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December 2005

2005.12.10

オススメ『シガテラ』

4063611930シガテラ 1 (1)
古谷 実

講談社 2003-12-25
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写真メインの壱知拾忘の方は時々更新してるけど、えらい長いことこちらを更新してなかった。更新が途絶えたあたりからほとんど福岡にいない状態で、ほとんどは長期出張中だった。いや、だったでなく今もそうなのだが。

出張中はたまに休みが取れたとしてもギターもカメラも手元にない。かといって本を買いまくって荷物を増やしたくもない。ちょっとした休みの日の空き時間にホテルの近所のマンガ喫茶で読みたいと思いながら後回しにしてた本を漁るのが楽しみになってきた。固定作者の本を買うばっかりで新規開拓してなかったしなあ。

さて、前置きが長くなったが、そんな風にしてマンガ喫茶で読んだ本から気に入って結局今日、後で荷物増えるの覚悟で買ってしまった作品をオススメしたい。今日なんて夜勤前だってのに睡眠時間削って再読してしまった。眠いよ……。

そんなわけで今回のオススメは古谷実の「シガテラ」だ。
作者については「稲中卓球部」の人といった方が一般的には通りがいいのかもしれない。氏は稲中の後、ギャグ、シリアス作品を経て、この「シガテラ」へたどり着いた。聞きなれないこのタイトルが意味するところはちょっとググってみると主に南方の魚が元々もってない毒素をプランクトンなどから体内へ蓄積し、それが食物連鎖でより大きな魚へ、そして人間へと集積されることで起こす中毒症のようだ。
「死に至ることは少ないけれど知らず知らず摂取され、残留する微量の毒による中毒症」という意味合いだと思われる。

物語はいじめに合う荻野がバイクの免許を取ろうとするところから始まる。それは苦しい日常からバイクという象徴を介しての逃避だったのかもしれない。そしてそこから日常に変化があらわれていく。
どこかにいそうな人々、そして今もどこかで同じ状況があるだろうシチュエーションの中で、些細な出来事の重なりが時に大きなうねりとなり、そしてまた消えていく。
……と特に細かくあらすじを書くつもりはないので、こっから先はもう勢いのまま好きに書く。微妙にネタバレするところもあるかも。

俺がこの「シガテラ」にここまでひきつけられたのは何故だろうか。
もともと分類が結構難しい作品ではある。コメディ要素も入ってはいるが、それがメインではないし、もともとストーリーとしては暗い傾向にある。各要素のウエイトは統一されていない、又は敢えてしていない感は受ける。狙いかどうはわからないが逆にそれがこの時期特有のごちゃ混ぜ感になっていていいんじゃないかとも思う。

荻野にとって、そしてこの作品と読み手にとっても大きな要素を占めるのが南雲さんとの出会いだろう。棚ボタ的に彼女とつきあうことになった荻野のおろおろ加減、そしてそのあまりに大きなウェイトは、格別ぱっとしない人生を辿ってきたコンプレックス者には染み入るものだ(涙) 南雲さんの言葉や仕草、表情、として二人のやりとりに自分の場合を思い返す人は多いだろう。多少の違いやデフォルメはあれど、そこには恋愛の共通事項がある。はじまりにしかない貴重な思いと一生残る瞬間たちがある。
荻野自体も実は面白い。単なるいじめられっ子に見えて、時折見せるヘンなところはいわゆる「バタ金」的主人公像を受け継いでいる面もある。妄想や思考の暴走ぶりは稲中の頃からのセンスが垣間見えておかしい。荻野の中の前野を見ることだって出来るだろう。

映像化されたとしてそのBGMには凄く似合わないかもしれないがこの作品に含まれる要素は実はスピッツが非常に合うのではないかと思ってたりする。少なくとも俺にとってのスピッツの歌の根本は「性と生と死」と「無常と諦観」そして「自己閉塞と出会いによる時には逃避的な解放」だ。あとつけ加えるなら「おっぱい」!
シガテラはこれら要素をふんだんに含んでいる。(大抵の作品はそうだろって話もあるかもしれないケド) 読んだことがあるかどうか知らないが、読んでみたらマサムネさん、大好きなんじゃないだろうか。凄く勝手な推測だけど。

話が飛んでしまうが音楽繋がりでもう一つ。水戸華之介さんの「偶然にも明るい方へ」という歌がある。俺はこの歌がかなり好きでよく頭の中でリフレインしたりする。その都度「ホントにそうだなぁ」と思うのだ。
いま自分がいる場所はあらかじめ決まっていた場所だろうか。そして自分が選んだ場所だろうか。否、だと俺は思う。どちらに転んでもおかしくない瞬間はいくつもあったはずだ。あの時一歩違う方向へ踏み出していたら全く違うところにいたかもしれない。あそこであいつがああしてくれてたら、してくれなかったら。あの場所にいたら、いなかったら。そしてあの人に出会っていたら、いなければ……。
カオス理論てわけでもないが、何億回と振られたサイコロのたった一回で全然違う道へ進むことがある。しょうがないことだらけの中で自分で選べることなんて実はほんのわずかだ。ほどんどは誰かがやる気もなく振ってるだけかもしれないいいかげんなサイコロに隷属している。
だが今少なくとも「そうだったよなぁ」と昔を振り返れる程度には最悪の場所にはいない。全てがベストの状態からはほど遠いかもしれないが、こうしてなんとか笑いを忘れることなく日々を暮らしている。そう、まさに偶然にも明るい方へ。その偶然に感謝し、やるべきこともある。

「シガテラ」を読んだときもまた似た何かを感じた。
荻野や南雲さんの周囲には何人もの「ぎりぎりな人」たちが現われる。踏み外すかどうかはほんのちょっとのきっかけでその渦中に飲み込まれるかどうかもまたほんのちょっとのタイミングの違いでしかない。
わずかなサイコロの目の違いで大きく道を逸れた者がいる。自分の意思と関係なくどうしようもない状態に陥ったりもする。幸運な出会いをし、いつの間にやら災難から離れていることもある。忘れている頃に災難が戻ってきやがることだってある。
そんな無力感の中で自己嫌悪や諦めとその裏返しのなけなしのプライドと期待とに右往左往し、自身への不信から手に入れた大事なものさえ不安の種となっていたあの頃。

そして今、やりすごしたのかどうかはわからないがなんとか息の出来る場所にいる。「しょうがないこと」や「つまらないこと」、「思うようにならないこと」は消え去りもせず近くにあふれているがそれは普通にそこにあるものになってしまった。見ないフリも出来るし、対峙しても大抵は適当なところで折り合いをつけることだって出来るだろう。そうだ、もう自分が普通でその力の及ぶ範囲も受ける影響の範囲もまた普通であることをわかってしまっている。少なくともわかったつもりになることで安定することが出来る。
そんな手軽で器用な真似が出来なかった馬鹿な「あの頃」への思い。それが俺を捕えて離さない。あの頃は過ぎ去っていても消え去ってはいない。比率はわずかでも消えることなく自分の中に残っている。これからも残り続けていくのだ。読みかえすたびに俺の中に奇妙なモヤモヤがくすぶる。それは自分の中にも蓄積されているシガテラ毒がこの作品に呼応しているからに他ならない。

んでもって俺はむちゃくちゃ弱いのだ、こういうのに。安達哲の「キラキラ!」「さくらの唄」やナツカシの「バタ金」。最後の急展開含め、ヤンマガはこうじゃなきゃっていうか(意味不明)
この「シガテラ」を読んでしまったので立て続けに「僕といっしょ」「グリーンヒル」「ヒミズ」「稲中」も読んでしまった。他のもいいなぁ。特に「グリーンヒル」はなんかツボに入ってしまった。 各作品で方向性は違って見えるが、どれもまごうことなき青春マンガだ。

最後に「シガテラ」で一番重要なこと。

「南雲さんかわいいなぁ」

もう、この一点だけででもオススメしまっせ。

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