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恋愛

2004.05.30

毒男に捧げるスピッツ

CROSSBREEDさんの記事経由でみた「男達が後ろから撃たれるスレ 衛生兵を呼べ」に記されている電車男氏のスレまとめ記事。一気に読んでしまった。なんとなく熱に浮かされたような気分だ。久々にこんな気持ちにさせてくれてありがとう、という感じ。浮かされついでに浮かれたことを書いてみよう。後でやめときゃよかった、ときっと思うのだが…。

なんというか、電車男氏に、というよりスレ参加者全てにシンクロしてしまう自分がいる。そうなのだ、俺も間違いなく同じ世界に居たのだ。例えば十数年程前の俺がのスレを見ていたなら同じようにドキドキしながら報告を待ち(いや、今読んでてもなんかドキドキするものがあるのだが)、下手したら役にも立たないどっかの本から拾っただけの実のないアドバイスを送っていたかもしれない。そして旅立つ「元仲間」へ惜しみない祝福と分かち合った暖かな気持ち、そして同じことが起きそうもない自分への自己嫌悪と道の行き場のない焦燥感で鬱になっていたのではないか。

一人の時間というのは嫌いではない。むしろ好きだった。気心の知れたムサい仲間とほか弁食いながら週末をだらだら過ごした時間も、延々と本屋とゲーセンを巡る時間も、メシも食わずにパソコンに向かう時間も少なくとも自分にとっては価値あるものだった。そもそも自分にもそういうことが起こるのか、なんだかそれは遠い、何かの敷居の向こうの出来事のように思われた。半分強がり、半分真剣に今の自分なりに居心地のよい生活ペース、スペースが誰かと暮らすことで乱されるであろうことに抵抗感すらあったかもしれない。

こういう価値と恋愛との一番の違い、それは「他者による自分という存在の全面肯定」なのではないかと思う。恥ずかしいのでつい小難しそうに書いてしまうが、つまりは「ボクはここにいていいんだ」という「おめでとう」と拍手がバックに流れそうなアレである。何らかの偉業を為す、素晴らしい仕事をして評価される、そういったものでも自分の価値は確認できるのだろうが、恋愛の基本要素たる「あなたが私の一番」というシンプルな衝撃はヤワな理論武装をつきやぶり根幹部分に直接ゆさぶりをかける。そして自分から相手への気持ち、行動にも人間が左脳だけでなく右脳にも容易に支配されうることを知るのかもしれない。もちろん、このあたりはそれまでの人生で価値順位もインパクトも異なるし、恋愛初期を過ぎたスパンまで考えるとまたあれこれ違うだろうだが、あのスレの毒男的にはきっと近しいものではないかと狭い狭い経験から身勝手に考える。

時々、昔を思い出したり、こういう話を読んだりすると妙にスピッツを聴きたくなる。
実はスピッツは以前はほとんど聴いていなかった。むしろ、TVで流れるサビの一部だけでなんだか甘ったるい、ミーハー狙いのバンドかと思っていた。ちゃんと聴いて始めてその奥にあるひたすら暗い孤独の闇、エロス、生死感に気づいた。スピッツの多くの曲は人の出会いによる死と再生を、時に刹那な疾走を描く。人は誰かに出会い、生まれ変わることが出来る。それはほんのちょっとの間だけ見える幻かもしれない、もろく崩れ去るものかもしれない。それでも変革は起き、立つ位置は元の場所ではない。きっとそこからこれまでと違う軌道を描き出す。違う景色の中を行く。
スピッツの歌は実は長く暗いトンネルをくぐった人程キく…なんて思うのだが、どうだろう。草野さんも長いトンネル派(?)なんでしょかね。

最後に…えっと年に数回こういうモードに入る時ってないですか。俺は勝手にリリカルモードと呼んでいます(笑) いっそ点描がバックに散らばったつもりでそのモードを楽しむも良し…かな。貧乏性なもんで。