カンレン

アシアト

トリダメ

  • Zorg

Recent Trackbacks

無料ブログはココログ

書籍・雑誌

2004.11.10

紙の電車男・WEBの電車男

電車男
中野 独人

新潮社
2004-10-22
売り上げランキング 3

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

未読状態の本(ほとんどはマンガだけど)に囲まれて幸せのような、大変なような……。あれこれイベントがあったのと相まってここの更新も放置気配? そんな状態なので本の話題を。
昨日、奥田民生の自伝本を買った本屋さんで見かけたのだが、以前のエントリでもちらりと書いた電車男のエピソードが一般書籍として書店に並んでいた。聞くところによると高い割に結構売れているらしい。
中身をぺらぺらとめくってみると、内容はアスキーアートを含め、まとめページでの編集内容を元にしたほぼそのままのログ記載のようだ。

2ちゃんねる記事の書籍化関連のゴタゴタは置いておいて、つまり、この内容であればこの本の出版前からWEB上にまとめページはあり、出版後も存在している。読みたいと思えばこの本を購入せずともほぼ同内容をWEBページから読むことが出来る。むしろよりオリジナルログ(というのも変か)に近い形で読めるわけだ。(後日談相当のところはまたほかのところ探さなきゃいけないかもしれないけど)

なのに本は結構売れている、ということはこの本を買っていく人をこの観点から2種類に分けると

◆A)WEB上のまとめページ等の情報をまったく知らずに、下手すると「2ちゃんねる」の存在すら知らずに買っていく人
◆B)まとめページがあるのも知ってて既に読んでいる、または途中まで読んでいて、本の形でも欲しいと思った人

ということになる。
それぞれの比率は知る由もないが、Bタイプの人も少なからずいるのは間違いないだろう。Bタイプの人をさらに細分化してみると

◆B-1)電子文書を読むより本の形である方が好きな人、本フェチ、もしくは電子文書を途中で読みつかれた人
◆B-2)今回の書籍化自体に関心(書籍化否定派含め)があり、どんな感じになっているか確認したかった人、または祭りの一環と考えた人。
◆B-3)電車男のエピソードへの思い入れが強く、所有欲が湧いた人。または書店でページをめくって衝動的に買ってしまった人。
◆B-4)当時リアルタイムにスレを読んでいた、あるいは自分の書き込みが載っているので記念として買ってしまった人
◆B-5)電子文書を読めない環境の知人等に読ませたかった人、または誰かへのプレゼントとして。

複数該当する人やその他要因の人もいるだろうが、購入要因は概ねこんなところではないかと思われる。
またも根拠レスで申し訳ないが、この中で一番多そうなのはB-3のタイプの人ではないかと思うのだ。

小説であれドキュメントであれ、読んで気に入った人、感動した人にとってそれは他人事でない大事な思い出のひとつとなる。その思い出をカタチとして所有したい人が書籍まで購入しているのかなぁ、なんてことを思った。
図書館で読んだ本や友達の家で読んだ本が凄く好きになって、自分用に買ってしまうのに似ているかもしれない。実際にまた読むかはわからないのだが、「読む」までいかなくても好きな一部のエピソードややりとりだけを見返したり、暇潰しに適当にめくったページを楽しんだりするには手元にある方がいい。
実際、店頭でぱらぱらとめくって読んだときのことがフラッシュバックしそうになったワケだし。(購入はしませんでした……貧乏人なので)

電子文書でもローカルに保存して、同じように読み返すことは出来る。しかしまだ紙媒体に敵わないということなのだろうか。ぺらぺら読みなどのインタフェースの違い以上の理由があるような気がする。

一つの想定は目に入るまでの距離(手間)だ。PDAで普段から電子文書を通勤中に読んでます、なんて人であれば書籍を本棚から出す手間や時間より、起動の速いPDAから文書ファイルを選択する方が場所も選ばず時間的にも速いだろう。しかし、携帯以外のPDAの普及度はまだまだだし、端末自体も高価だ。正式提供されている電子書籍コンテンツもはっきりいって少ない。小さめの画面で長文を読むのは厳しいことも多い。仕方なく自宅のPCを起動するには「わざわざ」すぎる。そんな距離感が電子文書を避けるのかもしれない。

そしてもう一つの想定が上で触れたような思い入れと、それが紙の本という手にとれるものだからこその「所有の実感」によるものではないだろうか。音楽の世界でもネットからの曲のダウンロード購入サービスは始まっているが、凄く気に入ってるアーティストのものについては少々高くなってもCDなどのモノとして欲しくなる。
それはジャケットや歌詞カードの存在も勿論あるが、所有の安心感が電子データに比べて高いからだと思う。「このアーティストのものは全部そろえてる」というコレクション的満足感も電子ファイルより現物の方が大きい。
そして本は紙という素材ゆえに何度も手にするうちに汚れたり曲がったりソースこぼしたり。あるページには折り目が入り、何巻も続く本であれば古くなるに従って背表紙の色が褪せていたりする。教科書にしてもどれも同じように見えて、中に自分でつけ加えたパラパラマンガや肖像画への落書きがあるかないかでモノとして別物となる。それらひとつひとつについての個人的な記憶まで含めて「本」という媒体が成り立っているのかもしれない。

最近は仕事の資料などもノートPCを持ち寄り、電子文書のまま会議することも多くなってきた。すぐに捨てられてしまう大量の文書を印刷するコストや環境影響で考えてもその方が断然いい。カラーで見れるし。
実際のところ大量になっても場所をとらないことやキーワードの検索、スムーズな目次移動にカラー使用の容易さ、携帯や配布の容易性など電子文書のメリットは凄く大きいはずなのだ。
しかしそれでも長い長い当分の間、紙の「本」というのはなくならないだろうなぁと改めて実感した気がする。電子文書の目指すべきところは利便性の追求以外にも自分だけの思い入れを染み込ませる要素の付加という切り口もあるんじゃないだろうか。