっていたのかもしれない。友人と交代に購読していて俺もいつしか購読しなくなっていた。
祝氏も途中からは製作から外れていたようだ。そして1999年、氏の訃報を知る。勿論、実際にお会いしたことなどないし、投稿してたわけでもない単なるいち読者に過ぎなかった俺だけど、それでもえらいショックだったのを覚えている。

◆ユーザパワー
魅惑のスペックに見せられて多くのホビープログラマがX68000のユーザとなった。X68000はユーザパワーと決して切り離せないマシンだ。だからこそ皆の思い入れが深いマシンとなり得た。雑誌「Oh!X」とディスクマガジン「電脳倶楽部」の影響もあり「ないものは作る」の意識が高かったのだろう、新たなユーザをもとりこんでX68000は強力なユーザパワーに囲まれて発展していった。

【フリーソフト達】
象徴的なのがX68000発表の頃からよく聴くようになった「フリーソフト」の隆盛と浸透だ。今では普通に聞くフリーソフト、その名の通り、利用も配布も無料かつ自由なソフトだ。(厳密にはいろいろあるけど)
多くのツール、ゲームがフリーソフトとして発表され、がX68000のプログラミング文化や自作ゲーム文化を盛り上げた。

【プログラム環境】
あらゆるものがユーザの手により作成、改良されていった。例えばプログラミング環境もメーカ純正よりも高速なアセンブラやリンカ、各種エディタやGCCなども広まるようになりほぼ投資なく誰でもプログラミング出来る状態になっていた。高機能なファイル操作ツールに通信ソフトなども市販物以上のものが揃っていた。

【システム関連】
システム関連もついにはユーザの手によるウィンドウシステムKo-Windowまで産まれた。SX-Windowより軽快に動くこのシステムは一部に支持を集め、対応アプリケーションも発表されていった。また合わせてOS部も長いファイル名が使えるTwentyOneや独自のDOSコマンドシェルも広まっていく。画面表示も本来用意されているモード以外の高解像度を表示させたり出来るツールなども現れた。
ハードの限界までしゃぶりつくしていく。そしてそれに応えるだけのオープンなプログラマブルなハードだったのだ。

【音楽関連】
音楽関連では前述のZ-Music/MDXやPCM8などの強力な演奏システムが揃った。これら共通のベース上で数々の自作音楽データが発表されていった。
俺は……自分の音楽センスのなさを知りました。

【そしてDoGAへ】
さらには動画分野にも異変が起きた。
CGによるアニメーションを作成出来るソフト各種(モデリング、モーション、レンダリング)を無償(カンパウェアだっけ)で提供するDoGAプロジェクトの登場だ。CGAコンテストも始まり、当時の貧弱な演算性能で作ったと思えないような力の入った作品が発表されていた。
ここから巣立って今その分野でバリバリ活躍してる人も多いんじゃないだろうか。
俺は……自分のデザインセンスのなさを知りました。

【UNIXの潮流】
大学でUNIXに触れることの多かった俺にはUNIXライクなツールが嬉しかったなぁ。NEmacsにGCC,ITAtoolsで各種UNIX系コマンドが揃い、さらにfishなどの高機能なシェルまで発表された。
このおかげで自宅と学校のUNIXマシンで似たような環境を作成出来ていた。Internetでのメールボックスをそのまま家に持ち帰ればNEmacsで読めるし、論文だって自宅でTeXで書いたものを学校に持っていけば同じイメージで提出出来たのだ。細かな単純実行ツールをパイプで組み合わせて結果を得ることが出来るUNIXコマンドはパズル的でもあり、気に入っていた。

【ミョーなソフト達】
ユーザにより発表されるミョーな遊びツールも楽しみの一つだった。
例えばX68000のオートロード、オートイジェクトなフロッピーを活かして(?)、フロッピーを入れたり出したりするのに合わせて勝手に音声が流れる常駐ソフトがあった。フロッピーをキーボード操作で吐き出させようとすると
「げぇぇっ」
という汚ねー声とともにフロッピーが吐き出される。ご丁寧に普通に入れたときと裏表間違えて入れたときで別の音声が出たりする。もちろん音声は自分で好きな音声に変更可能だった。
他にもキーボードに並んでいる複数のLEDがプログラム制御出来るのをいいことにナイトライダーよろしく例のBGMとともにLEDが流れるように光りだすだけのプログラムやよくダンボールに緩衝材として一緒に入ってるあの「ぷちぷち」をマウスで延々潰すだけのソフトとかおかしなソフト達が登場した。
不思議なことだがこんなお遊びソフトこそX68000ユーザとしての所有満足度に繋がっていた気もする。アーケードそのままの移植ゲームはゲーセンに行ってコイン入れれば誰でも出来る。しかし、こんなバカバカしい楽しみ方はユーザでなければ出来ない(やらない?)のだ。

【通信&ネット】
X68000のユーザパワーを支えたのは雑誌や電脳倶楽部だけではない。パソコン通信や草の根、そして当時はまだ一部の大学などでしか接続されてなかったInternetを通じて、ソフト開発や流通が拡大していったのも大きい。
経済的な理由から俺がパソコン通信を始めたのはかなり後になってからなので想像だが、パソ通やBBSでソフトが生まれ、磨かれて雑誌などで一気に拡大普及するという流れのものの方が多かったのかもしれない。
ちなみにTCP/IP化への流れにはX68000は完全に乗り遅れた。(というか既に見放されていた?) 純正Ethernetボードはやたら高価だったこともあり、持ってる人を見たことも聞いたこともなかった。シリアル経由でUUCPとかやってた人はいるのだろうけど……。ユーザによる拡張ボード企画もあったが俺は未購入。

【その他もろもろ】
ユーザによる独自のディスクマガジンもあちこちで発刊されていたようだ。しまいにゃ、ユーザによるマシンパワーアップのためのハードウェア基盤製作などまで行われていた。
また一部のシャープショールームではユーザ同士の集まりも開催されていた。間違いなく怪しい集団だった。

これら多方面に及ぶユーザパワー、そしてある種共通する気質は既に文化だったのではないだろうか。
ちょっと一部にリベラル過ぎたり暴走気味、アナーキーな部分もあったのではないかと思うが、愛着あるマシンユーザ同士という範疇を超えてユーザ同士が繋がっていた気がする。

◆ゲーム!ゲーム!ゲーム!
さて、X68000の人気を支えていた根幹はやはりゲームだろう。その卓越したハード性能を駆使したたくさんの名作が発表された。
まずX68000のCPUが当時のアーケードで多く使われていたCPUと同じだったこともあるのかアーケードからの移植が盛況だった。最初の「付属グラディウス」の衝撃もあるのだろう、「完全移植して当然」というムードがあった。開発側はさぞ大変だったことだろう。
オリジナルゲームも独特のハード機能とアイデアを活かしたものが次々と発表され、各社で技術を競っていた。
記憶に残る個々のゲームタイトルについてはいつかまた別途まとめるか。やっぱ専用カテゴリ作ろう。

またX68000においてゲーム作成はゲームメーカーだけのものではない。ユーザ作成作品でも凄いレベルのものが数多くみられた。
ワンアイデアによるセンスのいいものもあれば市販ソフトと肩を並べるような完成度の作品もあった。通常、ユーザレベルの作品ではデザインが両立出来ないものが多い。凄腕プログラマーがそのまま凄腕デザイナーであることは稀だからだ。サークルのような複数人での「同人ソフト」発表が増えたのもこのあたりが関係していたのだろう。
また、既存の市販ゲームにパッチをあてて改造して遊ぶものもいくつか見られた。スペースハリアーのキャラ&音声入れ替えなどは皆で大笑いしながらプレイしていたものだ。
ハードメーカであるシャープもX68000のゲーム文化を後押しした。サイバースティックなんていうイカすどマイナーな周辺機器を出したり……って、ちょっと違うか。

しかしこのゲーム興隆の影で溢れる違法コピーがはびこっていたのもまた事実。ゲーム屋にはソフトと並んでバックアップという名のコピープロテクト外しソフトが並んでいる状況だった。プロテクトを外してお気に入りソフトをハードディスク起動出来るようにするなど正規ユーザにも有用な使い方はあったのだが……。ゲームユーザはそうやって自らの首を絞めていたのかもしれない。

◆マイマシン購入
購入資金の増加と値段が少しは下がったのもあって1990年発売のPRO-IIにてようやく俺もユーザになった。友人宅で自分のもののように遊び倒していたので戸惑うことなく環境をカスタマイズ。
マンハッタンシェイプへの憧れは大きく横置きスタイルとなった廉価版のイメージの強いPRO-IIの購入は迷うところもあったのだが、それでもすぐにX68000を自分のものとしたかったのだ。レストの広い結構打ちやすいキーボードがせめてもの救いだった。拡張スロットが4つあるのも特徴的だったが、最終的に使ったのはメモリとSCSIボードの2スロットだけだったりして……。

とはいえ、購入後X68000でバリバリにプログラミングしていたかというと実はそうでもなかったりする。MZ時代の方が確実に時間をかけていた。なんだかんだと忙しくなってきてたのも一因ではあるが、それよりもX68000になってグラフィック性能の向上でゲームにおけるデザイン要素が大きくなった。単なるプログラムだけではゲームとしての見劣りが激しくなり、市販ゲームとの「格差」が歴然としてきたのだ。作るために想定されるパワーと手間の増加が敷居を高く感じさせた。
X-BASICで、市販されてるパズルゲームのルールだけ調べてそのロジックだけ真似してシンプルな画面で作るとか、その程度。自分用のちょびツールは作ってたが、あまり力を入れて作成することは少なくなっていた。また前述のDoGA CGAシステムのようにプログラミングやゲーム以外でも遊べることが多かったということもあるだろう。

それまでの所有マシン(MZ-1500とか)に比べて、市販も他ユーザからもソフト供給が豊富だったX68000で「享受する楽さ」を覚えてしまったのかもしれない。

◆終焉?もしくはエンドレス
「5年間は仕様変更しない」
シャープとしての公式見解というわけじゃないみたいだがX68000の登場時からこのことは暗黙の了解のように思われていた。それまでのPCが互換性のないハード機能変更により前機種で作成したソフトが動かなくなるいことが多かったのに対し、一定期間のハード仕様固定が前提であればソフトメーカは製品を安心して作れる。実際1987年の初代発売から細かな部分を除きX68000の基本仕様は最後まで変わらなかった。
しかし性能も1991年にようやく出たクロック向上版のXVIでちびっと上がっただけ、1993年に初のMPUレベルのメジャーアップデートとなるX68030により性能向上があったくらいで、互換性を考えてか周辺機能に大きなパワーアップはなかった。
XVIの前後には何故か筐体を小型化した機種Compactの発表により3.5インチFD搭載マシンも増えたが、ほとんどのゲームが5インチFD提供なので「X68買ったのにゲームできない」人もいたのではないだろうか。外付けFDが必須だったと想像される。
その間にPC98系やAT互換機の世界では猛スピードでCPUスペックが向上していった。

ユーザの期待と裏腹にちぐはぐな新機種。それはかつて既存資産全てを捨ててまで桁違いのスペックとしたマシンに魅力を感じて購入したユーザにとっては大きな失望だったかもしれない。新たなパワーを望むユーザによるPowerPC搭載の"NewX"登場の噂は絶えることがなかった。
実施、雑誌Oh!Xの特集にPowerPCのアーキテクチャが特集されたりと「もうすぐ出るぞ!」という雰囲気は十分にあった。みんな近々発表されると確信していた。しかし、結局NewXがアナウンスされることはなかった。開発はしたものの営業判断により日の目を見なかったということなのかもしれない。
PowerPC搭載のあるいはUNIX系OSを積んだSX-Window後継な独自IF搭載のNewX…そんな想像もしたりしてましたが、ある意味ソレって今のMacとOS-Xだったりして。

やがて市販ソフトは激減し、ほぼ発売されなくなる。専門誌だったOh!Xは休刊し(その後奇跡の復活を数度遂げるが)、X68000の生産は停止。電脳倶楽部も粘ったものの終了した。ハードはユーザの手によりパワーアップキットや拡張ボードがいくつか企画されていたようだが、俺は手を出していないのでその詳細は不明だ。
家庭用ゲーム機の世代交代により、作成は別としてゲームをプレイする上でのプラットホームとしての魅力は薄れた。ゲームグラフィックの主流もポリゴンへ移行していく。ネットワークもWINDOWS95とともにInternetの普及が進んだが、そこに接続出来たX68000はほんのわずかだったろう。
稀な例外を除けばX68000は静かにひっそりと一部の人の記憶と押入れに眠るマシンになっていく。

ひとつだけ、新たな動きがあった。
Windows上で動作するX68000エミュレータの発表だ。今では複数のX68000エミュレータが発表されている。
当初BIOSデータの問題などでエミュレータを動かせるのはX68000を持っていた人に限られたが、シャープによるBIOSデータの公開により、誰でも動作可能となった。(OSとかがないとあまり意味はないけど) Windows上でHuman68Kやfishを動作させたとき、なんだか懐かしいような、切ないような気分になった。レトロゲームファンも根強く、まだまだX68000の魂は消え去ってはいないようだ。

◆おしまい
エミュレータで当時のアクションゲームを遊ぶと、その多くが256x256の解像度モードで動いていたので、現在のPC画面上で拡大せずに動かすとほんのわずかな四角形の中で何やらちまちま動いてるだけに見える。下手すると最近の携帯電話の画面くらいのサイズだ。
しかし俺らはかつて時にロクに飯も食わず、睡眠も取らずにこの小さな窓の中の出来事に没入していた。この小さな四角形の中で何万もの敵と戦い、何十万回もキーを叩き、何百万もの文字を読んできたのだ。間違いなくここに俺らの青春の一片があった。

淡々と思い出しトピックだけにした割に結構長くなったがそれでも肝心なものを書ききれてないような気分が抜けない。もっとあの頃のみんなのパワーを、語りあったくだらない発想を、バカみたいな毎日を、理想のゲームへの情熱をうまく書き留めておきたいのだけど……。

記憶に残るゲーム編はまたいつか。それが1週間後かさらに1年後かわからないけれども。

« 雑炊のジレンマ | Main | サエコ・マイ・ラブ »

「ナツカシマイコン」カテゴリの記事

「パソコン・インターネット」カテゴリの記事

Comments

恐るべしmitsさん!!
ウチの3ヶ月分(相当)の文章を一回のエントリで越す(多分)なんて!!

あぁ憧れのX68000。
高校生の時に猛烈に欲しかったんだよなぁ。
結局国民機9801を選択してしまいましたが。

ベーマガとかログイン眺めては、夢を膨らませたもんです。

ジェノサイドとかファランクスとかすげ~プレイしたかったですよ。
ファランクスとラグーンはスーファミに移植されてたけど。

あとは「あの、素晴らしい をもう一度」。
タイトルが素晴らしい。負けたって感じ。

というわけでユーザではないですけど、
脳内ユーザだった、ふぁずでした。
今年もよろしくお願いします。

機会があったら遊んでください。
下関と福岡なんてちょちょいのちょいですから。

>>ふぁずさん
ユメちんが見れるのはlivedoor Blogと福岡在住者だけ!(笑)
HigherGroundとかでニアミスはしてるはずなのですが、まだ実際にはお会いしてないですねー。2月もライブ強化月間なのでどこかで会ったりして…。何か設定しましょかねー。同居人ともども楽しみにしてます!

まさか「あの、素晴らしい をもう一度」のタイトルが出てくるとは! 確かかなり終焉近くの作品だったこともあり未プレイなんですが、実験要素の強いシステムみたいで気になってました。そういえばX68関係ないけどYU-NOもやってないな、俺……。
俺自身X68000所有ユーザではありますが、実際に購入出来たのは発表から数年後なんでその間は同じく脳内ユーザでしたよ(^^;

Post a comment

Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.

(Not displayed with comment.)

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/6566/2570576

Listed below are links to weblogs that reference 我が青春のX68000:

« 雑炊のジレンマ | Main | サエコ・マイ・ラブ »